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『内の理』
白鳥・瑞科8402

 白鳥・瑞科(8402)。
 1000年を越える昔より人の世を脅かす人外と対し、滅することを任としてきた“教会”。その刃たる武装審問官の一員にして史上・至上と謳われしもの。
 武装審問官は通例、チーム戦を基本とする。人外は大概において尋常の範疇を超えており、手練れでも単独で相手取るには危険が過ぎるからだ。
 しかし、瑞科はチームどころかバディを持つことすらせず、ただひとりで埒外の脅威へと向かい続けていた。
 あるとき理由を問われた彼女は、艶麗なる面を向けて応えたものだ。
「わたくしが鈍り、濁るからですわ」
 あえて突き放した物言いをしていることは明白だったが、それはまったくの真実でもある。
 どれほどの実力者であれ、彼女の戦いへ加わったならすなわち邪魔へと堕ちる。ついていけるものではないのだ、瑞科という最強の有り様には。支えることすらかなわぬまま、護られるよりない。
 それほどの愚を演じるような恥知らずが武装審問官の名をいただくことはなく、ゆえに瑞科は今夜もひとり、戦場へ向かうため装うのだ。

 瑞々しく張った素肌を鎧う第一の衣は、人造聖骸布によって仕立てられたインナースーツ。そしてニーソックスへしなやかな両脚を潜らせ、ガーターベルトで腰へと繋ぐ。
 そのラインを隠すのは、裾を外へふわりと拡げるミニ丈の黒いプリーツスカートだ。ガーターベルトと一体になったホルダーからナイフを抜き打つ邪魔にならず、彼女の挙動を艶やかに飾る。さらにすべての起点となる足を、膝まで届く編み上げブーツで締め、ヒールをひとつ踏み鳴らして歩き出した。
 歩を進める中、瑞科はインナーと同じ人造聖骸布でしつらえた上着を羽織る。紋章を浮き彫った鉄の肩当こそつけられているが、それは鎧というには薄すぎた。そう、ボディラインをそのままに描く上着は鎧などではないのだから。
 瑞科が美しく装うのは、彼女の手で彼の岸へ送られる者へ尽くす、せめてもの餞。
 薄紅を引いた唇を淡く笑ませ、瑞科は夜へと踏み入っていく。


 戦いは降り落ちる“線”から始まった。
 夜気に刻まれた一条の線を、瑞科は腿のホルダーより抜き打ったナイフで弾いたが――斬り飛ばすどころか、触れることすらできぬまま刃は空を行き過ぎたのだ。
 視線だけを下へ向ければ。線に突かれたはずの褪せたアスファルトにも傷はない。
 あの線には確かな害意があった。しかし、攻撃でありながらなにを傷つけることなく、世界は無事を保っている。
 いくつかの推論はありますけれど、確かめてみなければなりませんわね。
 気負いも後れも抱かぬまま、瑞科は周囲の状況を見た。
 人外と対する際、瑞科はできうる限り夜闇の濃い場を選ぶ。他の誰かを巻き込まぬためのことだが、同時に自らの手を減らさぬためでもあった。護らなければならないものがあれば、それだけ使える技と業(わざ)とが制限される。まさに瑞科という戦士の有り様が鈍り、濁ることとなるのだ。
 ここは、街の狭間を通る路地。酔客が迷い込んでくるような場所ではないし、獣もまたこの異様な気配を嫌って近づいてはこないはず。そして、ただひとり在る瑞科にとっては、足場に事欠かない最高の戦場だ。
 再び降ってきた線を鼻先2ミリの見切りでかわし、ビル壁から突き出した室外機へ爪先をかけて跳ぶ。上へではなく前へ、肩当の先で壁を掻いて疾風のごとくに。
 幾条もの線が夜気を千切り、瑞科を追った。
 と、彼女は空調用のパイプを蹴り返して後ろへ飛び退く。眼前を裂いた線の行方を見下ろし、小さくうなずいて。
 ひとつは当たっていたようですわね。
 彼女の足下には、アスファルトの端から伸び出した雑草がある。そしてそれは半ばから断ち落とされていた。
 あの線は、生命を持つもののみを断つ“刃”。
 姿なき人外は隠れているわけではない。顕現する形代を、おそらくはあえて作っていないのだ。
 異世界からの侵入者といったところでしょうか。この世界の理の外にいらっしゃられては、手の出しようもありませんわね。
 瑞科はかるく肩をすくめてみせ、続く線をすり抜けた。
 たとえ異界の理による攻めであったとしても、効果を及ぼすにはこの世界の理へ沿わせる必要がある。不可視の線であったとて、この世界に存在する生命を害するには相応の“効力”を発揮しなければならず、だからこそ瑞科は夜気を押し分ける線の存在を感知し、避けることができるのだ。
 つまりは測り、計るだけですわ。

