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『獣人機関 4』
水嶋・琴美8036

 そのまま、ゆったりと黒の中を歩み、進む内。

 少し、動く気配があった。これまでよりもはっきりと、こちらに向かって来る気配。殆ど反射の領域で、水嶋琴美(8036)はその相手からの攻撃を躱している――見えていたならまるで舞踏の様に優雅な動きで。膝丈まである編み上げブーツに包まれた脚がトトッと前後する。軽やかなバックステップの後、密やかに、そして大胆にくるりと反転する。攻勢に出る。
 次は、こちら。投擲では無く直接。感じられる息遣いや圧迫感、気配の形からシミュレーション構築。目に頼らぬ分全身の感覚で攻撃すべき軌道を割り出し、結果を出力――圧倒的速度でクナイを以って斬り刻む。窓辺。月明かりが射し込む。無粋な布に包まれていても隠し切れない艶やかさを誇る琴美の立ち姿と共に、相手の姿も露わになる。
 幾筋もの赤い線が適確に刻まれた相手。その姿が力無く崩れ落ちたのは、それから。

 暗闇の中でさえ、敵を屠る為に構築した琴美のシミュレーションは完璧だった。

 次を探る。一度明かりが射したから、改めて少し暗闇に目を慣らす必要もあるかと琴美は警戒する。が――次、と思しき気配は見当たらない。少し長めに警戒を続けるが、状況は同じ。どうやら今ので最後、と見て良かったらしい。
 その時点で、ほぅ、と今度こそ満足の息を吐く。任務達成――現時点では一応の、と付けた方がいいかもしれないが、後は殆どアフターフォロー、場合によっては個人的なお楽しみ……の様な物である。獣人機関。殆ど容易く屠ってしまった様に見えるだろうし、事実そうなのだが――今回の依頼元である客人の影武者と護衛を一度ならず殺した時の情報や、獣人機関の仕事とされる数多の暗殺からすれば、かなり期待出来る実力を持つ相手だった筈なのだ。
 が、それでも容易く済んでしまった訳で――ちょっと残念な様な、嬉しくも高揚する様な。
 要するに、またも私の実力が証明されてしまった訳である。

 と。

 見計らった様に、通信機に連絡が入って来た。

(おい、本当に付いて来ているのか!? 何処に居るんだ、大丈夫なのか――!?)
「もう安全ですよ。全て終わりましたわ」
(!?)

 依頼元になる客人からの――今回の護衛対象からのホットラインである。
 そのホットラインに当たり前の様にこう答えられる事が、何より誇らしい。まぁ、当たり前の様にと言うか、当たり前なのだが、実際に達成した所で言えるのはまた違うのだ。必要も無いのに笑みが零れる。心が躍る。この高揚感はホットラインの向こう側にまで伝わってしまったかもしれない。何故なら返って来る言葉が何だか、紅顔の少年が如くしどろもどろなのである。琴美がきちんと護衛として居るかわからなくて慌てていると言うより、こちらの声を聞いて年甲斐も無くどぎまぎしている様な。

 ……あら、うっかりくノ一の籠絡術が発動してしまったのかもしれませんわね。ふふ。

 高揚はしている。
 満足感もある。
 喜びもある。
 達成感もある。

 けれど同時に。

 足りなくもある。
 もっと強い、強い敵は居ないのだろうか。
 私を満足させてくれる様な、強力な敵。
 いつか出逢って、戦って。
 そして私は――そんな強敵も屠ってみせる。
 何度でも。
 今日の様に。

 いえ、今日の敵は……私を満足させてくれる様な敵ではありませんでしたわね。
 残念ながら、そう断言出来る。
 これだけの実力を持つ私の身でそんな強敵を求めるのは、儚い夢なのだろうか。
 いや、そんな事は無い筈。
 いつか、きっと、私の前になら。

 何度も何度も、夢想する。
 もっともっとと、まだ見ぬ次の任務を、夢想する。



 そんな本人の自覚通りに。
 水嶋琴美は、きっと、今後とも負ける事など有り得ないだろう。己の責任下から外れての失敗――の可能性すら先回りして潰し、予定より大きな成果を上げておく程の徹底振りだ。
 夢想は夢想。
 彼女の眼鏡に叶う強敵など、現れる事はあるまい。
 彼女の実力は、圧倒的過ぎるから。
 どんな敵であっても、物足りないまま終わる筈。どんな敵であっても、その美しく艶やかな体に触れる事すら叶うまい。

