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『スケジュールに狂いはない(1)』
水嶋・琴美8036

 館の清掃を終え、一人のメイドは長い廊下を歩いている。次は、庭の草木の手入れをする予定だ。
 時計を確認すると、時刻はまだ昼を示している。この邸宅の主である一家も、今は仕事中で不在だ。館内にいるのは、彼女と、彼女の部下である何人かのメイドだけであった。
 メイド……水嶋・琴美(8036)は、今日一日の主人達のスケジュールを思い返す。彼らが快適な日々を過ごすために、琴美はそのスケジュールを元に自分の一日の計画をきっちりとたてていた。
 向こう数ヶ月先まで綿密に計算されて作られているその予定には、彼女一人ではこなせるとは思えない程の仕事量が記されており、中には一家の命が関わる失敗が許されない類の仕事まである。
 だが、琴美はその全てを完璧にこなす自信があった。彼女が今まで積み上げてきた確かな実績と実力も、それが無謀な事ではないと証明してくれている。
『本来の仕事』も、メイド業も完璧にこなす彼女は、仕えている一家の者達にも信頼されていた。時折、仕事に関する助言を求められる事もある。いつだって優秀な意見を進言する彼女の聡明さに、主人は舌を巻きその信頼を一層強くするのだった。
(……きますね)
 不意に、廊下を歩いている途中だった琴美は、気配を感じ立ち止まる。一瞥する事すらなかったが、彼女は自らの背後へと忍び寄る影に気付いていた。
 それも、影は一つではない。隠しきれぬ殺気が、たった一人の少女に向かって容赦なく向けられている。
 隙を見て、一斉に襲いかかってくるつもりなのだろう。だが、そんな影達が動くのを、廊下をブーツが叩く小気味の良い音が制した。
 突然駆け出した琴美は、空気を入れ替えるために開かれていた窓から身を乗り出す。スカートが揺れ、惜しげもなく彼女の魅惑的な太ももがさらされる。襲撃者達は思わずそれに見入ってしまうが、すぐに我に返り琴美の後を追い始めた。
 窓から飛び降りたメイドは、華麗に着地を決めてみせた後、休む事もなくまた駆け出す。影達が同じように窓から飛び出して自分を追ってくる気配を感じ、琴美はくすりと唇で弧を描いた。
 こういった襲撃者の迎撃もまた、琴美の仕事の内の一つだ。むしろ、こちらが彼女の『本業』と言ってもいい。代々この一家に仕えている一族である水嶋・琴美は、彼らを守るために高い戦闘技術を有していた。
 琴美の仕えている一家は、福祉関係にも取り組んでいる優良な大企業だ。先進的な技術を保有し、人々を助けるための研究や活動を行っている。
 しかし、だからこそ下心のある他の企業に話を持ちかけられても頷く事は決してないため、別の企業に逆恨みされる機会も多く、技術を欲している悪い者達に日々狙われている。
 それ故に、こうした者達に襲われる事など琴美にとっては慣れた事……日常の一つと言っても過言ではなかった。
 時折、まだ追ってきているかを確認するかのように、琴美は何度か背後を振り返る。そんな彼女の姿がひどくいじらしく見えたのか、襲撃者達が下卑た笑みを深めたのが気配で分かった。
(品のない方達ですね。少し様子を見るつもりでしたが、敷地内に侵入してくる前に倒してしまっても良かったかもしれません)
 颯爽と駆け抜ける琴美の姿が、よっぽど魅力的だったのだろう。襲撃者達の瞳はすっかり彼女に夢中になってしまい、本来の目的など二の次で琴美を倒す事に執着しているように思えた。
 もっとも、こうなる事を見越して、わざと派手に窓から飛び降りて琴美は注目を浴びたのだが。……突然駆け出した琴美の目的は、彼らをまとめて別の場所に移動させる事であった。
「さて、ここまでくれば良いでしょう。御機嫌よう、私はメイドの水嶋・琴美と申します」
 広大な庭の外縁部付近にて、琴美はようやく足を止める。彼女のまとう空気が変わった事に、襲撃者も気付いただろう。
 ピリピリとした空気が肌を刺し、襲撃者達は我に返ったかのように武器を構え直す。もう逃げなくて良いのか、そう問う襲撃者に、琴美は呆れたように肩をすくめてみせた。
「何か勘違いをしているようですね。私はただ、場所を移動したかっただけです」
 そう呟く琴美の言葉は、むろん虚勢ではない。追われている最中も、彼女の顔に恐れの色はなかった。足を竦ませるどころか震わせる事すらなく、襲撃者が追いつけぬ速度で駆け抜ける事が出来た事がその証拠だろう。
「あなたがた程度相手に、この私が無様に逃げるわけありません。ただ私は汚したくなかっただけです。館の中を、あなたがたの血で」
 襲撃者の耳を、彼女の唇が奏でた嘲りの笑いが悪戯になぞる。少女が浮かべているのは、自信に満ちた微笑みだった。その美しい笑みは、彼女が戦闘に慣れている事を、ただのメイドではない事を襲撃者達に教えてくれていた。
 ――先に動かないと、やられる。
 そう本能的に察した襲撃者が、琴美との距離をいっきに詰めようとした。必死な形相の相手に、それでもやはりメイドの態度はどこまでも優雅であり礼儀正しい。
 ふわり、とスカートが揺れる。人々の視線をさらう彼女のしなやかな脚は、今この瞬間は敵を叩きのめす凶器となる。
 その速さは弾丸を超え、威力は重機よりも重い。衝撃に宙へと浮かび上がった敵が、地面につくよりも前にもう一撃を叩き込む。
 確実に相手の命を射抜く攻撃だが、庭を血で汚さぬように琴美は上手に手を抜いていた。鮮血が撒き散るはめにならないように手加減しながら、彼女は相手の身体をとある場所へと目掛けて蹴り飛ばす。
 剪定した後の枝が詰まった大きなゴミ袋の中へと、見事に敵が入り込んだ。一寸の狂いもない、計算され尽くした軌道。琴美は庭を汚す事すらなく、まずは一人、敵を倒してみせた。
「私がいる限り、この家が汚れる事はありません」
 きっぱりと言い切り、琴美は笑みを深め他の襲撃者へと向き直る。完璧なメイドでる彼女は、敵を撃退する事に置いても完璧な仕事をこなしてみせるのだった。


東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年02月04日

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