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『痛み、赦し、贖い』
常陸 祭莉la0023

 頭が痛い。
 常陸 祭莉(la0023)は唐突に襲い来た頭痛を淡々と自覚し、胸中でひと言、感想を述べた。
 保護者である“化物”に連れて行かれた――文字通り、首根っこを掴まれて――医者の話では、緊張型頭痛というものであるらしい。ただし、片頭痛と群発頭痛のどちらの症状をも含んでいるから、機能性頭痛3種を網羅していることになる。
 ちなみに、内科、脳神経内科、脳神経外科をたらい回され、最後はペインクリニックへ送り出された末、ようやくこの痛みに病名が与えられることとなった。
 不思議なものだ。自分を苛む耐え難い苦痛は、名を得ただけで「たまらなく苦い痛み」へと落とし込まれた。敵も痛みも、正体不明だからこそ怖ろしいものなのかもしれない。病名という正体を暴いてくれたペインクリニックの麻酔科医には感謝している。
 が、問題はそこからだった。局所麻酔によるブロック治療や内服薬による痛みの緩和、理学療法、さらには複数回のカウンセリングを経てなお、頭痛は依然として祭莉の芯に居座り続け、苛み続けていた。
 癒やされようと祭莉自身が願わなければ、心に棲みついた痛みは癒やされない。
 そんな意味のことを幾度も言われたが、祭莉としてはあいまいにうなずくよりなかった。
 わかっては、いる。それでもなお願うことができない。慰められるたび、認められるたび、褒められるたび、痛みは彼を揺すぶって説くからだ。
 おまえはけして赦されてはならない。誰からも、自分自身からも。
 ああ。教えてもらわなくてもわかってるよ。ボクが赦されちゃいけないことなんて。ほんの少しでも幸せになっていいはずがないことなんて。だってボクは――
 理由を思い出そうとすれば世界が歪む。彼が“それ”を見てしまわないよう、激痛をもって思考を砕く。
 そのただ中で、祭莉は思い知るのだ。
 痛みはほんの少しでも赦されようとした彼へ下される罰。
 痛みは自身の罪と向き合おうとした彼を引き戻す救い。
 そうだ。ボクはもう、充分に救われてるんだ。
 自覚した途端、痛みが跳ね上がる。感謝すらも見逃してくれないとは、祭莉の内に在る断罪者はなんと勤勉なことか。
 大丈夫だよ。ボクはちゃんと、痛くて苦しんでるから。
 祭莉は足下に転がる無数の骸を踏みしめ、進む。
 骸はもれなく祭莉の顔をしていて、死んでいるくせに痛い苦しいとささやきかける。
 もちろんこれは夢だ。気がつけば眠ってしまっている彼のことを、周囲は睡眠障害だからと納得してくれていることだろう。実際、ストレス性の睡眠障害であることはまちがいなかったし。でも。
 そこまでして言い聞かせたいんだ、ボクはボクに。ボクは弱くて、すぐ赦されたくなって、幸せになりたがるから。わかってるよ。そんなの、わかってるから。
 すがりついてくる骸を躙り、蹴り退け、祭莉は先に灯る光を指して歩き続けた。あそこまで辿り着けば、目が醒める。そうなればこの悪夢は置き去られ、彼は ナイトメアという白昼の悪夢待つ世界へ放り出されるのだ。
 殺せるだけいいけどね。思った直後、勤勉な断罪者からの警告を受けて顔を顰めた。
「……ああ」
 おかげで醒めた目をぼんやりしばたたき、祭莉は自分がキャリアーのカーゴの壁にもたれて眠っていたことを思い出す。
 戦場への突入を示すカウントダウンはすでに始まっていた。
 行こうか、相棒。
 後生大事に抱え込んでいたスナイパーライフルを支えに立ち上がる。
 撃てなくなったまま、修理することもせずただ持ち歩いてきた相棒。全長1メートル越え、重量は10キロ越えの、EXISですらありえない鉄屑をどうして今まで手放せずにいるものかは知れない。だが、苛立ちはなかった。思い出せなくていいのだろうと、こればかりは思えるから。
 祭莉は相棒――それだけは断罪者からも認識を赦されていた――を背へ縛りつけ、痛みに障らぬよう静かに息を吐いた。

