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『昨日は曇りでも』
鬼塚 陸ka0038

 お疲れ様です、と口々に言い合って誰からともなく立ち上がり、部屋を出ていく。それを椅子に腰かけたままぼんやり眺めていた鬼塚 陸(ka0038)の口からは大きな欠伸が零れた。邪神戦争の最中と比べれば、睡眠時間は充分にとれている。尤も当時から食に関しては携帯食を主食とするなど、若い男の一人暮らしらしく雑に飲み食いしていたのに対し、休む暇がないからこそベッドの質には拘り、一通り装備が整うなり真っ先に奮発して購入したものだが。可愛い嫁さんの手料理を食べ一緒に眠りと、リアルブルーでいうところのリア充真っ盛りだというのに、どうにも近頃気が緩みがちな自覚があった。
(いや、仕事は今まで通り全力でやってるけどね?)
 自分に言い訳するように胸中で呟いて立ち上がる。一人会議室に残って記録員が纏めた書類をファイリングしていたソサエティ職員がこちらを見上げ、お疲れ様でしたと労いの言葉をかけてきた。それに陸も同じように返しながらも語調は先程とは違って、緩めになっている。この職員とは旧知の仲と称するには年数は浅いものの、覚醒したての新米ハンターの頃から時々担当任務が被った関係だ。――そもそも陸が今までに受けた任務の数が尋常ではない為だが。仕事を抜きに話をした覚えはないが、相手の仕事のやり方程度は察せるだけの付き合いがある。
「別に今日に限ったことじゃないけど、手続きとか向こうとのやり取りとか凄いスムーズだから、本当助かってます。ありがとうございました」
 ふと思い立って感謝を言葉にすれば、ファイルを畳んで見返してきた彼女は暫し目を瞬かせた。
(……あれ? 僕そんなおかしいこと言ったっけ?)
 冗談と思ったのか判別し難い反応に、内心ちょっと混乱していると、職員は陸の様子を見て小さくかぶりを振った。まるでこれで最後みたいな言い方だったのでと困惑した訳を告げて、言葉を挟む間もなく一人得心する。誰かから聞いたんですね、と。むしろその一言を聞いて思い出した。
「――ああ、そっか。辞めて故郷に帰るんですよね」
 言いながらその声音に自分でも意外な程の寂寥感が篭っていて、そしてそれは目の前の彼女ともう二度と会えないかもしれない、そんな物悲しさ以外にも、今後そう遠くない日に多く別れを経験するという確定した未来を思ってのものでもあった。職員は頷き、ソサエティ職員じゃなくなっても出来ることは沢山ありますと明るく笑った。それは陸にも通じていて、勝手に背中を押された気になって笑い返す。
「応援してます。お互い、頑張りましょう」
 その言葉に職員は頷く。陸が彼女のほうへ歩み寄ると、職員もまた立ち上がって握手を交わす。手のひらは少しだけ冷たかった。今まで想像したことも触れたこともない手。それが触れ合って初めて、一人の人間としての彼女に触れたような気がした。職員は笑う。自慢の奥様に誤解されないよう気をつけて下さいねと、その言葉を聞き、むしろ嫉妬している妻を見たいと思う自分は本当に意地悪なのかもしれないとふとそんなことを考えた。浮気なんて有り得ないと信じ合えるがゆえの願望ではあるが――。自らの口から零れたさよならの一言が妙に心に響いた。

