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『一輪のハナ』
てくたんla1065


 錆びついた蝶番が軋んだ音を立てて、一つの影が今日もまたやって来た。なんや、随分とまた今日は痩せてるなぁ。
 影の主──飼育係の少女を見上げ、てくたん(la1065)はそんなことを思う。気が向くままにふらふらと歩いていたら、何やら大きな網を持った人々に追い回されて気が付けばここに閉じ込められていた。
 とはいってもこの飼育小屋は雨風も通らないし、少女は毎日朝夕の二度、新鮮な菜っ葉を持ってきてくれる。いい加減に青臭い菜花以外も食べたい気持ちがないでは無かったが、取り立てて不満というほどでもなかったので、てくたんはここに居続けていた。

「お待たせ……配給のお野菜、また少なくなっちゃって」

 ごめんねと彼女が申し訳なさそうに語り掛けるので、「ええでー」とてくたんは返しておいた。多少食事が少なくなったところで、てくたんのまんまるボディがしぼんでしまう事も無い。それよりも。
 よもや兎から返事があるとは思っても見なかったのだろう。少女は眼をぱちくり、てくたんよりも真ん丸にして口に手を当て驚いた。

「あなた──喋る兎なの!?」
「てくたんはてくたんやでー」

 それが半月ほど前の話。

 最初はてくたんに驚きを隠せず、兎が喋るということにも戸惑う様子の少女ではあったが、足繁く「ご飯」と称して青菜を持ち込んでくれることに変わりは無かった。それは人参だったり蕪だったり、時には名も知れぬ野草の類ではあったのだけれど。それでも、てくたんを邪険にもせず、変わらずに身の回りの世話をしてくれる少女のことは悪い気分はしなかった。

「あんた、名前は?」
「ハナ──花子だから、ハナってみんな呼ぶわ」
「ハナはんか。いい名前やなー」

 セーラー服にもんぺを引っ掻け、肩掛けにカバンを背負った少女は少し血色が悪く、力を籠めて小屋の床をブラシ掛けすると息が切れるようなあり様だった。

「ハナはん、無理せんといてや?」
「でも、これも飼育委員の仕事だし」

 飼育委員……というのが何なのか、てくたんには皆目見当も付かなかったが、やらねばならぬというのを無理に止めることも無い。ほな、頑張りやーと声を掛け、もっしもしとハナが届けてくれた大根の葉を頬張った。

 ハナが話すには、「疎開」とやらで学校からも日に日に人が減り、学級でも次は誰がどこそこの親戚を頼って居なくなったという話題で持ちきりなのだそうだ。親戚がおらず頼る先が無いハナは、そんな級友を見送りながらこうして毎日、学校へと通うしかない。話し相手が少なく淋しい日々を送っていた彼女にとって、てくたんは風変りな友人ではあったが掛け替えのない存在だった。

「ハナはん、今日も来たんか。おはようさん」
「てくたん! おはよう……」

 その日の彼女は、これまでよりも一層顔色が悪く、土気色をした様子は今にも倒れそうだった。聞けば、遂に最後の級友が長野へと疎開するのだと言う。他に誰も居なくなった学校へは、給食の配給も停止されて、ましてや兎にやる為の菜っ葉などは手に入れる術もなく。

「ごめんね、てくたん」

 そう言って彼女はカバンから自分の弁当箱を開いては、半分よそっててくたんへと分け与えたのだ。

「ええんやでー」

 その日に初めて食べたお弁当は、少し寂しい塩の味がした。



 カンカンカンと。日もとうに暮れた夜半に半鐘の音が鳴り響いていた。校舎からはウーウーと五月蠅くサイレンの唸り声も聞こえてくる。

「なんや、うるさいな……」

 すぴすぴと寝息を立てながらひと気が居なくなった飼育小屋でひとり、惰眠を貪っていたてくたんはただならぬ気配を感じてむくりと身を起こした。遥か家々の向こうで、空が赤く染まっていた。なんなんだろう、あれは? 金網にへばり付いて目を凝らしてみるも、此処からではよく見えない。

「うーん、気になるのは気になるねんな」

 勝手に出ていく訳もいかず、とばかりに狭い飼育小屋の中を右へ左へとうろついていると、ガチャガチャと扉を慌ただしく鳴らす音がする。

「てくたん! てくたん、無事?

