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『外の理』
白鳥・瑞科8402

 およそ10メートル。
 白鳥・瑞科(8402)は気配の源と自分との間合を測り、杖の先をそちらへ向けた。
 敵は異界からの侵入者であり、この世界に害意を持つもの。本体を顕現させずにあちらの世界へ置いているのは、一方的な侵略を為すためだ。
 もっとも“理”というものの特性は、瑞科が実証した後に説いてもみせたから、ワンサイドゲームに成り得ないことを敵である人外も知っている。
 だからこそ人外は上空から地上へ降りてきたのだ。不可視・不可触の攻め手がこの世界の理に侵されるより早く、瑞科を屠らんとして。
 そのためには、攻撃に時間をかけてはならない。
 瑞科との距離が開くほど、攻めが瑞科へ届くまでの時間がかかるほど、理はその攻めを侵蝕し、有り様を変化させてしまう。この世界に適応すべく鋳型にはめ込まれ、形を与えられて――瑞科の杖に防がれる。
 人外は自らがこの世界へ触れてしまわぬよう、慎重に結界を張り巡らせた。たとえ攻め手が抑えられたとしても、本体が無事を保ち続ければ勝機へ辿り着けよう。瑞科の攻めは、異界に置いたこの体に触れることはできないのだから。

 人外が瑞科へ踏み込み、“線”を飛ばす。
 この線は魔術式であり、火水風土、種別問わずの攻撃魔法が込められている。この世界に触れることを最少に抑えていればこそ線状となるのだが、それにしてもだ。
 ひとつとして質を同じくせぬ術式を、よくぞ避け続けられようものよ。
 人外は瑞科の“目”に舌を巻く。火ならば熱、風ならば斬撃、組み合わせれば複数の特性を宿す線をそれぞれに見切り、避けてみせる彼女は、十二分に化物だ。
 とまれ、こちらも業(わざ)のみならず、技を尽くさねばならぬだろうよ。
 人外はうそぶき、高速詠唱を重ねて術式を編み上げる。

 攻めに間断が生じ始めていますわね。お疲れのようには感じられませんけれど。
 瑞科は麗面を横へ振り、夜気を焦がす線の一条をやり過ごして一歩、退いた。
 こちらが敵へ触れられないことは相変わらずだ。故にかわし続けてきた。しかし、敵がもっとも案ずるべき問題――距離を詰めておきながら攻め手を緩めるとなれば、答はおのずと知れる。
 本気で終わらせに来られますのね。でしたら。
「お付き合いいたしますわ。わたくしを尽くして」
 瑞科の言の葉に誘われるがごとく、彼女の眼前に線が灯る。
 長さにすれば1センチにも満たない、極短の線。人外の織り上げた術式の球であり、今までのように放つのではなく、握り込んだそれを突き出す“点”だった。
 特性の異なる“点”が、それこそ間断なく瑞科へ襲い来る。頬を突き、鳩尾を穿ち、肝臓を突き上げて、顎を打ち下ろす。
 常に相手の死角から繰り出されるこのコンビネーションは、魔法使いの業ならぬ、拳闘士の技。まさに隠し球というわけか。
 存外、お姿はこちらの世界の人と変わらないのかもしれませんわね。
 瑞科はそんなことを思いながら杖を手放し、左右の手にナイフを握り込む。生命なき合金に点を弾く力がないことを知りながらだ。
 かくて、ナイフを素通りした点が彼女へ迫り来た。
 見切り自体はできていたが、ナイフをいちいちかざすことでその挙動は制限され、回避が遅くなる。肩当を削られ、上着を裂かれ、長く伸ばした髪先を焼かれて、彼女は狭い路地をじりじり後退していった。

