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『明日も晴れるから』
鬼塚 小毬ka5959

 目を閉じ、静かに呼吸する。周囲から隔絶された空間にはしとしとと降る雨の音がただ響き、部屋は薄暗く鬼塚 小毬(ka5959)の太陽を思わせる髪さえ沈ませようとする。
「火より出ずる灰が土に金に。金は水を生じて木を育てまた火が生ず。巡り巡る五行の理は輪廻を表す蝶の如く――」
 幼少のみぎりより唇に上らせてきた言の葉が凛とした響きを帯びて、辺りの静けさを破った。――と、その身体から金色の炎が膨れあがって、そして瞬く間にも散っていく。無論これは幻に過ぎず、己が身を焼く恐れはないと知っていた。目を開けば、散り散りになった炎が蝶へと姿を転じて小毬の周囲に揺らめく。代々符術師を輩出する家の出身で、英才教育と呼ぶに相応しい鍛錬を受けてきた小毬にとっては常に傍にあったものでもある。それ自体に意思はないが、まるでじゃれつくように視界の端で踊る。
「――はっ」
 短く息を吐くと同時に、右手に構える花が描かれた符を続けざまに前方へと放った。四枚が目の前にある標的を軸に東西南北にぴたりと張り巡らされると、そこに敵の攻撃を退ける結界が形成され、息つく間もなく最後の一枚が中に閉じ込められた不浄なる者を鮮烈な光で以て焼き尽くす――本来なら。仮想でもすぐに新しく持ち直した符に照らされる小毬の顔は真剣そのものだった。瞳には符にも劣らぬ光が宿り、この時ばかりは己が何者であるかさえも意識の外に追いやられてしまう。抱くはただかけがえのない人たちへの想い。全力を出し切る覚悟とこれまでに積み重ねてきた経験が裏付ける希望だ。一度符術を完成させても納得がいかなければ繰り返し同じ術を試みる。単調でも動いたり攻撃してくれればそれで実効を確かめられた。
 無心になって続けるうちに、小毬の顔には玉のような汗が浮かび、額から頬を伝いぽたりと滑り落ちる。符術師は魔術師や霊闘士のように精霊との対話が密ではないが、数多ある符の一つ一つに込められた願いと向き合うことでより力を強めることが出来る。言うのは簡単。しかし実現は難しい。あの戦争を生き抜いた小毬とてまだ辿り着けない高みがあるのだ。自らの足で地を踏みしめて立っているし、雲の上にあるものが何か見えるようにはなったので成長していると思いたい。ふと白く澄み切った心に、夫が笑っている顔が思い浮かんで小毬は懐から符を取り出しかけ、中断した。光も音もなくなって、部屋に静けさが戻る。
(もう、そんな時間ですのね)
 胸中で呟き息を吐き出せば、マテリアルの消耗による疲労が今になって一気にのしかかった。周りを漂う蝶も、いつの間にか蝋燭のように頼りなくなっていて息を吹きかけられたように掻き消える。覚醒状態の維持は練度に関係なく一時間程が限度だ。実戦だと滅多にない限界にまで解放し続けたとき、小毬の頭の中には決まって夫が現れる。未だに羞恥心を覚えるくらいの甘い労いの声も聞こえるようだ。――それが妄想ではなく実際に言うことなのだから照れ臭い。隅に置いてあった鞄からタオルを取り出して汗を拭う小毬の頬は仄赤く色付いて、誰一人見ていないと分かっていても、押し付けるようにして隠さずにいられなかった。