 壁を蹴って宙を舞い、長杖でアスファルトを突いて軌道を急変、瑞科はまた壁を蹴って跳ぶ。
 でたらめな立体機動に見えて、明確な意志が含められていた。すなわち、線の特性を見切るがため。
 線は上から降ってくる。だとすれば敵もまた上に在るということだ。
 跳ぶことで敵へ近づき、十分に線を見たところで、今度は体を縮めてアスファルトへ降り立った。顎先をこするほど低く上体を倒し込み、駆ける。
 同じ高さにあるならば、彼女の機動は十二分に敵を惑わせただろう。しかし上方より見下ろす敵にとっては、彼女の背の半ばまでを覆うばかりのマントのはためきを追えばいいだけの話。
 こうして幾条もの線が瑞科を追い立て、追い詰めていく。そのはずだったのだが。
 瑞科は口の端に薄笑みを刻み、線を悠然とかわしていった。
 さあ、そろそろお見せいたしましょうか。あの方に、計測の結果を。
 体を起こした瑞科が自らの歩を踏み止め、杖を構えた。柄を握り込んだ掌から滑り出た重力弾を杖へとまとわせ、鎧う。
 ふっ。短い息吹と同時、瑞科が重い杖を左脇から右上へと振り上げる。カツンと硬い手応えが返り、線はアスファルトへ届くことなく、弾き飛ばされた。
 驚愕の気配は感じられない。それでも驚いているのだろうか、それとも気づかれたかと息をついているものか。ともあれ、敵はまだこちらの世界の理には従っていないということだ――放たれた線を除いては、だが。
「こちらの世界へ効果を及ぼすには、こちらの世界の理に従う必要がありますわね。無機物を除外して生命に絞ることで、従う“量”を減らしていらっしゃるようですけれど」
 艶然と笑みを傾げ、瑞科は言葉を継いだ。
「この世界へ攻めの手を顕現させる時間が増すほどに、それだけ手はこの世界の理に侵されることとなります。上空から地へ届くまでの距離をおくだけで、こうして弾くことができるほどに」
 すべての鍵は時間だった。
 異界の理でこの世界を害することはかなわない。瑞科の語る通り、敵は害する対象を生命体に絞ることで、従わなければならないこの世界の理を最小限に抑えていた。
 しかし、それをしてこの世界に触れている時間が長くなるほど、異界の理は侵されずにいられない。世界の理とは、実に強固なものなのだ。
 なぜ、真相に気づいていないかもしれない敵へ彼女があえて語ったのか。問われるまでもなく、瑞科は言い添える。
「答合わせをしていただきたいわけではありませんのよ。ただ、わたくしを理も弁えぬ小娘と思っていただいては寂しい限りですもの」
 あなたの前に在るわたくしは、あなたを尽くすに値するだけの敵。
 ただそれだけを告げるために、瑞科は告げたのだ。
 なんという矜持。なんという清廉。なんという、傲慢!

 かくて人外は空より降り立った。
 瑞科という強敵を、その手で屠るがために。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年02月10日

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