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『幸い』
メンカルka5338)&アルマ・A・エインズワースka4901

 ハーフエルフの寿命はエルフに大きく劣るが、人よりも遙かに長い。
 邪神戦争終結より50年。人である友のいくらかを見送ってきたし、同じ50年を重ねる間にはすべてを送り出すこととなるのだろう。
 時間は万物より、自他を等しく奪い去る。

 それを疎ましく思ったことはないのだが、な。
 メンカル(ka5338)は冷めた息を吹き、窓の外を見やった。
 あの大戦争から50年めの冬。
 あの聖輝節から50年めの夜。
 景色すらも様を変えているのに、彼ばかりはまるで変わらない。いや、髪の黒は少し褪せていて、風貌も人としての円熟を映すと同時、エルフの血による研ぎ澄まされた麗しさを帯びるようになった。
 変わらないのは、心だ。
 心の内に灯る思いは50年、メンカルのよすがであり続け、呪いであり続けている。
「息災ではあった。約束通りにな」
 メンカルのうそぶきに、弟、アルマ・A・エインズワース(ka4901)が静かに振り向いた。
「お兄ちゃん――本当に、いいんですか?」
 かつては人とエルフの尋常を踏み越えた超人……無垢と狂乱を併せ持つ“魔王”であったアルマ。
 そうなるきっかけを与えたのは、堕落した両親を弟の眼前で討ち果たしたメンカルにある。そのことを深く悔い、せめて影から弟の行く末を支えようと努めてきた時期もあったのだが。
 弟は兄の助けを借りることなく、薄氷の上に在る己を保ち続けた。それどころか人と世界を守る守護者のひとりとして大精霊に選ばれて戦い抜き、今は最愛の妻と共に孤児院を運営、賑やかな毎日を送っている。
 おまえを苛むばかりでなにもしてやれなかった俺に赦されるはずもないが、それでも、誇らしく思っている。
 やさしい目線を返しながら、メンカルはただひと言「ああ」、応えた。
「わふぅ。それだけじゃわかりませんよ」
 アルマの口癖は今も、エルフの血を色濃く映すその姿と同様に変わらない。だから子らから常は親しまれ、時になめられるのだ。もっとも、魔王――自称は魔王の卵――に本気で逆らえる勇者はそうそういないだろうが。
 ともあれメンカルは苦笑し、言葉を継いだ。
「覚悟するまでもなく、決めている。今のままでは“門”をくぐることができないからな」
 わふぅ。アルマは首をすくめて固まった。否定できないことを知りながら、肯定したくなくて、抵抗する。
「……この世界では探せませんか? ベッドの裏とかゴミ箱の影とか、ちゃんと見ましたか? もしかしたら落ちてるかもしれませんよ!」
「ずいぶんと探してはみたさ」
 子どもじみたアルマの言葉へ生真面目に言い返し、メンカルは部屋の中に押し詰まった機械群を見やる。
 ここはアルマの工房だ。彼の卓越した技術により、さまざまな機械が生み出される場所。
 アルマがここで“それ”を造りだせるようになるまで、30年以上待った。その間にいろいろなこと、いろいろなもの、いろいろな誰かと出遭ってきて、出会ってきたが、それらはなにひとつメンカルにとっての出逢いではありえなくて。
 正直思ってもみなかった。俺がこれほど未練たらしい男だなど。
「俺の後継はすでに俺の立場を引き継ぎ、行うべきを滞りなく行っている。俺が失せたところで、困る者はいない」
 東方で一国の領主を務めてきた彼だが、仕末は1年前にすべて済ませてある。人の常識に照らし合わせるなら、次代へ引き継ぐには遅すぎたくらいだ。だが、おかげで俊英の出現まで待つことができたので、よしとしておこう。
「お兄ちゃんは、いつも僕らのこと優先してくれますけど……本気で決めたら絶対、折れないですよねぇ」
 僕もかなり深刻に折れないですけど。ぽつりと付け加えるアルマ。
 アルマは自分が我儘であることを自覚している。だからささいなことでも、矜持に障るならばけして受け容れず、真っ向から叩き潰すのだ。
 しかし兄はちがう。いつも弟妹のためを思い、誰かのために生きてきた。
 その彼が我を張るのは希なことで、そしていざそのときが来たならば、命を損なおうとも突き通す。
「約束したんだ。末永く息災でいることを、末永く幸いでいることを。しかし俺の幸いはこの世界にはないと知ってしまった。……約束を破ることだけは、したくない」
 メンカルがその答を口にできるまでにどれほどの時間を費やしたものかを、アルマは知っていた。
 知っているからこそ、これ以上引き止めたい気持ちを音に紡ぐことはできなくて……笑んだ。
「今までたっくさん! 我儘、聞いてもらったですから! ちょっとは恩返ししないとですー」
 あのときのままの口調でかろやかに言い放ち、この日のために造り上げた手術台へメンカルを横たわらせた。
 兄は生まれてから初めて、誰かのためにではなくメンカル、いや、ザウラク・M・エインズワースの我を張っているのかもしれない。
 我儘で不出来な弟がそんな兄へしてやれることなど、全力で背を押すくらいのものだ。自らへ言い聞かせて思い切り、アルマはあらためて口を開いた。
「生き物をほんとにざっくり分けたら、肉、内臓、骨、神経になります。精霊力は主に肉と神経へ宿りますから、まずはそれを引き剥がしてあげないといけないです」
 麻酔効果のある鉱物毒をメンカルの体へ注入し、慎重に効き目を確かめつつ言葉を継ぐ。
「ただ、これを造り物に置き換えると支える骨が耐えられなくなっちゃいますから、骨も換えます。拒絶反応が起きないように内臓も」
 肢体から徐々に感覚が失せゆくことを感じながら、メンカルは重い唇を緩めて。
「結局は、全部って、こと、か」
「中枢神経系(脳と脊椎)と、お兄ちゃんの魂はそのままですよ。だから、どんなふうに変わっても、お兄ちゃんは僕の大好きなお兄ちゃんです」
 それなら心配はいらないな。
 霞む思考の内でメンカルはうなずいた。
 尋常ならざる愚行――クリムゾンウェストを捨て、別世界へ向かうことをアルマに相談したのは、愛する弟だからというだけではない。この世界で最高峰の機導師であり、彼ならば自分の選択を受け容れられる度量があると信じたからだ。

