▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『奇(き)の糸』
水嶋・琴美8036

 自衛隊という組織は陸海空の三種に分かれており、それぞれの職分の範疇で敵襲への警戒と国土の防衛とを行っている。
 しかし。その三種のいずれにも含まれぬ非公式部隊があることを知る者は、自衛官の内でもごく限られた者ばかりだ。理由は単純なものと必然によるもののふたつ。
 前者は、非公式ゆえに秘匿されているから。
 後者は、その部隊が法と条約を越えて動く非合法部隊であり、さらには国土を侵す人ならぬ者どもの殲滅という、常識の枠外にある任を担うからだ。
 公式、非公式問わずあらゆる文書に記されることのないその部隊の名は特務統合機動課。名誉どころか階級すら与えらぬ隊員たちは、今日も己が使命を果たすべく国の闇裏を奔走している。
 そして。
 その内のひとりであり、わずか19という齢ながら“One”の裏コードで表わされる女性隊員がいた。
 水嶋・琴美(8036)。
 影のごとくに戦国をかき乱した名を持たぬ忍の嫡流であり、より優れた者を生み出すがため掛け合わされてきた血の結晶である、文字通りの最強。

 彼女の能力の程が垣間見える逸話がある。
 降り落ちる雨粒を見やり、思いへ沈む彼女へ、同じ任に赴く他の隊員が問うた。まさか雨に濡れない道でも探してるのか?
『いえ、この密度ではすべてを避けきることができませんから』
 雨粒の形ばかりか軌道すらも見切るは当然のことで、それをしてすべてを避けることはできない。
 彼女の返答に、隊員は背筋を震わせたという。この女は、ものがちがう。

 超常の力持つ人外と渡り合う、人を越えた手練れぞろいの隊の内でも、彼女と組むことのできる隊員はいない。置き去られるだけならばいいが、足手まといに堕ちることは明白だから。
 故に彼女は今日もひとり、人外との死闘へ踏み入っていく。


「現地へ到着しました。これより作戦行動に移ります」
 地味なパンツスーツに身を包んだ琴美が、骨伝導型イヤホン型の通信機へささやきかけた。
 平日12時の繁華街。酒精と化粧のにおいを乗せた時がゆるゆる流れゆく夜とは異なり、人々がそれぞれの目的へ忙しく向かいゆく昼食時だ。彼らの為す流れの内にはどこか、一定のリズムが感じられた。
 だからこそ浮き立つのだ、周囲のリズムをなぞらぬ調子外れが。
 あきらかに周りの人々とは目的を異とするリズムは、ビルの間を通る道を鳴らし、進んで行く。
 敵の足取りはマークしている。追跡せよ。
 本部からの指示を受けた琴美は、続く音声ガイドに従って“調子外れ”を追った。別に指示がなくとも尾行するのは容易いのだが、せっかくの心尽くしだ。ありがたく受けておくのが礼儀というものだろう。