 一方の人外は、彼女を追い詰める中で一抹の疑念を捨て切れずにいる。
 なぜ、瑞科はナイフをかざすのか? 止められぬことはすでに確認しているだろうに、すべての攻めに合わせて。
 見切っていることを示したいなら、かわした後に嗤ってみせればいい。だとすれば意味があるのか。たとえば、異界の魔法をこの世界の理に触れさせることで変化を促すなどの。
 ナンセンス。人外は一笑に付す。
 確かに触れる時間を引き延ばされれば、この世界の理に適合させられることとはなろう。しかし人外は、異世界の内より業を振るっているのだ。本体が引きずり出されるようなことがあればともかく、今のままでは侵されようがない。さらにこの白兵戦の間合を保ってさえいれば、先のように弾かれることすらありえない。
 せめてもの足掻きよな。かわいらしいことだ。
 人外は連打で削られていく瑞科の装備を見やり、薄笑んだ。
 もうじきに業は肌を裂く。肉をこそげ、骨を砕き、血を噴かせて、命を損なわせる。この世界で得る初めての獲物だ。心ゆくまで苛み尽くし、味わい尽くしてやろう。
 油断は微塵もなかった。魔力で支えた身体を繰り、詰め将棋をなぞるようにコンビネーションを打ち続け、瑞科を崩していった。そのはずだったのだ。
 それがなぜ、このようなことに――

「ようやく捕まえられましたわ」
 瑞科の左掌が、握り止めていた。点を、人外の手ごと、確かな強さで。
「ナイフは刃が短くて、だからこそ、わたくしの体を馴染ませることができましたの。あなたの理……あなたが在る異界、その理に」
 距離は異界の理をこちらの世界の理へ変質させる。それを避けるべく、人外は距離を詰めた。しかしそこから異界の理を振るい続けたことで、触れていた瑞科へ異世界の理を擦り込んでしまったのだ。今ならわかる。彼女が自分の装備を裂かせたのも、より早く馴染むためだったと。
 ごく一時的にではあるが、今や瑞科は異界の理を宿しており、故に異世界へ及ぶことができる。
 しかしそれは体だけの話。重力だろうが他の業だろうが、こちらの理の内にある攻め手は人外まで届かない。
 奇声をあげて掴みにでも来るか? ああ、できることなどたかが知れているのだ。焦る必要はない。
 しかしだ。人外は再び、目を剥くこととなる。
「わたくしの技と業とが届かなくとも、あなたの業ならばどうですかしら?」
 瑞科の右手にあるものは、ナイフ。
 これまで無駄な防御を繰り返してきた、生命なき合金。
 しかしそこには異様な熱が沸き立っており、夜気を揺らがせていて。
 もう、説明されるまでもなかった。刃の熱は、人外自身が放った火魔法によるものだ。
 火の理は物を熱するという一点にある。そして異世界の理で炙られた刃は異世界の熱を帯び、今や人外まで届く一条と成り仰せた。
 あとはそう、人外の“在る”ところへ、それを伸べるだけ。
 たったそれだけのことで刃はこの世界を越えて異世界へ至り、人外を突き通した。
 果たして灼き滅ぼされながら、人外はため息をついた。
 理を逆手に取られようとは思わなんだ。世界へ挑むには、この身卑賤に過ぎたか。
 身より遠ざかる異界の理の端へ響いた人外の言の葉に、瑞科は悠然とかぶりを振ってみせる。
「あなたが滅びた理由、この世界へ挑んだことではありませんわ。わたくしと対したからこそのこと」
 限りなく美しい笑みを見せ、瑞科は踵を返した。
「再び生を受けるときが来るならば思い起こしてくださいませ。わたくしは、ここに在ります」
 呆然と聞き入っていた人外は絶望した。
 この女は幾度でも躙るつもりなのだ。野心だろうが怨嗟だろうが執念だろうが、自らの敵となるならば未来永劫、躙り続けると。そして。
「再会を楽しみにしておりますわ」
 そこまで突きつけておいて、再び敵になれと促す。もっと楽しませろと強いる。この女は、この女は、この女は――

 散り消えた気配を返り見ることなく、瑞科は行く。
 次なる敵との出会いに胸躍らせ、足を急かせて。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年02月10日

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