 精霊の加護を受けたクリムゾンウェストの民は、その身を精霊から切り離すことはできない。
 そして精霊はクリムゾンウェストに満ち満ちた精霊力なくして存在し得ず、
 ゆえにこの世界の者は異世界への“門”をくぐり、旅立つことはかなわないのだ。

 だからこそメンカルは決めた。
 造り物の器へ自らを宿し、精霊の加護という軛から逃れることを。すなわち、生身を捨て、精霊の加護持たぬ義体へ自らの“芯”を移植することをだ。
 まさに愚行というよりない。アルマの他の誰に言ったとて全力で止められただろうし、自身にもためらいがないわけではなかったが、しかし。
 それ以上に、心が躍る。
 約束の主――鉱石の依代を繰る“黄金”へ、今よりも近づけるだろうことが。
 おまえはとんだ数寄者だと笑うだろうか。だとすれば、それだけで価値はある。俺がおまえを笑わせられるならな。
「……移植が終わったら、すぐ門へ送り出しますね。急がないとこの世界から不適合物ってみなされて、お兄ちゃんが殺されちゃうです」
 遠くから聞こえてきた弟の声に我を取り戻し、メンカルは萎えた力のすべてを振り絞って言った。
 別れの挨拶もできそうにないか。なら、今の内に伝えておく。
 アルマは兄の体に掌を置き、音にならない声へうなずいた。
 おまえを愛している。それは俺がどこへ行こうと、なにに成り果てようと変わらない。おまえの生がこの先も幸いであることを祈っているぞ。
「お兄ちゃんが大好きです。お兄ちゃんがどこに行っても、どんなものになってもです。お兄ちゃんの未来が幸せでありますように。僕はずっと祈ってますから」
 互いの思いは同じ。だからこそ、別れは寂しくあれど悲しくなどない。
 ――外装には、俺の瞳の色を映してくれ。ひと目であいつがわかるように。