 琴美は繁華街を抜け、人通りのない歓楽街の裏手へ至る。
 ここが目を醒ますのは、日に代わってネオンが世を照らす灯を担う夜間だ。指示は相変わらず細かな指示を伝えてきていたが……琴美は肩をすくめて言葉を返した。
「そろそろ物真似はやめていただけますか? 次に上司と会ったとき、落ち着かない気分になってしまいますから」
 彼女を導いてきた声が、唐突に切れた。
 琴美は通信を開始したときにはもう気づいていたのだ。この“声”が、本部からのものではないことに。当然、どのような手段で敵が本部の上司とすり替わったかも推察している。ただ、それはこれから実証するべきものだろう。
「小手先では届きませんよ?」
 かるく煽ってやったのは、きっかけをくれてやるため。
 戦いにおいて“先”を取ることは最重要だが、先の先を譲ったのは琴美が後の先を取れると確信していればこそだ。
 すいぶんと自信があるものだ。敵がそう思ったものかは知れないが、先に仕掛けるがためここまで琴美を連れてきた。迷う必要はない。
 ィン。空気が鳴り、弾かれたように琴美へ襲いかかった。
 不可視の刃を、琴美は鼻先1センチでやり過ごした。見切るだけならば2ミリ動くだけでいい。あとの8ミリは、刃が形を変える可能性への保険。
 ィィィィン、重なり合った鳴りは幾枚もの刃を生み、琴美へ殺到する。ビル壁を掻きむしり、褪せたアスファルトを削る刃の包囲陣は、最少のステップワークでかわす彼女を次第に追い込んでいった。
 そのただ中、琴美は半ば閉ざした眼で不可視の刃を撫で斬り、「ふっ」。呼気を噴くと同時に跳んだ。
 123456、音を完全に重ね合わせた刃が彼女を追う。足下からその脚を、腰を、胴を腕を肩を裂き、パンツスーツの断片を空へと散らしてみせた。
 そう、琴美の欠片すら混じえてはいない、スーツばかりをだ。
「もう少し見せていただきたかったのですが、これ以上は非礼になるでしょう」
 再びアスファルトを踏んで立った琴美の姿、スーツなどではなかった。
 黒のインナースーツとスパッツで固めた艶麗なる肢体に、袖を半ばから切り落とした和装とミニ丈のプリーツスカートを重ねて帯でまとめ、さらに足は膝までを覆う編み上げブーツ、手はショートグローブで鎧っている。
 これこそが琴美の戦闘衣。
 敵を滅し、彼の岸へと送るがための礼装。
 しかし、敵は衣に飾られた琴美の様に見惚れてはいなかった。ィィィィィィ、今まで以上の刃を飛ばし、琴美を押し包む。
 刃と刃の間に隙はあるが、ごくわずかなものに過ぎなかった。雨と同じだ。たとえ見切れたとてやり過ごせはしない、隙。
 琴美は唇をかすかに開かせたまま立ち尽くすばかり。それはそうだろう。打つ手などありはしないのだから。しかし、敵に先を取らせたことへの悔いも、ありはしなかった。
 果たして高鳴る刃が琴美へ食らいつき、その肉を食む――
 ィ ィィィ ィィ。鳴りのところどころが欠け、途切れた。
 かすかに身をずらしたばかりで琴美は立ち続けていたが、周囲のアスファルトが刻まれる中で、その身は無傷を保つ。
「古い業ですが、これだけの数を飛ばせるなら確かに使い処はあるのでしょうね」
 艶やかに笑み、琴美は骨伝導イヤホンへ語りかけた。

 敵の業の源は、振動だ。
 空気を振動させて生み出した刃然り、上司の声音の震動を真似た通信然り。
 昼日中の街での活動に際し、骨伝導という通信形式を与えられていればこそ、早い段階でカラクリに気づくことができた。それがなければ、少なくとも敵の初手で戦闘衣を露わすこととなっていただろう。ここまで進めてきた仕掛けもまた、張るまでにもう少し手間がかかったはずだが、ともあれ。
 琴美は喉を繰って刃の幾枚かと共振する“音”を放ち、相殺して隙をこじ開けたのだ。

「十分な準備をしてお誘いくださったのでしょうけど、私を策へ搦める前に溺れてしまっては本末転倒ですよ」
 両手の内へ滑り落とした棒手裏剣を放つ。
 ギッ! 甲高い濁音が爆ぜ、不可視の糸の切れ端がふわふわ、風に舞い流れていく。それはこの一帯に張り巡らされていた糸の一本である。これが空気を鳴らし、刃を飛ばしていたのだ。
「この間合は悪手でしたね」
 琴美に仕掛けを見破られぬよう、戦場の端を包むように張られた糸は、琴美へ仕掛けの特性を観察するだけの距離――すなわち時間を与えた。
 刻々と断ち斬られていく糸。
 敵にできることはもう、姿を晒すより先に逃げ落ちることばかりだった。

 このままでは終わらない。空気に残された念の残滓に、琴美は薄笑んで。
「ええ、挨拶の次の歓談、楽しみにしています」
 敵を追い、踏み出した。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年02月21日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.