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『海が呼んでいる』
桃簾la0911


 桃簾(la0911)がアルバイトをしているスーパーも、正月期間を過ぎれば一段落。
 ようやく訪れた、何の予定もない休日。
 誰とも約束が入っていない一日を、どう過ごそうか考えて――……




 冬晴れの空の下、シャトルバスを降りるとほのかに潮の香りがする。
 鴇色の髪が、暗色の外套にさらりと落ちる。
「一度、ひとりでゆっくり回ってみたかったのですよね」
 切りそろえた前髪の下で、金色の瞳が好奇心に満ちた笑みをかたどった。

 水族館。

 故郷カロスは、海のない常春の世界だった。
 桃簾にとって水族館とは『ふしぎ』が凝縮された場所である。
 友人たちからオススメされたいくつかのうち、今回は最大級の広さを誇る水族館を選んだ。
 ロングブーツを鳴らし、ふわりとした紺地のスカートを揺らし、背筋を伸ばして歩く彼女の姿は『おひとり様』なんて揶揄することの憚られる優雅さだ。
 そんな彼女を魅了するのは――
「綺麗……」
 クラゲ。
 種類は様々で、美しくも毒を持っていたり、ただただゆらゆらしていたり、驚くほど小さかったり。
 その全てが生命を持ち、そうは見えなくとも懸命に生きているのだという。
 フロアの中央には球体の水槽があり、飽きることなく30分ほどを過ごした。
「クラゲ風の衣装も素敵かもしれません。春物で見つけられるでしょうか」
 夏用の水遊びもできるワンピースはあるが、水着による肌の露出を避けるための素材だ。
 クラゲのように悠然といられるような衣装が良い。
 友人を誘って買い物に出かけるのも良いだろう。
 スーパーの服飾フロアへ入荷してくれるのが一番だが。

 先の季節へ意識を巡らせていたところへ、館内放送が流れて我に返る。
「イルカショーを見逃すわけには行きません」




『それでは始めまーす、みなさん、拍手をお願いしまーす!』
 拍手と同時に、ゲートから立ち泳ぎで5頭のイルカが登場する。
(凄い、凄いです)
 こんな間近で目にするのは初めて。
 つるりとした肌、愛くるしい瞳、その割にしっかりとした歯。
 尾びれが力強く水面を打ち、最前列の観客たちへ『ご挨拶』。
 観覧席はよく見えるよう高い位置を選んだけれど、ここまでプールの飛沫が跳ねてきそう。
 フィッシュ&チップスを手に、桃簾はソワソワと様子を見守る。

 段階的にバーを上げてゆくハイジャンプ。
 呼吸のあった連続ジャンプ。
 トレーナーを乗せて泳いで見せたり。
「ひとと動物は、こんなにも分かり合えるのですね」
 なんて賢く、愛くるしい存在か。

『続きまして、アシカくんの登場でーす』
 ひょこひょこと、アシカが3頭ずつ左右の扉から登場。
 ツルリと滑り、プールへ続々ダイブする。
 KA・WA・I・I
『危ないので、ショーの間は座ってくださーい』
 無意識にスタンディングオベーションをしていた桃簾が、アナウンスを受けて我に返る。
 しかし同様の観客多数だったので、たがいに顔を見合わせては笑って着席。
 隣の家族連れも、少年を中心に熱中している。
(わかります……どれもこれも素晴らしい演技です)
 コミカルな動作に笑い、賢い一面に感嘆し、充実した時間を過ごした。




 熱帯地域の生物。
 深海魚。
 パノラマ水槽、アクアトンネル。
 ジンベエザメやマンタといった巨大な生き物がのんびりと流れに身を任せ泳いでいる。
「本当に、不思議な世界……」
 地球の様々な海洋生物が、争うことなく共存している。
 なんと平和で、不思議な光景か。