 戦場は気が楽だ。頭痛薬を飲まずとも頭が痛まないから。薬など、ほぼ効きはしないのだが……
 頭痛の原因は強いストレスがもたらす異様な緊張であり、結局のところ祭莉が受けるべきは薬物療法ではなく、精神療法なのだろう。ただし救われることを無意識の内、頑なに拒む祭莉はそれを受けつけない。
 痛みの源と向き合えないからこそ、踏み越えることもできないジレンマ。それがわずかに軽減される場は命をやりとりする戦場。皮肉としか言い様がなかった。
 と。
 なにかへこすれたように、装備の内へしまい込んだ銀の腕輪がリンと鳴る。
 わかってるよ、シルヴァ。
 ピカトリクスのページを繰って術式を呼び出せば、それは飛竜の幻像を空へと描き出し、青き閃き降らせてナイトメアを突き抜いた。
 地へ伏した骸との距離はわずか3メートル。あと一歩踏み込まれていたなら、転がっていたのは祭莉だったはずだ。
 それが、いい。痛みに乱されることない思考が告げる。
 危機は彼を締め上げ、逆に解きほぐす。命をベットする賭けの中でだけは、断罪者も結果を見守ってくれるようで、祭莉は大きく息を吸い込むことができた。
 綺麗な空気ってわけには、いかないけど。
 金臭い空気を押し分けて地へ転がり、迫り来たナイトメアの股をくぐる。体の正面が上に向いた瞬間、銀の魔弾「セレブロ」を抜き撃ち、敵の股を穿ってさらに回転、立ち上がって駆けた。
 もっとだ。もっと心を固く引き絞れ。もっと思考を堅く研いで、もっと体を硬く押し詰めろ。
 喉の奥で唱えながら駆け、踏み止まり、撃つ。敵は次々沸きだしてきては祭莉を追い立て、追い詰めるが、賭けを投げ出しさえしなければ頭痛が舞い戻ることはない。
 それは、赦されざる彼に与えられる、ほんのわずかな赦しなのだろう。幸いなどどこにも転がっていない死地の中なればこその。
 安心してよ、ボクを中から見張ってる誰か。ボクはボクが壊れるまで、ボクを使い潰す。あきらめたり投げ出したりしない。最期の最後まで、ボクの罪を贖い続ける。
 罪の正体を探ることはできなくとも、断罪者の向こうに在ることだけは知っていた。
 目ざすものを問われたときには『人を、助ける。ヒーロー』。たどたどしく答える彼は、その有り様をなぞることが唯一示せる贖罪――そう思い定めている。
 手段と目的がすり替わっていることにも気づいてはいたが、かまわない。そうあることを望んだのは祭莉自身で、望むことを赦される一時はかけがえない贅沢だから。

 戦いが終わり、果たして彼は生き延びた。
 生き延びてしまったと思う。死に損なったと思う。しかしまだ贖えるのだとも思う。思いはでたらめに絡ませた糸のごとくに結び合わさり、疼痛となって頭を締めつけた。
 馴染み深い頭痛との再会を飲み下した鎮痛剤で迎えた祭莉は、行きと同じくカーゴの壁に背をもたれかけさせた。
 常用している薬は一応、処方薬。誠実な主治医からせびり獲るのはなかなかにインポッシブルなミッションだったが、どれほど効きが悪くともプラシーボ以上の効果はあるから、手間を惜しむつもりはない。
 薬が効いてくるまでもうしばらくかかる。それよりも先に、副作用がもたらす眠気に飲まれそうだ。
 輪郭を失いゆく思考の奥から這い出し来る悪夢の影を感じながら、祭莉は目蓋を引き下ろす。
 ボクは逃げないから。目が醒めるまで、いっしょに踊ろう……


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2020年02月12日

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