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『スケジュールに狂いはない(3)』
水嶋・琴美8036

 くすくす、という嫌な笑い声がする。掃除中のメイド達は、主人が不在な事をいい事に雑談をし始めていた。
 館の主人が留守の間にだけ囁かれる内緒話。その内容の殆どが、主人に対する愚痴だ。
 彼女達が仕えている主人は普段から不穏な噂が絶えない上、人使いも荒い。口を開けば金に関する事か他の企業への悪態をがなる主人に日々こき使われ、積もりに積もった鬱憤を陰口に変えて彼女達は交わし合っていた。
 それでも、掃除の手を抜くわけにはいかない。機嫌が悪い時の主人は、ほんの些細なミスであっても烈火のごとく怒り狂うのだ。
 先日も、まだ入ったばかりだったメイドが突然クビにされてしまった。主人は別の企業が持つ最新技術を自分のものにするために画策しているようだが、なかなか思うように事は運んでいないらしい。その八つ当たりの矛先が、あの新人メイドに向いてしまったのだ。
 明日は我が身だ、とメイド達は思う。
 ふと、メイド達は気配を感じ振り返った。今日入ってきたばかりの新入りのメイドが、彼女達の方を穏やかな表情で見つめている。
 使用人の入れ替わりが多いこの館において、同僚の顔など覚えたとしてもすぐに不要な記憶になってしまう。けれど、メイド達はすでにこの新人の事を覚えてしまっていた。
 何せ、同性である自分達であっても思わず見とれてしまう程、美しい少女だったからだ。
 メイドの内の一人は、以前雇い主が買ってきた高級な絵画を思い出していた。穏やかな微笑みを浮かべる聖女。今メイド達の前に立っているのは、あの絵の聖女と同じくらい……否、あの聖女以上の美しさを持っている。
 先輩メイド達は、内心彼女に同情をしていた。美しい彼女は、きっと主人のお気に入りとなり特別こき使われてしまうに違いない。
 この芸術品のように美しい少女が、あの主人のせいでボロボロになってしまうのは惜しい事だと彼女達は思う。だから、なるべく力になると優しく声をかける事にしたのだった。
 しかし、新入りメイドは、何故かゆっくりと首を横へと振る。二つに結ばれた長く艷やかな髪がふわりと揺れ、花のようなシャンプーの香りが辺りに香った。
「ご心配には及びません。私はこの館に、働きにきたわけではありませんから」
 新入りメイドが口にした言葉の意味が分からず、先輩メイド達は首を傾げる。その時、館が途端に騒がしくなった。
「ようやく私が侵入している事に気付いたようですね。……遅すぎます。私だったら、敷地内に足を踏み入れた時点で気付きますよ」
 呆れたように吐き捨て、新入りメイド――水嶋・琴美(8036)は「まぁ、この私と比べるのは酷な話ですね」と、肩をすくめてみせる。
 そして、未だ事態を把握出来ていない先輩メイド達に、琴美はその美貌に似合う可憐な微笑みを浮かべ告げるのだ。
「雇われただけのあなたがたに用はありません。今の内に逃げた方がよろしいですよ。今から、あなたがたの職場は……戦場になりますので」

 ◆

 自分の主人が持つ技術を狙うライバル企業。その企業のトップが暮らす館へと侵入を果たした琴美は、新入りのメイドのフリをして他のメイド達を逃がしていた。
 心の底からこの悪しき心を持った企業へと仕えているなら話は別だが、こっそりと愚痴を言い合っているところを見るに彼女達はさして忠誠心を持っているようには思えなかったからだ。
 それは優しさであり、強者ゆえの余裕でもあった。琴美に力がなかったら、メイド達の事を助けようとしても襲いくる傭兵達にやられてしまっていた事だろう。
 圧倒的な実力を持つ彼女だから、敵地に単身赴いてもなお他者を気にかける余裕があり、その実力に相応しい自信を持つ彼女からこそ、戦場の真っ只中にいてもメイド達に優しげな笑みを向ける事が出来るのだ。