 馴染みの職員に別れを告げた影響か、会議室を出た後も陸の視線はオフィスのなんてことはない壁紙やら木製の柱へと注がれる。天窓からは夕焼け空が覗いていた。今頃はアパートのあの一室で可愛い嫁さんはご飯の支度をしているかもしれない。それともまだどこかへ出掛けているのだろうか。行きたい喫茶店があるのならなるべく早めに行きたい。そんなことを考え出すと、すぐに家に帰りたくなる。
(焦らなくてもじっくり見る機会くらいはあるだろうし)
 五年以上も世話になってきたくせに、よく見ていたのは受付の前に張り出される依頼の掲示くらいだった。昔の自分と同じように期待と不安が綯い交ぜになった表情の新米ハンターが立っていたこともあった筈。多くの人で賑わっていた光景を覚えていないのは勿体なかったかもと思う。少々不謹慎かもしれないが、戦争が終結し平和へと歩み出した今だからこそそんなふうにも感じるのだ。途中知り合いに捕まっても挨拶もそこそこに家路を辿った。気持ち急ぎ足になるのと同時、鼓動は早まり思考はクリアになっていく。
 転移したばかりの頃の陸はオトナが嫌いな子供だった。転移する以前からといったほうが正しいだろうか。全て中学受験に端を発したのだと今ならよく分かる。挫折して少し世間が見えるようになって両親の仲がクラスメイトのそれと違うのを知った。自分が親に愛されていると思えなかったし、この先も無償の愛を得られるなんて夢は全く見れなかった。その点、ゲームは陸にとって魅力的な存在だった。自分が操作した通り予め決められた道筋を辿るだけ。対戦で負けたらそれは自分のスキルが相手に劣っているからで、一人用のゲームでエンディングを見れないのは、仕様に対する理解が浅い為だ。自分が弱いせいなら、全部納得出来る。――それもここにやってきて、喰うに困ってハンターになるまでの短い間だけ思っていたことだったが。
 果たしてオトナになった今はどうだろう。出会って別れて、失って得て、結婚するにあたり今は最愛の妻の彼女と自分なりに向き合ったつもりだ。しかしまだ両親の言葉の裏が見えなかった頃に思い描いていた、理想のオトナの姿には程遠い気もする。守護者になって、大きな戦いで周囲から賞賛されるような功績を残しても一人で全部は解決出来ないし、ゲームみたいにパッと選択肢が浮かんで最善を選び取れる訳でもなくて。ただそれでも嫁さんを愛する気持ちはしっかりと陸の胸の中で根を張っていて、ファナティックブラッドに馳せる思いはあれども、この世界を守る為に戦ったことを後悔はしていない。だから。
(僕は僕なりにオトナになれたって証拠だと思いたいな)
 ひび割れた家庭から逃げ出しゲーセンに居場所を求め、友達は作っても彼女が欲しいとは思わなかった。それが一人の女性ときちんと向き合い、心から愛し、隙あらば可愛いと褒め倒して共通の友人辺りに惚気たいと思う。彼女とこの先もずっと一緒に生きる為なら、限界を超えどこまでも強くなれる。愛しい妻を泣かせたくないからなるべく自分が先に死にたいけれど、あくまでも大往生希望だ。そう思えるなら少なくとも境界線を超えてオトナの第一歩は踏み出せたのではと、そんな希望を抱いた。ハンターとしての登録名をキヅカ・リクから本来の名に戻したのも一つのけじめ。ちゃんと日本出身の鬼塚陸として生きる為に、そして、自分の為に生きるこれからを肯定するのにも必要だった。
(もし、まだご飯を作ってる途中だったらちょっとでも何か手伝いたいな)
 時たま一緒に買い物に行っては振られるままに惚気て、恥ずかしさと満更でもない気持ちの板挟みにあった複雑な顔になって脇腹を小突いてくる可愛らしい妻が見られる青果店を過ぎて、二つ隣の住民が教えてくれた献立に、もうすっかりと舌に馴染んだ味が思い起こされて腹の虫が一気に騒ぎ出す。人々で賑わう大通りを抜け、もうじきお別れするアパートの一階にある二人の愛の巣へ戻ってきて――陸は敢えてインターホンを鳴らす。少し困ったような色を混ぜて微笑む妻を想像すると、先ににやけてくるのを自覚しながら、陸は近付く足音に耳を澄ますのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
ソサエティ職員は誰がモデルでもないただのモブですが
陸さんといえば交友関係がとても広いイメージがあって、
それだけ多く人と繋がリがあるのなら別れの経験も
多いし、多くなるのかなと……過去と現在から未来へと
心境も環境も変わっていきますが陸さんの行く先が
明るいものになりますようにと、自分なりに門出を
祝福したかったので、その願いを込めて書きました。
今回も本当にありがとうございました!
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ファナティックブラッド
2020年02月18日

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