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『杉香』
杉 小虎la3711

 杉 小虎(la3711)はひとり、とある寺の片脇にある墓場のただ中にあった。
 ここは杉家の檀那寺(だんなでら)ではない。金さえ払えばなにも言わずに骨壺を引き取る、名ばかりの霊園だ。
 美しく切り整えられた墓石がひとつもないのは、ここに埋められたものたちが相応の理由を持っているからなのだろう。少なくとも小虎には理由があった。空の骨壺を誰にも詮索されずに深く埋めなければならないだけのものが。
 わたくしはあらためて葬りに来たのですよ、許嫁様――

 許嫁の生家は、杉家から初めて分かれた分家だ。隣り合わせた敷地に屋敷を構え、互いに人という苗木を育み、切磋琢磨してきた。
 そして当代、その分家に“益荒男”が生まれ出でた。
 まさに武の申し子と呼ぶよりない才能に、杉の家との間にも養子云々の話は出たのだが、結局は反故となった。杉の当主は思ったのだ。杉の子ら――長子と小虎には、益荒男のような天稟がない。ならば目ざす背として前を行ってくれるほうがよかろう。そしていずれは娘婿として杉へ入ってくれればもっとよい。
 結果として、当主の思惑はひとつ成り、ひとつ外れることとなる。
 長子も小虎も、人並外れた才を持つ者だったのだ。天才ではなく、己を極限まで研ぎ上げる、努力の才をだ。それによって杉は、益荒男に劣らぬ太い“暴れ杉”を2本、得ることなった。
 そして。
 めきめきと育つ中で小虎は、益荒男ならぬその弟と友誼を結びゆく。学問に人並ならぬ才を見せる代わり武の才にはまるで恵まれなかった、手弱女ならぬ“手弱男”と。

「なぜいつつあったりんごをみっつたべてしまうのでしょう?」
 幼稚舎で出された算数の問題に、小虎は悩む。
「ぜんぶたべてしまえばよろしくってよ!」
 手弱男――以後は彼と称する――は大人びた苦笑を浮かべ、説いた。問題は残ったリンゴがいくつか、です。
「そんなのふたつにきまっていますわー!」
 くわっ。目を剥いた小虎は、自分の心情を表わすことができぬもどかしさに地団駄を踏んだ。林檎なぞみな食べてしまえ。それは活力となり、先を拓く剣をはしらせる。なればこそ、5つ食べたら何個残るかを問えばいい。
 彼は少し考えて、静かに語り出した。
 残ったふたつを誰かに食べてもらえたら、その誰かはきっと小虎を好きになってくれますよ。
 なるほど、ふたりならせなかからきられなくなりますし、さんにんならうってでることもできますわね!
 と、誤解を得かけた小虎に、彼はかぶりを振ってみせ。
 でも、人には心があるんです。くれてやるなんて気持ちはすぐに見通されて、小虎はリンゴを失うだけになってしまう。杉の誇りを持って、心からお願いしなければ。
 いつも彼はよくわからないことを言うが、これは正しくわからなくてはいけないことなのだと、小虎の本能は告げていた。
 果たして小虎は回答欄に『のこったりんごはふたつ。でも、いつつともだれかにさしあげてなかよくなります』と書きつけた。
「ひとつめはあなたさまにさしあげますわ」

 初等部を突っ走る小虎は、相も変わらず一本気を貫き通していた。
 けして居丈高に振る舞っているわけではないのだが、譲れぬものをけして譲らぬ気高さは、とにかくトラブルを呼び込んだし、悪意ある者に容易く“悪者”として仕立て上げられる。
 そんな彼女を影から支え、守ったのは、彼の人徳と論だった。
「わたくしであることを貫きながら和の輪を作るなど、剣を無尽にはしらせるよりよほど難しいですわ」
 いつもどおり彼に助けられた帰り道、げんなりと息をつく小虎の背を、彼はやわらかく叩いた。
 自分を傷つける誰かと、それでもなかよくしようと思うことが尊いんですよ。暴力で解決できることなんて、この世界にはほとんどないんですから。
 だからこそ、武才なき自分もまた、武の血脈の内で生きていられる。言外に含められた真意を察せられるようになったのは、自分が彼とそれだけの時間を隣り合わせて過ごしてきたからなのだろう。
 武の家で文の才しか持たぬ彼にとって、家が、世界が、けして美しく穏やかならぬものであることを悟ってしまっているのも、そのせいで。
 だから小虎は「せいぜいたおやかに励みますわ。支援はお願いいたします」と笑み、彼の背を押すのだ。