「ええ、そうですわね……私のほうこそ常々お世話になりましたわ。戻ってくるかどうかは彼にも私にも分かりませんけれど、ここで身につけた力はこの先も必ず役立てて参ります。どうかそちらも、末長くご息災で」
 心からの願いを唇に乗せて深々と頭を下げる。微笑みを浮かべつつも一抹の寂しさが拭えないのはお互い様だろう。そうやって今生の別れになるかもしれない挨拶を済ませて、小毬は訓練場を出た。疲れたが辛くはなく、いっそ清々しささえある。気持ちにしても当然になった日常を離れる不安よりも、これまでに経験し得なかった日々への期待に向いていた。まるでそんな小毬の想いを写し取ったように、雨はあがって曇り空からは光が差し込んでいる。
 ふと思い立って今度は、歩き慣れた道を通り、ハンターオフィスへと向かった。ちゃんと汗は流したし身形も整えているのだが、ここに来るとやはり、ハンターとして過ごした歳月が小毬の背筋を少し過剰なくらいに伸ばそうとする。一人で金鹿と名乗り、駆け出してから得たもの全てがあって今の自分が存在する。大袈裟でも何でもなく思いつつ覗いた中は、想像よりかは人がいた。ただ小毬の馴染み深い頃と比べれば相当少ない。舞い込む山のような依頼に忙殺されていた職員は落ち着き払い、ハンターと親しげに何かを話している。転移門から重傷を負った者が担ぎ込まれるなんてことも今は珍しいのだろう。邪神戦争終結を機に世界はずっと生き易いものとなった。そして、それは猫の手も借りたいというほど、人材不足だったハンターの一時代の終わりに続いている。
 ある者は以前の生活を取り戻す為に、またある者は新たな人生に足を踏み出す。――己もまた同様だ。一度は共に死線を潜り抜けてきた彼らとの繋がりが薄れてしまうのは切ない。けれど完全に切れてしまうわけではないし、生きていれば再会することもあるだろう。それに、新しい出会いも待っているはずだ。ここでも挨拶すべきか迷って、今はやめておくことにした。二人で出立前に来て、思い出話に花を咲かせるのもまた楽しそうと思えば、待ち遠しさに自然と唇の端があがる。踵を返して、リゼリオの街に戻った。
 スキルの修練に励んだ訓練場を出て、故郷である東方を中心に世界各地での依頼を多く受けたハンターオフィスを離れ――雨上がり特有の匂いがする街並みを眺めながら歩く。ハンターズソサエティの管理区域には少数のユニオンと無数のギルド、ハンターが経営する店に住居と、生活に必要な施設が一通り揃っている。あそこは可愛い妹分が祭の主催の為に滞在した宿。向こうにはジューンブライドの頃に彼と行った喫茶。大切な人との思い出がよぎった小毬の左手薬指に今は結婚指輪が嵌っている。手を翳せば、流星のようにいつかは燃え尽きる命に込めた願いが雲間から覗く光を受けて目映く煌いた。
(貴方と居ればこそ、私は私でいられるのですわ。ですから何も怖くなどありません)
 歪虚の多くは退けたとはいえ二人で歩む旅路に、困難は付き物だろう。しかしそれを苦とは思わない。彼の願いであると同時に、小毬自身が望んだことでもあるのだ。覚醒者として守護者である彼を護って、妻として人が思うほどは強くない彼の支えとなる。そこに義務感はない。むしろ親しい相手にすらおいそれと見せられない等身大の自分がいる。旅の果てに何が待っているのかまだ想像もつかないけれど、満ち足りたものになるのは疑いようもない。
「気を急いたところで仕方がありませんし、まずは今日すべきことをしませんと」
 腕を下ろし気を取り直すと再び歩き出す。主婦は主婦でそれなりに忙しいのだ。服を買ったりカフェに寄るのは一緒のときでいいけれど夫が帰る時間に合わせて食事の用意をしたいし、その為にはまず、買い物にも行かなければ。青果店に行けばまた、うっかり惚気話を引き出されそうだ。久しぶりにあの店で好きな菓子を買うのもいい。となれば今日の夕ご飯は彼に初めて食べてもらったあの料理に決まりだ。いつだって心から美味しいと笑ってくれる夫への愛情で胸が一杯になる。晴れだす空の日差しを浴びたダイヤモンドが輝いて、小毬と伴侶の門出を祝福していた。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
自分でもびっくりするほど発想力がなくアレですが、
今までに書かせていただいたものを振り返りながら
今後小毬さんが歩むだろう日々に想像を膨らませて、
過去と呼ぶほど昔の話ではありませんがこれまでと
これからを繋げればいいなと願いを込め書きました。
あえてハンターを目指して独り立ちした頃の話をと
誘惑に駆られたりもしつつ……実家に守られていた
小毬さんもゆくゆくは母親になって子供を愛すると
思うと自分でも何様だと思いますが感慨深いですね。
今回も本当にありがとうございました!
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2020年02月03日

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