 声の主はハナであった。

「こんな時間に珍しいねんなー。どしたん」

 何時になく慌てた様子のハナに声を掛けると、「いいから早く!」と少しいら立ったような声がした。
 早くって言われても、毎日鍵を掛けてるのはハナやんな……とぼやきながらもてくたんが金網の扉へと寄ると、金網の向こう。ハナの背後からブルンブルンと銀色の翼をした巨大な鳥が、燃え盛る火の弾を雨あられと降らせながらこちらへとやって来た。

 ヒューン──ドガガガガッッ!

 何が起こったのかを理解する間もなく、てくたんとハナは炎の渦に巻かれてしまった。

「なんや、なんや〜!?」

 くるくると視界が回って、ガツンと脳天に衝撃が走る。火花がチカチカ瞬いて、てくたんはそのまま目を回して気を失ってしまった。



 気が付けば、だだっ広い校庭にてくたんは大の字。辺りには焼け残った木材がぶすぶすと黒い煙を上げている。

「う、う〜ん?」

 飼育小屋も、校舎も。全てが灰と炭の塊になってしまっていて、久しぶりに感じた外の風が吹き曝して冷たく感じられた。ぐるりと周囲を見渡してみると、倒れた飼育小屋の柱の横で、何やら女性が泣き叫んでいた。

「ハナ! ハナ!!! 聞こえているなら返事をして!」

 覗き込んでみれば、ハナによく似た顔の中年の女性が、黒くクレヨンで一面を塗りつぶしたような「何か」を抱いて天を仰いでいた。その「何か」は、先ほどまでハナが来ていたはずのもんぺをその棒切れにチョイと引っ掛けていた。

「それ、ハナかいな?」

 女性にてくたんが声を掛けると、あまりの出来事に兎が喋るという異常も理解出来てはいないのだろう。焼け焦げた炭となった「彼女」を抱いて、女性は答えた。

「ああ──無理にでも疎開していれば! ハナが言う「ともだち」なんて、もうこの学校には居なかったのに」

 若干の話の噛み合わなさを感じながらも、てくたんはようやく「ハナが死んだ」という事を理解する。

「そっか……ハナ、死んじゃったんやな」

 口に出してみると、すこし気分が重く、苦しくなる気がした。ああ、この人は。この重苦しい気分が嫌で、耐えられなくて、こうも大声で泣き叫んでいるんやな。胸のつっかえになっていたモヤモヤが晴れた気がして、てくたんはぴょいと跳びあがって辺りを見渡してみる。
 どこまでも、どこまでも爆撃によって燃え尽きた家々がその残骸を晒している。

「とりあえず……ご飯、どないしよ」

 ハナが死んでしまったので、明日からは菜っ葉もお弁当も持ってきてくれる人はいない。その事は、てくたんにも自明のことのように理解できた。ここにいてもしょうがない。ハナが居ないなら、自分で探すなり、代わりの人を見つけないと。

「ほな、さいなら」

 尚もすすり泣く女性に一声かけると、てくたんは宛もなく歩き出す。

 今日、この場所で。何があったのかを理解するには、まだまだてくたんには経験が足りないのであった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
この度はご発注どうもありがとうございました。
重苦しくなり過ぎぬよう、さりとて軽々には流れ過ぎぬよう。
良い塩梅に書けていれば良いのですが……

てくたんさんが大きく育つには、人生経験がこれからも必要ですね。
次の機会がありましたらば、またよろしくお願いいたします。
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グロリアスドライヴ
2020年02月03日

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