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『相(しょう)の糸』
水嶋・琴美8036

 自衛隊内に秘匿され、法の及ばぬ闇を任地として駆ける特務統合機動課。所属する者は皆、埒外の力を持つ人外と渡り合える超人ぞろいではあったが、彼らをして化物と呼ばしめる女があった。
 それこそが水嶋・琴美(8036)。名を持たず、ただ最強たるを目ざして血を繋ぎ続けてきた忍の嫡流であり、名を語られることない“課”の絶対的エースである。

 逃げた、ということではないのでしょうね。
 琴美は迷路さながらな路地を行く中、口の端を吊り上げた。
 先の戦いで敗走した“糸使い”は、その逃げ道の端々にかすかな痕跡を残している。どれほど訓練された兵士であれ見出すことは不可能な、しかし正しく業(わざ)を受け継いだ忍ならばかならず目を止めるような代物を。
 つまりは忍というわけですか。
 悪意持って顕現する人外は、大概がこの世界を侵すより早く討伐され、影すら残さず消え失せる。
 しかしその内には、迎撃を返り討って人の皮を被るものや、果てる際に討伐者へ力を吸われ、埒外の能力をもたらすものもある。
 どちらのケースとも琴美は対してきたし、討伐してもきたわけだが……このやりようを見れば、後者であろうと予測はついた。
 元は人。心身を鍛え上げた特務機動課員であれ、それを誅することにいくばくかの迷いを覚えるものだ。人は、そうそう情を捨てることなどできはしない。
 しかし琴美に迷いはなかった。
 人であることを捨てただけの価値が願いにあるものか、私は計らなければなりません。どのみち世界を侵そうというなら、私を越えていく必要があるのですから。
 自分を斃せるならば願いを叶える資格がある。それを試すため、逃げず、隠れず立ちはだかることは、自らの不敗に絶対の確信を持てばこそであり、一抹の――されど深き情けでもあるのだ。

 路地を抜けた先は、数十メートル四方の空き地だった。
 とはいえ土が剥き出されているわけではない。コンクリートで固められており、ところどころから錆びた鉄骨が突き出している。ビル建設の基礎工事が途中で放棄されたのだろうか。
「糸を張るなら路地のほうが容易いのではありませんか?」
 琴美の言葉に応えるものはない。ただ、空気が押し詰まりゆく“圧”ばかりが増していく。
 ひとりではありませんね。ふたり、3人。
 先の糸の陣は甘さと粗さが目立つものだったが、それはどうやらひとりきりであったかららしい。
 琴美は息を絞り、かるく腰を据えて空き地へ踏み入った。準備はいいかと訊かなかったのは、応えはないだろうし、琴美を誘い込んだ以上はすでに整っているだろうからだ。
 ィゥェン。高中低、3音が空気を震わせ、震動が生み出した不可視の刃が3枚、琴美へ投げつけられる。
 高音の刃は迅く、鋭い。
 苦無の鎬に「ィ」の刃を滑らせていなし、さらに前へ。
 中音の刃は長く、強い、
 切っ先で「ゥ」の刃をなぞりながら、サイドステップ。
 低音の刃は遅く、重い。
 柄頭で「ォ」の刃を突き上げて下へ潜り、琴美はそこに生えていた鉄骨を蹴って反転、間合を外した。
 その琴美を追い、ゥィェェゥィェィゥ――速度と質の異なる三様の刃が八方より飛び来たる。先の教訓を生かす形ですでに、糸の陣で周辺域は固められているわけだ。
 とはいえ、仕掛けがなんであるかはもう知っていますからね。
 琴美という一点目がけて降る刃を回り込むように駆けて置き去り、彼女は手に抜き落とした棒手裏剣を123、投じる。狙いはもっとも自分から近い音の発生源、すなわちそこへ張られた糸。
 だが、手裏剣は糸を断つことなく落ちた。
 ォォォォン、刃を振り出さず、太く震えた糸に叩かれて。
 低音は高音よりも振れが大きいものだが、これは糸の張りを緩めて揺れを増大させたということだろう。
 奏者は3人。しかし操糸は共有、ですか。
 張られた糸のすべてを三者で共有している。そのためにひとつところへ集まっている――ことはないはずだ。一網打尽にされる愚を、これだけの業を使う者どもが犯すはずはない。
 息を合わせる手段がどこかにあるのでしょうね。
 琴美は詰めていた息を吹き抜き、ボクシングスタイルのステップを踏む。前後へ小さく、跳ねるより滑るように刻んだリズムは、「あらゆる攻めを踏み抜ける」ことの意志表示だ。
 果たして先よりも細かに紡がれた3音が琴美を襲う。
 同じタイミングで飛んだとて、同時には届かぬ異質の刃。しかもそれが不協和音を連ねて弾かれるのだ。
 留まるここも踏み出す先も、もれなく刃に塞がれた琴美だが。
 先の戦いでも見せた相殺――喉を鳴らし、刃を為す震動へ共振させて打ち消す業。“山彦”と呼ばれる術の応用である――で数枚の高刃をかき消した彼女は、両手の苦無の柄頭同士を付き合わせ、反動をつけて突き出した。
 !?
 もっとも効果範囲の広い中刃が、苦無に触れた端から砕け散る。
 これもまた相殺であることにはすぐ思い至ったが、だからといってこの短時間で震動数を読み切れるものか!?
「一合受けてみれば、おおよそは計れるものです」
 戦いの始まりにただ一度、3枚の刃を受けただけで……潜みし者どもは驚愕したが、まだだ。まだすべてを見せたわけではない。

