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『好奇心、竜を』
ファルス・ティレイラ3733

 ファルス・ティレイラ(3733)。私は自分の名前を噛み締めた。
 ここは普通の場所ではないから。心が揺らいでしまえばそのまま、ファルス・ティレイラという自我まで崩壊してしまうかもしれない。
 ましてや今、私は真の姿である竜体を顕現させているのだ。“私”を見失った竜がどうなるものかは……考えたくなかった。
 それにしても悔やむよりない。なぜ、私は思い立ってしまったのだろう。私はいつも、好奇心に駆り立てられては踏んでしまうのだ――え、なにを? そんなの決まってるじゃないですか。ドジですよ死語ですけど。ん? 死語ってワードも、死語?

 とにかく文語調から口語調ってのに変更しまして、あらためて状況を説明しましょうか。
 私は今、魔書の中にいます。全部私のせいなんですけど、でも、『そのページに書かれた物語へ入り込んで体験できる本』ですよ? ガマンできませんよね普通……ですよね?
 で、私は草原のシーンにダイブしてみたんですけど。その、うっかりしてたんですよ。魔書があるお姉様の書斎の窓、開けたままにしてたんです。
 それはもうめくれますよね。風でぱらぱら。そのせいで私は秒単位でいろんな場所に飛ばされて、最後はこの深い森の中に閉じ込められたわけです。出口が見つからないのは多分、表紙か裏表紙が閉じちゃったからなんでしょう。
 以上、現状の分析終了!
 結論は大失敗なんですけどね!
 ――とかやってる場合じゃありません。厳つい竜がくねってもかわいくないですし。

 お話は冒険物。いつどこからモンスターが出てくるかわかりません。ちゃんと読んでないので、ここが何ページなのかもわからないんですけど……魔書って筋書きをそのまま辿らないと暴走する可能性があるんですよね。
 最初に選んだ安全なシーンがどこかへ行っちゃったのに動揺して、竜になっちゃったのは多分、一番の失敗でした。
 モンスターに殺されかけるとか、罠に嵌まるとかはおかげで回避できてますけど、筋がおかしくなったしわ寄せがどこかに出るかもしれません。たとえば冒険譚を成立させるために、無理矢理私をピンチに陥れようとか。
 読者は安全な場所にいてお話を見ているだけだからこそ、主人公のピンチにハラハラできるんですよ。著者さん、そこのところ、ちゃんとわかってますよね? 大丈夫ですよね?
 って、お願いしたのは、大丈夫じゃなさそうだったからです。
 目の前には今、それは竜体の私より大きな蜘蛛がいて、森の木を支柱にして張った巣の真ん中からじーっと見てたり。
 深い森のはずなのに、生えてる木が太すぎませんか? 蜘蛛って見た目の大きさよりぜんぜん軽いはずなのに、どうしてそんな太い木がギシギシきしんでるんでしょうね?
『私のこと捕まえたら、木が折れて巣が壊れちゃいますよ? だって私、あなたよりずっと重いんですから』
 女子が自分の重さを強調するとか、なかなかの苦行ですね……。でも、今はプライドよりもセルフディフェンス優先です!
 なので私はそのへんの木によりかかって、きしませてみました。竜体は脂肪じゃなくて魔力の貯蓄量で大きさと重さが決まるので、ダイエットの必要はないです。ええ、ないんですけど、うーん、人型の理に引っぱられ気味でしょうか。心が痛いです。
 ちなみに私の決死、ムダでした。いきなり襲ってきましたよ蜘蛛! おかしくないですか!? お話の都合で言葉は通じてるはずなのに!
 ……いえ、この展開のほうがお話の都合なんですよね。読者にスリルを味わってほしい、作者さんの都合。
『でも、私にだって都合があるんですから!』
 優先してくださいよ、読者の都合! エンタテイメントは娯楽ですよ? 娯楽がユーザーを傷つけるとか、それはベンダーの傲慢です! 怠惰です! ありがた迷惑です!
 私は大きく口を開けてファイヤブレスを吐き出しました。直接的な攻撃力はもちろん、昔から蜘蛛の糸は「焼き」に弱いものって決まってます。
『えーっ!?』
 燃えませんけど! 糸だけじゃなくて木も、糸と木が燃えないんですからもちろん蜘蛛も!
 あーもー作者の都合ぅーっ!!
 胸の中でわーわーまくしたてながら、私は向かってきた蜘蛛を爪で斬りつけます。火の魔法を凝縮して恒星レベルの熱を灯した爪、さすがにこの超常の攻撃は受けられないでしょう!?
『――』
 もう、言葉もありません。白刃取りされましたよ星の爪。そこまでして守りますか、作者の都合!?
 蜘蛛は私の爪を左右から前肢で挟んだままお尻をこちらへ向けて、糸を噴きました。獲物を搦め捕る粘質の糸は、あっさりと私に巻きつきます。
『っ』
 ありったけの力で抵抗はしたんですけど、切れません。作者の都合、恐るべしです。
 それでもなんとか体を振って蜘蛛から離れて、木に糸を巻き取らせながら逃げます。引っぱり込まれさえしなければ――蜘蛛の縄張の外まで逃げられれば、なんとかなりますよね?
 翼をバランサー代わり、私は一気に森を駆け抜けます。

 と、ここで残念なお報せを。
 私、なんともなりませんでしたー!
 蜘蛛の糸は木の隙間をすり抜けて追ってきて、私の体に突き刺さって。
 魔力で構成された細胞の隙間に異物が食い込んでくる感触は、人で言えば神経に触られるようなもの。痛いのもあるんですけど、ものすごく気持ち悪いです。
 だからってすくみあがったのは最悪でした。次々飛んできた糸が一本一本、体のあちこちに潜り込んできます。
 真っ先に翼が動かなくなりました。芯を搦め捕られて絞り上げられる、キンキンとした不快感が私をもっとすくみ上がらせて、その間に次の糸が尻尾の芯を締めつけてキンキンすくみ上がらせて……ほんの少しの時間で、私は動きを止められていました。
 痛い、苦しい、気持ち悪い、怖い、怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い!
 読者目線で訴えても聞いてくれなかった蜘蛛が、心の叫びなんて聞いてくれるはずもありません。
 私のすぐ後ろに辿り着いた蜘蛛は、いそいそと糸を私に吐きかけてきます。動かなくなった順を追って、翼、尻尾、後脚、前脚、胴、そして、首。
 もがこうとしても竜体の芯を抑えられていて、どうにもなりませんでした。
 そして、粘つく糸は私へ巻きついた途端に溶けて、粘液になります。それは食い込んだ糸も同じで、私は内からも外からも固められていく生殺し感を、最後まで残された頭部と思考でさんざんに味わわされることに。
 きっとこの本、売れなかったでしょうね。ここまでして自分の都合を押し通すような作者さん、好かれる要素ひとつもありませるり。
 一瞬、思考が濁りまびた。残されていた脳いばで、糸が侵蝕ちれびないなびげく。
 こうなったらもう、作者の都合とか言いませんから。せめて最後までファル……でいさせてください――

 お姉様に助けてもらうまで、私は私であることも忘れ果てたまま突っ立ってたみたいです。
 まあ、お姉様は妙にツヤツヤしてましたから、私が固まってる間にあれこれしたんでしょうね……好事家ってほんと、怖いです。普通に生きてる私のこと、なでてくれたらいいのに。
 とりあえず教訓。ひとりで怪しいところに行かない!
 うん、行きませんよ? 今、お店に届いたショコラの国を体験できる魔書の表紙なんてめくりませんから。目次だって見ませんし、最初のページ確かめたりもしま――


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年01月29日

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