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『先へ往く者たちへ』
ケヴィンla0192


 亜熱帯の夜は陽が落ちてもなお蒸し暑く、いつかの死闘の名残りが陽炎となって立ち込めているかのようだった。

「……ッ!」

 踏み出した一歩が滑った拍子に脇腹の傷口がズキリと痛み、ケヴィン(la0192)は思わず顔をしかめた。留まるところを知らない涙のように降り続く雨は、さらけ出された土に当たって泥をはね上げていた。

「まったく、クソッタレだな」

 誰にともなく毒づいてケヴィンは顔へ滴る雫を拭った。出掛けには霧のような気配だった雨は、いつしか激しさを増して彼のシャツをじっとりと濡らしている。赤道直下の島国は雨期であった。改めて極北のツンドラから距離の遥けきを感じて、ケヴィンは感慨に耽ると共に喉の奥にへばりつくような苦いものを覚えた。

「まったく……クソッタレだ」

 水が入らぬようにきっちりと締め上げたミリタリーブーツでぬかるみを踏みしめながら、ケヴィンはまたしても愚痴を吐く。こんなに遠くまでき来てしまったことも、怪我をおしてこうして夜中に出歩いていることも、敵ながらに他人事とも思えない二人の事も。全てが糞喰らえだ。
 だが、何より一番に許せないのは──。
 またしてもブーツが滑る。腹立ちまぎれに踵を踏みつけ、ケヴィンは靴底のスタッドで土を刻みつけてゆく。

 先日の戦闘の余波を喰ってか、春を鬻ぐ女たちも今しばらくは片隅のモーテルに息を潜めているようであった。ケヴィンの視界に入るのはどこまでも続く闇と野放図に生い茂った甍のみ。そうして集落を過ぎ、安宿街を抜け、一直線に足跡を残しながら歩くこと数十分。抉れた土のクレーターが未だに生々しく、戦いの爪痕を残していた。

(ん、誰か来たのか)

 あちこちが大きく抉れた道の端に、真新しく土を持った小塚があるのを見つけてケヴィンは眉をひそめた。エルゴマンサーでありながら、現地民の信奉者を募って新興宗教まがいの真似事をしていた男と、それに付き従っていた少女。最期の時まで己の在り方を探していた悪夢の徒の身体は既にここにはない。核たる力を失った彼らは、かたや乾いた土くれのような粉に、あるいはタールのような汚泥の塊になり果て朽ちた。だが、魂はこの地に在るということか。
 誰が塚を拵えたのかぐるりと周囲を見回してみるが、人の気配はない。夜の雨を受けて、蛙だけがガアガアとうるさく鳴いていた。

「ここにお前たちは居たんだな」

 応える者などない。それを知って、ケヴィンは静かに言葉を継ぐ。

「ひとりシラフってのも悪いんだが、俺は飲めねえからさ」

 全部、二人にくれてやるよ。そう言って地元の商店で買い求めた安い蒸留酒の栓を抜き、塚に惜しげもなく掛け流すケヴィン。ツンと鼻を突くアルコール臭が草の匂いと交じって立ち上る。最後の一滴まで注ぎ切ると、酒に洗われた土の表面に数珠繋ぎになったチェーンが覗いているのが見えた。

 久しぶりの酒精に眼をやられたのか、目頭の奥がチリチリと痛い。喝を入れるようにぎゅっと指でひと揉み抑えてから、袂を探って口寂しさを紛らわせるために電子タバコを指先が求めた。その感触は、どこまでも冷たい。



 煙を鼻腔に入れて、ひとつ息を吸う。芳香と共に脳髄にスッと針を通したような、清涼感がケヴィンを覚醒させる。

「おい、大丈夫か?」

 呆けていたケヴィンを心配してか、見知った顔の男が声を掛けてきた。こいつは──。

「すまんね、大丈夫だよ」

 安心させるように手を振って立ち上がる。そう、いつまでもボンヤリはしていられない。何しろ、ここは戦場なのだから。上も下も分からない。分かる必要が無い。なぜなら、前後左右過去現在未来までの全てが、戦いで埋め尽くされている。命あるものも、命なきものも等しく戦うための道具である。
 そんな中で「存在する意味」と言えば、無論それは戦う事以外にあり得ない。百も承知の話だ……新兵だって耳にタコが出来るって笑い飛ばすくらいの。

(ああ、そうだ。俺は、戦うために生きて……)



 そして、敗けた。

 高揚感がぐるり、反転して酩酊から急転直下。また激しくなった雨が、頬を叩いている。

「クソッタレ」

 バッドトリップから醒めた後はいつもこうだ。あやふやな感覚の脚に叱咤激励し、前後を取り戻す。

(俺は、誰の、何で、何のために──戦う?)

 心を殺して、向き合う事から逃げた。その結果が、今ここに居る己自身だった。そのことは、よく分かっていたはずじゃないか。

「ハハッ……そう、そうだよな。俺もお前たちと一緒だ」

 この世界がどれほど居心地が良いものであったとしても──「放浪者」。ケヴィンもまた異質、なのだ。
 それは組織の中で立つ瀬を失い、寄る辺なく一人孤独に震えていた彼らも同じ、なのだろう。今回は少しだけケヴィンが先を歩いていた。来し方の末を知り、勝利を積み、改めて感情を解きほぐすことが出来た。それは幸運であり、少しのボタンの掛け違いだったのかもしれない。その差だけが、ケヴィンと、地の下に眠る者たちを隔てていた。

 ふーっと長く息を吐き、次いで大きく吸う。湿気混じりの青臭い夜の冷気が肺を満たす。

「最初からそこに『在る』のに、見えなくなるんだよな」

 それは近すぎて、当たり前すぎて意識することすら難しいような。そんな単純な一つの命題。かつて、どこかで、誰かが言った。

(われ思う。ゆえに──)

 ゆえに、である。生きるという事はかくも難しい。悩みを抱え、もがき、迷ってしまうのだ。

 その弱さを。

「分かっただろう? 次はうまくやろうぜ」

 だから一足先に行って、待っていろ。俺はこの世界に在った全てを忘れはしない。その全てが俺が今ここに居る「意味」だから。

 踵を返してケヴィンは小塚を後にする。気が付けば彼方の空がうっすらと明るくなり始めている。朝になれば、姿が見えないケヴィンを心配する者もいるだろう。そんな表情を思い浮かべて苦笑すると、彼は大股に歩きだす。不思議と足元はぬかるむことも無く、只々その足跡をしっかりと残している。

 繋がれた磔の救世主が、小さくなるその背中をどこまでも見送っていた。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
この度はご発注どうもありがとうございました。
道具であれと望みながらもなり切れなかった二人を見送っていただき、改めて感謝します。
願わくば次のご縁がありますことを。
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かもめ クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年02月18日

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