 中等部にあがった小虎は、それなりに穏やかな日々を過ごしていた。
 別に大人びたわけではない。長子と益荒男が才気と無駄な活力を迸らせ、馬鹿げた武技の修練を繰り広げるようになったので、付き合わされる小虎も周囲にかまっていられなくなっただけだ。
 脇目も振らずに鍛錬へ向かう小虎は、気にしていられないからこそ、気づかなかった。彼女たち3人による喧噪を、端から見やる彼の眼の暗さに。そして。
「大変申し訳ありませんけれど宿題につきましては助太刀をお願いいたしますわ許嫁様!」
 ――いつの間にか益荒男を抑え、彼が小虎の許嫁に指名された事情を。
 いや、特に疑問に思わなかったのだ。これまで小虎を支えてきてくれたのは彼だったし、どうせ杉家を継ぐのは長子。その上であちらの家との繋がりを強めたいなら、嫡流の娘を嫁がせるのが手っ取り早い。
「わたくしは武、許嫁様は文、ふたり合わせて文武両道ですわね!」
 恋ならぬ情ではあれど、心を預けられるただひとりの相方。彼はきっと、彼女へ穏やかでやさしい未来をもたらしてくれる。信じていた。信じていた。信じていたのに。

 この世界に顕われたと同時、速やかに侵攻を開始した侵略者、ナイトメア。
 武の杉家は今こそ立つときと、分家の末筋まで含めた全員でEXISの適合テストへ臨んだのだが……合格できたのは小虎ひとりだった。
 しかし、そこで落ち込まないのが杉の血脈である。盛大に彼女を讃え、自分たちなりに人を守る戦いへ力を尽くすことを誓った。
 その中で、異変は起こる。
 詳細は未だ知れるものではなかったが、引き裂かれ、ちぎり散らされた分家の者たち――益荒男すらも――のただ中に立つ彼は、駆けつけた小虎へ言った。
 小虎は暴力で事を収める側に行くんですね。僕は、完全な和を為す輪の側へ行きます。
 なにを抜き打たれたものか、見えなかった。それでも体は脳を追い越して動き、携えていた木刀を斬り返して……彼の見えぬ手に腕ごとへし折られた。
 もう、わかっていた。彼が、人ならぬ者に成り果てていたことは。そして彼がどれほど家族を憎み、恨んでいたか。細かな事情は知る由もなかったが、分家は彼にとって居心地の悪い場所などではなく、地獄だったのだ。
 わたくしはあなた様のことを、なにもわかってなどいなかった。痛みよりも後悔に打ちひしがれる小虎に、彼はいつもどおりにやさしく語りかけた。
 迎えに来ます。小虎を説得できるだけの立場を手にして、小虎を殺さずに済むよう暴力を制することができるようになったら。

 そうして消えた彼が、レヴェルと呼ばれるナイトメア支持者の内にあることを、小虎はSALFの情報網によって知ることとなる。
 迎えは待ちませんわ。わたくしがそこまで行きます。人の理を超えたあなたを打ち据えられる武を得られたそのときに、かならず。
 空の墓の前に立てたものは線香。杉の葉を粉にして練り上げた杉香より立ち上る白煙にあらためて誓い、小虎は踵を返した。
 今しばらく、葬られていてくださいまし。空の壺に封じた、わたくしの本心――


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2020年01月31日

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