 ましてや傷付けるなど、夢想も夢想。



 ――夢想。

 そう、あくまで「夢想」の筈なのだが。
 それが「絶対」とも限らない。
 確かに彼女は美しい。
 彼女は強い。
 彼女は聡明で、物事を先回りして慎重に事を進めもする。

 敗北や失敗の要素など、微塵も無い。





 否。





 自らそう驕る慢心こそが、最大の落とし穴。
 優れているのが事実であっても、この世に「そんな絶対」は有り得ない。
 そんな考えでは――いつか足許を掬われる。
 何かしら、見えていなくてはならない事が「見えない」事もきっと出て来てしまう。
 狡猾に慎重に森羅万象見定める――幾らそう自負していようが、そうやって見定めるべき事の中に、そもそも目に入らない事があってしまえば。
 意味が無い。

 例えば、抗う事の出来ない――抗ってもその行為が意味を成せない様な、弱者の理屈。
 例えば、踏み躙られた他者の心へ、本気で思いを馳せられるか。
 例えば、己と異なる考え方があると、理屈では無く本当に理解しているか。
 例えば、己が成功体験だけを基とし、こうすればこうなると当たり前の様に考え、思考のパターンが一つに固まってはいないか。
 例えば、敗北や失敗、苦戦するかもしれない。……そんな思考実験は、した事があるか。

 水嶋琴美に今挙げたこれらの事柄が頭にあるかどうかと問えば、否だろう。

 圧倒的な強者であるが故、弱者の理屈など頭の隅にも浮かばない。
 踏み躙られた他者の心を考えられるなら、そもそも踏み躙る様な真似はしない。
 圧倒的な成功者であるが故に、成功体験が絶対としか思えない。
 異なる考え方など、知らない――成功しているが故、知る意味を感じない。知ろうとも思わない。
 敗北や失敗、苦戦の思考実験など、行う意義を感じない。

 そんな想像力は、無い。
 即ち、圧倒的な実力者であるが故に――それらの事に気が付く能力に、著しく乏しい。それらの事を想像し、考え、配慮する――やろうと思いさえすれば出来るだけの能力は優にあるだろうが、肝心の当人にそうする気が全く無い以上、その能力を持ち合わせていないも同然である。
 ……それが琴美の、唯一にして最大の弱点。

 きっといつか、その弱点を衝く者は現れる。

 何処かの教義では、「傲慢」は罪にも数えられる。
「そう」出来るだけの優れた力を持つ者でなければ、そもそも傲慢には成り得ない。

 そんな琴美が「思わぬ形」で足許を掬われたら、どうなるか。
 完膚無きまでに無様に敗北してしまったら。
 今まで彼女自身がやって来た事が、そのまま――いや、それよりも手酷く、何倍にもして返されるだろう。サディスティックにボコボコに。好き放題に蹂躙される。煽情的な姿をした見目麗しい女性である分、余計に悲惨な目に遭う事は想像に難くない――いや。想像するのも憚られるかもしれない。
 これまで積み上げてきた成功の高さの分、そうなった時の落差は凄まじかろう。
 その結果である痛々しくも無様な姿、きっとそれすらも劣情を煽る。
 プライドと自信を圧し折るには充分過ぎる程に。
 ひたすらに滅茶苦茶にされて、死ぬより酷い末路を追う事になるかもしれない。

 どれ程の強さと美しさ、聡明さを持っていようと。
 ……それだけでは、いつか。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

 水嶋琴美様にはいつも御世話になっております。
 今回は発注有難う御座いました。
 またも大変お待たせしております。

 内容ですが、お任せ頂いた要素が上手く反映出来ているかが気になっているのはいつも通りとして。
 実の所、最低限の細かい設定以上は某シスター様と殆ど同じ人物像にしかお見受け出来ないので、うっかりすると同じになってしまいそうと思い、「それっぽそう」な個性を幾つか勝手に付けさせて頂いております。
 それらについてもイメージから逸れてなければ良いのですが、如何だったでしょうか。

 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。
 では、またの機会が頂ける時がありましたら、その時は。

 深海残月 拝
東京怪談ノベル(シングル) -
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東京怪談
2020年02月10日

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