 琴美が遅れて飛来した低刃を苦無で弾く。
 重い刃は震動をぶらしながらも行き過ぎ、そして――ィン。跳ね返った。
 これは。
 背後からの返し刃を苦無の震動で相殺、琴美は駆ける。
 彼女を追う三様の刃。高刃は跳ねて低刃に。中刃は跳ねて高刃に、低刃は跳ねて低刃のままに。そこここで跳ね返る刃は様を変え、または変えず、斬り下ろし、横薙ぎ、斜めに突き上げる。しかも、そればかりではない。
 刻々と刃は数を増し、いつしか琴美を無間の包囲陣にて取り巻いた。
 琴美は神懸かった捌きで凌ぎ続けるが、包囲はすでに彼女に身じろぎすらままならぬほど押し詰めている。
 と、その中で。琴美が1枚の刃を相殺した。ただ1枚と奏者どもは嗤ったが、彼女にとってその1枚こそが、勝利へのきざはし。
 空いた隙を利して振り上げた右の踵が踏み下ろされた。埋め込まれたヒールは研ぎ上げられたパイルだ。それが突き抜いたコンクリートの奥で、ぶつり。なにかが断たれる。
「数によらず、糸を繰るには引く必要があります」
 琴美の脇をすり抜けた刃が、跳ね返ることなく消え失せた。
「そして張り巡らせた糸を自在に繰るならば、当然元となる操糸があり、それは自身の攻めで断たれる心配のない場所に隠しておかなければなりません」
 投じられた棒手裏剣が、張られた糸の1本を捉えて断つ。震動による抵抗はなかった。
「あなたがたの攻めは、けして私の足下から突き上げてはきませんでした。だとすればどこにあるものかは予想ができます」
 艶やかな笑みをうつむけ、示す。すべての糸と繋がり、繰り手の引きを伝えていた“元”の糸は、コンクリートの下に張られていたのだと。
「あとは元の糸の結び目がどこにあるものかを、攻めの偏りで計るだけ」
 三奏者は各々別の場所へ潜んでいる。しかし、すべての糸が共有されていた。だとすれば、奏者どもがそれぞれ握る元の糸もまた、ひとつところで結ばれていなければならない。その結び目を、琴美は駆ける中で探り、見出したのだ。

「歓談を続けるよりも、そろそろ本番の式を始めましょうか」
 琴美の促しに、ぞろり。三方より殺気が沸き立った。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年02月21日

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