 自分のペースで、好きな場所で好きなだけ観賞を。
 解説パネルで解からない点があれば、係員が丁寧に説明してくれる。
 生き物たちへ愛情のこもった口ぶりに、なぜか桃簾まで心が温かくなった。
「この通路を抜けると、ふれあいコーナーがあります。どうぞ楽しんでいってくださいね」
 真剣に話を聞き入る彼女へ、係員も嬉しくなったのか先の案内も。
「ふれあい……ですか」
 子供向けのイメージがあるが、桃簾へ勧めるということは大人にも魅力的な場所なのだろうか。
 通路を抜けて、桃簾は納得することとなる。
 浅瀬をイメージした、ヤドカリなどのいる子供向けスペースの他に。
「触ってもいいのですね……」
 ドレスの様に鮮やかなウミウシは、大人向けの高さに設置された水槽で。
 触れると、表面の色が変化する。両手で持ち上げると、意外な質量。
 冷たい水を苦にすることなく、桃簾は多種にわたるウミウシとコミュニケーションを図った。




 冷えた体は、アイスクリームで暖める。
 アイスクリームは世界を照らし平和へ導くものであり、冷たかろうが身も心も温めてくれる神秘の甘味だ。
 観賞を堪能した桃簾はカフェフロアへ降りて来て、椅子に腰を下ろすとメニューに目を通す。
「思っていたより歩いたのですね。すっかり喉が渇きました」
 ウミガメオムライスや、ライスを白イルカに見立てたカレーも気になるが、まずはアイス、パフェも含む。
 アイス教教徒として限定アイスは必須イベントであり、この水族館を選んだ理由の一つでもある。


 極上出汁ソフトクリーム
 昆布出汁を使用したソフトクリームで、海藻に包まれて寝るというラッコのクッキーがトッピングされている。
「これは深い味わいです。甘いだけがアイスではなく食事にも可能と考えます」
 ソバかうどんあたりが欲しくなる、罪深い味。

 しらすアイス
 こちらはカップで頂きましょう。
 ミルク感たっぷりのアイスクリームに、釜揚げしらすのほんのり塩味が抜群の相性。
「添えられたわさびがアクセントですね。後味が良く、口の中がスッキリします」

 うみのおともだちパフェ
 海をイメージしたソーダゼリーを仕込み、こちらはオーソドックスにバニラ・チョコ・抹茶のミニアイスをトッピング。
 クラゲのようなタピオカも、コッソリ忍んでいる。
「これはシャチを模した飾り切り? 模様まで見事です」
 飾り切りをしたフルーツや、あざらしのマシュマロなど愛嬌たっぷりだ。
「グラス自体が水族館のようですね」
 変わり種を続けた後では、プレーンのアイスは逆に新鮮に思えるから不思議である。
「アイスの世界も未知数……。アイス教の道は、まだまだ続きます」


 写真に収め、一言レポートも書き留める。
 海を感じるアイスクリームは、水族館思い出の味となった。




「ここへ来てしまうと、一日が終わってしまう気持ちになりますね」
 と言いつつ寄らないわけには行かぬ売店。
 自分用や友人たちへの土産を選びながら、ふと足を止める。
「ペット用のおやつもあるのですか」
 意外だった。
「そういう時代なのでしょうか。嬉しい発見です」
 桃簾は、2匹の子猫を飼っている。
 依頼の縁で引き取り、すくすく育ってもうすぐ1歳。
 いつもと違う特別なおやつを、あの子たちも喜んでくれるだろうか。
 可愛らしい鳴き声を思い出し、足元へすり寄るぬくもりを思い出し。
「……帰りましょうか。お腹を空かせていますね、きっと」


 故郷には無かった海。
 クラゲもウミウシも素敵だけれど。我が家には猫がいますので、一緒に暮らすことはできない。
「また来ましょう。次は誰かと一緒も良いですね」
 海に会いたくなったら、水族館へ行こう。
 美味しい限定アイスを食べに来よう。

「今年も、楽しい一年となりそうです」

 日が暮れて、ライトアップされた水族館を見上げて。
 うっとりした表情で、桃簾は呟いた。




【海が呼んでいる 了】

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご依頼ありがとうございました。
どっぷり満喫水族館、お届けいたします。
水族館の魅力は語るに枚挙にいとまがなく、何時間でも何度でも過ごせてしまう魔性の場所ですね……。
お楽しみいただけましたら幸いです。
楽しいことがたくさんの一年となりますように。
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佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年02月10日

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