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『女神追跡』
スノーフィア・スターフィルド8909

 本日も滞りなくお務め――『英雄幻想戦記オンライン(通称EGSO)』のβテストプレイを終了し、スノーフィア・スターフィルド(8909)はうんと伸びをした。
 気がつけば夜明け時が過ぎていて、これはお肌に最悪ですねぇなどと思わずにいられない。しかし、ネトゲのコアタイムは深夜帯であることが当然だし、それ以上の成果を求めるなら、さらに多くの時間を費やすのは必然というものだろう。
 そして。EGSOに集いし“スノーフィア・スターフィルド”たちは、当然の先の必然へ踏み込みし者の集い。
 キャラを演じているだけのスノーフィアがこれだけやり込んでいるのだ。スノーフィアの中のスノーフィアたるスノーフィア(わかりにくい)が、本物として負けていられない気持ちになるのは当然で必然だ。
「それにしてもみなさん、会社や学校は大丈夫なんでしょうか」
 真実に触らないようやさしく心配しつつ、スノーフィアはバスルームへ向かう。
 すぐ眠ってしまおうかとも思うのだが、今日は久々に朝から晴れていた。あれこれ買い出しへ行くついでに、外で朝食をいただこう。
「最近、あまりにも外の世界と関わっていませんからね……」
 最近独り言が増えつつある引きこもりだからこその危機感だった。


 木の風情を生かした小洒落たカフェ! ベシャメルソース・チーズ・ハムを挟んだ王道のクロックムッシュ! フレンチローストで淹れたカフェオレ!
 まさにハイクオリティ女子のパーフェクト朝食時間を堪能中なスノーフィア、のはずなのだが。
 することがありませんっ!
 女子は煙草を吹かしながら足を4の字に組んで新聞を流し読んだりしない。スノーフィアは煙草を吸わないから店に喫煙席がないのは問題ないが、朝刊が置いていないのは正直困った。
 しかたなくファッション誌などめくってみたが、そもそも興味がなく、すぐに痩せる系の広告へ行き当たるのは辛すぎた。スーパーや酒屋が開くまでにまだ1時間半以上あるし、まさかこれほど新聞の政治面や経済面が恋しくなる日がくるなんて……
 とまれ数百回めの時計確認をするべく、スノーフィアは目線を上げた。
 そして見つけてしまうのだ。
 あれ、鏡じゃない、ですよね?
 ちがう。あの人の装備は、スノーフィアのように無難を目ざしただけの通販ファッションなんかじゃない。黒のニットセットアップにカーキグリーンのノーカラーコートを合わせたスマートカジュアルは、髪の銀を引き締めつつも鮮やかに浮き彫っていた。
 ゲームでは銀の装備が基本でしたけど、この世界で外に出るならああでないとって感じです?
 うろたえつつ、ファッション誌を顔の前まで引き上げて視線を隠す。そうしておいてチラチラ、あらためて“彼女”の姿を確かめ、ついには確信する。
 スノーフィアの目の前に現われたのはまちがいなく、スノーフィア・スターフィルドだ!
 しかし、オンではなくオフで本物と会うなんて……いや、先日すでに本物のスノーフィアたちと会合を果たしているのだから、ありえないことではないのだ。完全装備で堂々と外へ出て、ゲームのテキストで説明されている――そもそもがゲームキャラなので、あくまでテキストでは、というだけなのだが――女子力の高さを再現するスノーフィアがいるのは驚きだったけれども。
 とにかく声をかけるべきか? 迷っている間にあちらのスノーフィア(以下、本物)は席へつき、クロックムッシュとカフェオレを注文した。
 よし、女子的にメニューのチョイスは正解。テーブルの下で拳を握るスノーフィアだが、次の瞬間、それですかー! とうなだれることになる。
 本物は店に置いてある雑誌ではなく、自前の本を取り出したのだ。しかも文庫本や雑誌ならぬハードカバーを。どうやら薬草について記された海外の書籍らしく、いかにもスノーフィアらしい一冊だった。
 それにしても優美だ。ページをめくる指も、店員への対応も、食べかたも座りかたも呼吸のしかたまでも。
 ――声をかけるのはやめた。ここはひとつ、観察しようじゃないか。酒とおじさんソウルで穢れた自分に、スノーフィア・スターフィルドが在るべき様を学ばせるのだ。

 ゆったりと朝食を楽しんだ本物は、颯爽と立ち上がって街へ向かう。
 スノーフィアも颯爽と後を追った。見つからないようにこそこそしているので、颯爽感はまるでなかったけれども。
 花屋の前で本物はふと立ち止まり、鉢植えの花へ微笑みを寄せる。
 切り花ではなく、根を持つ花に心惹かれるところがまた、スノーフィアの慈愛を表現していて――気がつけばスノーフィアは拝んでいた。ブッディストでもないのに、合掌である。
 私は忘れていました。尊いって、こういう気持ちなんですね。
 ちなみに周囲からは相当妙な目で遠巻きに見られていたりするのだが、スノーフィアはそれに気づくこともなく、拝みつつ本物を追っていく。

 続いて本物は、大型雑貨屋へ。
 アウトドア用品のコーナーで、悩みながらクッカー(鍋)をあれこれ持っては首を傾げる。
 なるほど、重さや大きさを確かめているのか。迷宮へ踏み込めば日帰りできないこともままあるから、調理器具は必須アイテムだ。ただ、ひとりならばそれほど大きなものを、いくつも揃える必要はないだろう……
 思う中で、本物のつぶやき、その唇の動きを見ておののくのだ。
『できるかぎりおいしくあたたかいものを。お客様がいらっしゃるかもしれませんし』
 本物は、他の冒険者に迷宮で食事を振る舞う機会を考えている!
 鍋ひとつとコンロひとつあれば足りるという、男丸出しなスノーフィアにはありえなかった発想!
 尊い! 尊いです! まさにスノーフィアofスノーフィアです!
 スマホでメモを取り、スノーフィアはさらに本物の後を追った。

 雑貨屋を出た本物は、鍋の包みを抱えたままウィンドウショッピング。
 鍋を買う前にすればいい、というのは野暮ってものだろう。なにせスノーフィアはずっと、王城の一室に軟禁されていたのだから。見るものすべてが愛おしく、美しく、楽しい。手順の後先や無駄もまた、彼女にとっては彩りとなる。
 設定を基に繰り広げた妄想の数々を思い出して涙しそうになりながら、スノーフィアは奥歯を噛み締めた。
 本物のとなりで「女は面倒だな」とか言いたいですね! 鍋を取り上げて、「これで少しは歩きやすくなっただろう」って恥ずかしそうにそっぽ向いたり! ああああ、どうして私、主人公じゃなくてスノーフィアなんでしょうか!?
 ぐぬぬ。思わずプレイヤー的心情を滾らせるスノーフィアだったが。
 私が出て行って話しかければ、あちらはあちらで察してくださるでしょうし、私は私で主人公気分が味わえるのでは?
 結局、話は最初に戻るわけだ。そしてすべてはスノーフィアのひと言から始まる。
 わかっているのだが、しかし。
 ……後日にしましょう。素面でなにを話しかけたらいいかよくわかりませんし。
 あらためて説明しておくが、スノーフィアはコミュ障。
 知らない人に話しかけるのは、まさにインポッシブルなミッションなのだ。

 というわけで、スノーフィアはそこそこの頻度で街へ出るようになる。
 本物を観察してスノーフィア精神を学ぶ名目で後を追い回す――引きこもりからストーカーへジョブチェンジしかけていることに気づかぬまま。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年02月06日

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