 廊下を走る彼女の前に、幾人もの武装した兵士が立ちふさがる。この企業の傭兵部隊だ。侵入者である琴美の姿をようやく見つけ出した彼らは、鬼気迫った様子で彼女に武器を向ける。
 しかし、琴美は別に彼らに見つけ出されたわけではない。少女一人を探す事にすら手間取っているようだったから、哀れに思えてわざわざ琴美の方から顔を見せてあげたのだ。
 傭兵である彼らは、あのメイド達とは違う。ここで逃したとしても、また別の企業に雇われ琴美の主人の家を狙ってくるだろう。
「危険な芽は摘んでおかなくてはいけません。美しい庭を保つためには、少しでも不穏なものは排除しなくては……それがメイドの務めです」
 凛とした声でそう紡いだ後、彼女は駆けた。一息で相手との距離を詰め、得意の格闘術をお見舞いする。主人の障害となる、敵という名の雑草を根こそぎ摘み取るために。
 何の武器も持っていないはずなのに、彼女が放った一撃はまるで弾丸のような衝撃を敵の身体へと与えた。
 近くにいた別の敵が、琴美が武器を隠し持っているのではと訝しげな視線を向けてきたが、彼女の手にはやはり何もない。
 琴美は、あらゆる種類の格闘技術に精通している。だから、彼女に武器は必要なかった。使おうと思えば使いこなせるに違いないが、自分の肉体だけでも彼女は大抵の敵と渡り合う事が出来る。たとえ、今対峙している者達のように、相手が恐ろしい武器を携えていたとしても。
 銃声。銃声。銃声。マナーも何もなく、我も我もと響き渡る発砲音。
 琴美に向かい無遠慮に放たれた鉛玉の数は、一発や二発ではなかった。数十人もいる傭兵達が、ただ琴美一人だけを狙い、凶悪な武器を構えている。
 その銃弾の飛び交う中を、メイドは舞った。全ての弾を見切り、避けながらも、彼女が走るスピードを緩める事はない。
 気付いた時には、銃を持つ傭兵と彼女の間にあったはずの距離はなくなっていた。傭兵のすぐ目の前で、琴美はくすりと微笑む。
 今更銃を突きつけたところで、間に合わない。
 その傭兵の脳裏に、そんな残酷な事実だけが浮かぶ。しかし、その思考すらも、次の瞬間には闇へと消えていた。たった一撃で、琴美は銃を持った歴戦の兵士を倒してみせたのだ。
 敵がどのような武器を持っていようが、そもそもそれを全て避ける事の出来る琴美には関係ない。当たらなければ、何を持っていたとしても同じだ。
 彼女の、夜の湖のように見る者を惑わし誘い込む黒色の瞳が、退屈そうに細められた。
 誰も、琴美を傷つける事はおろか触れる事すら叶わない。ここにいる者達に、琴美を楽しませるだけの力量を持つ者はいないと彼女はすでに察してしまっていた。
 現時点でスケジュールには狂いがない。この後も、きっと全ては自分の予定通りに進むだろう、と琴美は思う。
 ならば、少しくらいなら遊んであげてもいいかもしれない。この程度の者達で退屈しのぎになるとは思えないが、どこまで足掻くのか見せてもらおう。
 美しい少女は、そんな残酷な事を考えながら敵へと向き直る。
「さて、次はどなたのお相手をすればよろしいでしょうか? まだ時間はありますから、たっぷりお付き合いしてさしあげますよ」
 スカートの裾を小さく持ち上げ、メイドはどこまでも優雅な仕草で小首を傾げる。ミニスカートから覗く彼女の脚は、扇状的でありどこか神聖なもののようにも思えた。
 こういった仕草一つで、琴美は人の心を狂わせてみせる。そして、彼女の脚は、琴美に触れようと躍起になり突っ込んできた敵をまた一人蹴り飛ばすのであった。


東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年02月17日

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