▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『いつか芽吹くまで』
香月・颯8947

 バイトの少女に大事な話があると呼び止められた時、香月・颯(8947)にはそれが何の話なのか粗方察しがついていた。
 つい数日前も、彼女には一度同じように呼び止められた事がある。口にしている言葉こそ同じでも、頬を僅かに赤く染め照れくさそうに声をかけてきたあの時とは大きく違い、今日の彼女は覇気がなく落ち込んだ様子であった。
(きっとこうなるだろうと、予想はついていましたが……)
 恐らく、彼女はバイトを辞めると口にする事だろう。今までも、何度かこういう事があった。
 誰に対しても優しく、穏やかな笑顔で接してしまうのがいけないのだろうか。颯が雇った女の子は皆、彼に恋に落ちてしまう。
 自分に告白をし玉砕するとすぐに辞めてしまう女の子の姿を、今まで何度も颯は見てきた。
 辞めていく子を無理に引き止める気はないが、店に店員が居ついてくれない事は颯の悩みの種であった。
 今度こそと思って雇った新しいバイトの子も、やはりいつの間にか颯に夢中になっており、今までの子達と同じ様に去っていく。
 告白して玉砕して辞めていく、その繰り返しだ。咲いては枯れる、花のように。
 かと言って、無理に少女達に冷たく接する事なんて颯に出来るはずもない。
 結局、颯は客に対しても浮かべる完璧なスマイルで、彼女達に接してしまうのだ。

 新しく入ってきた、バイトの少女。彼女に対しても、颯はいつものように笑みを向ける。
 そして、聞き飽きたはずの人が恋に落ちる音を、また聞く羽目になったのであった。

 ◆

 大学生の青年が面接にやってきた事は、颯にとって一度目の転機だった。
 花に興味を持つのは、女の子の方が多い。その上、この花屋には最初から颯目当てで面接にくる者もいる。
 だから、男の子のバイトが増えたのは僥倖であった。水や花や土を運ぶ必要がある花屋は、華やかに見えてその実力仕事も多い。男手が入ってくれたのは、店としてもひどく有り難い事だった。
 今までのバイト達のように、すぐに辞めてしまう心配もない。彼を雇った事をきっかけに、颯は女性のバイトを募集する事をやめた。
 今まで颯に根付いていた悩みの種にヒビが入り、解決の兆しを見せる。それでも、全てが上手くいくわけではない。
 そのバイトくんがいない時は、結局店は颯一人きりになってしまう。
 弟に頼んだら店番を引き受けてくれたものの、彼はまだ高校生だ。素人の彼に店番を任せきる事は難しく、かといって車の運転を頼むわけにもいかない。
 配達は自分だけでして、その間の店番はどうするのか。新たな悩みの種が、颯を苛む。

 店にやってきた客に今は女性のバイトは募集してないのかと聞かれ、優しげな笑みを崩さぬまま颯は首を左右へと振った。
 人手が足りないなら、女性を雇えば良いと言い募る彼女は、この店の常連客だ。
 だが、彼女の興味が花ではなく颯に向いている事は、はたから見ても明らかだった。颯を一心に見つめる瞳は、自分がバイトになって少しでも颯と長く一緒にいたいと言外に語る。
 けれど、颯は首を縦に振る事はなく、笑顔でその話を流した。鮮やかに咲く恋の花が、いかに枯れやすいかを颯はよく知っている。

 それから半年程経った、ある日の事だ。争うような声が、不意に颯の耳をかすめた。
 相変わらず、花屋は颯とバイトくんと弟の三人で何とか営業している状態だ。颯程の知識と手腕がなければ、きっととっくにこの店は潰れてしまっていただろう。
 争う声の正体は、誰かが誰かと喧嘩をしている声のようだった。
 温和で優しげな雰囲気の颯だが、格闘術には心得がある。それに颯は花屋の他にもう一つ、退魔師としての仕事もこなしていた。
 だから、争いの声が響く場所へと向かう彼の足が怖気づく事はない。
 ――その先で、颯は二度目の転機と出会う。
 それが颯と、後に花屋に入店する事になるとある青年との出会いだった。

 ◆

 女性客の一人が、配達から帰ってきた颯の浮かべる笑顔を見て瞳を輝かせる。また一人、この花屋に颯目当てのリピーターが増えてしまった。
 香月・颯は誰にでも優しい。それ故に誰にも優しくない。誰にでも等しく向けられるその笑みが、また一人の女性に恋の花を芽吹かせる。
 だが、かつてはバイトが辞める原因となり颯の悩みの種であったその恋という花は、今の颯にとってはさして頭を悩ませる必要のある事ではなかった。

 二人の男性店員が、声をかけてくる。店長と慕ってくる二つの声に、颯は常と変わらぬ優しげな笑みを返す。
(こんな穏やかな日々がくるなんて、あの頃は思っていませんでしたね)
 面接にきた大学生と、喧嘩をしていた青年がこの店に入店していなければ、きっと今の生活はなかっただろう。
 男だけで営業している花屋には、今日も平穏な時が流れている。
 颯を苛んでいた葛藤と苦労の日々は、終わりを告げていた。今の颯は、颯の悩みの種が割れた後に芽吹いた、穏やかな日常の中にいるのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご発注ありがとうございました。ライターのしまだです。
今の花屋のお仲間さん達に出会うまでの颯さんの苦悩の日々。このような感じのお話となりましたが、いかがでしたでしょうか。
お気に召すお話に出来ていましたら幸いです。何か不備等ありましたら、お手数ですがご連絡くださいませ。
それでは、この度はご依頼誠にありがとうございました。またお気が向いた際は、お気軽にお声がけください。
東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年02月13日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.