「ちゃんとわかってますよ、お兄ちゃん」
 祈るように言い置いて、アルマは酔眠の奥底へと沈んだメンカルから視線を巡らせ。背後へ。その目に映ったものは、闇を押し退けて輝く黄金の肢体持つ女だ。
「兄よりも研がれておるな。守護者位を与えられるばかりのことはある」
 唐突に現われて言う女へ、いつにない大人びた薄笑みで受け流したアルマは、優美に一礼する。
「ご足労とご協力、ありがとうございます。僕だとどうしても使える素材に限りがありますので」
 それを鷹揚に受けた女は鼻をひとつ鳴らし。
「銀にあらぬがよいのか? 金では迅さに劣ろう」
 女――この世界においてはゴヴニア(kz0277)を名乗り、人の仇敵たる歪虚の一翼を担ったものが問うた。
 電気伝導率がもっとも高い鉱物は銀だ。それを神経として義体へ張り巡らせれば、それだけ迅速な反応と行動がもたらされることとなる。
「神経は糸に例えられます。お兄ちゃんを繋ぐ糸には黄金がもっともふさわしいかと」
 メンカルがゴヴニアと結んだ縁の糸、それを象徴する黄金こそが。
「なればよい」
 ひと言応え、ゴヴニアは眠るメンカルへ歩み寄る。
「さすがに思うておらなんだ。幸い求むるがため肉を捨てようなど」
 メンカルの真意を知った上で、あえて触れずに語っていることは明白だ。そうしなければならないほどに、ゴヴニアという“人の敵”には厚い情けがある。
 だとすれば、見ないふりをするのが返礼ですね。アルマはあえて言及を避け、淡々と告げた。
「神経系の接続と再構築はお任せします。その間に僕はなんとなくいい感じにまとめますので」
 放っておけばすぐに殺到し、侵蝕を目論むだろうマテリアルを遮断しつつ、生身から切り離した中枢神経系を義体へ収めて、“いい感じ”にまとめあげる。このあたりの感覚は、まさに天才ならではのフィーリングというものだろう。
「なればちと溶けようぞ。妾の依代を結びし金もて、糸を成そう」
 とろりと溶け出したゴヴニアがメンカルの延髄から内へと侵入していく。これにより、彼の中枢神経系は黄金の壁に護られた。
 こうなればあとは時間の勝負だ。アルマはいい感じに移植作業を開始した。ゴヴニアの黄金が義体の全身へ張り巡らされ、神経を成したことを確かめて、やはりいい感じに調整を施していく。
「託してもいいですか? 僕の大好きなお兄ちゃんを」
 アルマの調整に合わせ、こちらも的確なチューニングを進めるゴヴニアは、苦笑を含めた言葉を返した。
『妾は人の敵。できうるは対するばかりよ』
「全力で対してください。お兄ちゃんが死んでもかまいませんから」
 その中にしか、その果てにしか、メンカルの幸いはありえない。
 いや、すでに幸いではあろう。ここまでして求めた黄金を、体の内に宿しているのだから。
 アルマのシニカルな笑みの意味に気づいてか気づかずか、ゴヴニアはふと話題を変えた。
『とまれ、空(から)の肉は残しおけ。還る先あらばいずれ役立つこともあろうよ』
 生あるものは遷ろう。身ばかりではなく、思いもまた。
 それを誰より知ればこそ、ゴヴニアは標を残しておけと語る。
 本当にあなたは情け深いんですねぇ。アルマは思いながらも強く、かぶりを振った。
「標は帰り道よりも行く先に置いてください。お兄ちゃんが迷わず、あなたのいる世界へ行けるように」
 蛇足ではあろう。縁というなにより強い糸を辿り、メンカルはかならずゴヴニアの元へ辿り着く。だからこそアルマもまた兄を託すと言ったのだ。
 でも、そのほうがお兄ちゃんはうれしいでしょうからね。
『標か』
 義体から這い出したゴヴニアは形を取り戻し、骸と化したメンカルの生身からドッグタグ状のペンダントを取り上げた。
 その表面にはメンカルの真名であるザウラクの名が、裏面には『LUCK is on your side』の文面が刻まれていたが……指先でそれらの文字を削り落とし、ただひとつ、“LUCK”ばかりを残す。
「己を捨てしものよ。汝(な)が幸いある先へ往けるを祈らん」
 言祝ぎを添えて義体の胸に置き、踵を返す。
「永の別れとなろうぞ、天秤謳いし犬よ」
「僕は名前で呼んでくれないんですね。でも、それはお兄ちゃんの特権でいいです」

 果たしてメンカルの仮名とザウラクの真名を捨てしものは“門”へと送り出される。
 黒き外装の中に瞳の緑を映した義体が目覚めるまでには、あと少しばかりの時が必要だった。


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2020年02月14日

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