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『点(てん)の糸』
水嶋・琴美8036

 水嶋・琴美(8036)は両手の苦無を逆手に握りなおし、腰を据えた。
 三方より沸き立つ殺気が、特殊繊維で織られたインナースーツに鎧われた肌をひりりと逆撫でる。その、有機質でありながら金属めいたざらつきを含めた肌触り、敵が人外であることを示していた。
「人ならぬものが人の世を脅かす……とんだ執着心ですね」
 あえて声音を伸ばせば、その音は「ィ」、「ゥ」、「ェ」の高中低音にかき消される。敵どもが備えた操糸の揺らぎは、すでに不可視の震動刃を放てる状態にあることを示していて。

「敵方(パートナー)のお顔くらいは拝見しましょうか」
 首を逸らしてィの高刃をくぐった琴美は、さらに背を反らしてゥの中刃をもくぐり、苦無の切っ先をコンクリートへついて後方へ一回転、ェの低刃を前へ残したブーツの踵……そこから伸び出すパイルで受けた。
 重い低刃は止められてなお琴美を押し込むが、それはすなわち、より実体に近いということでもある。
 果たして低い震動を足がかりに、琴美は上へ跳んだ。先ほどまで張られていた糸の陣は、元糸を断ったことですべてが緩み、彼女の跳躍の妨げにはなりえない。おかげで悠々と見渡し、見下ろすことができた。
 彼女を取り囲んだ3体の敵は、蜘蛛。ただし頭部には引き歪んだ男の面がある。
「握手どころか手を預けることもできませんね」
 人面蜘蛛には当然、手というものがない。ダンスパートナーとはなりえないわけだ。ならば、ひとりで踊るよりあるまい。
 蜘蛛どもは尻から噴いた糸を第二脚で絡めて張り、第一脚で不規則にかき鳴らす。不協和音によるでたらめな合奏が、地へと落ちる琴美を迎え討った。
 対して琴美は高刃を喉鳴の共振で消し、柄頭を打ち合わせて震動させた苦無で中刃を相殺し、低刃をパイルで踏んで横へ跳ぶ。――だが、高度はすぐに失われ、彼女は着地を余儀なくされた。
 糸を張りやすい路地ではなく、あえて広場を選んだのはこのためですか。
 足がかりを与えぬことで、琴美の立体殺法を封じる。思えば高刃の主とのファーストコンタクトポイントからして閉所ではなかった。
 こちらの業(わざ)の有り様を知られていることには驚かない。そもそも敵は上司の声音を真似て通信をジャックし、誘導してきたのだから。
 もう少し楽なペースで進めるつもりでしたが……
 踏み出しかけて、琴美は我が身を鋭く翻す。脚を沿わせる軌道に、揺らぎを感じたのだ。
 抜き落とした棒手裏剣を打ち鳴らしながら八方へ投じれば、下へ向かわせたものばかりが響きを濁らせ、あるものは弾かれて、あるものは力失くして墜ちた。
 蜘蛛どもは上へ跳んだ琴美の死角を縫って飛ばした糸で、陣を張ったのだ。上へ伸ばすのではなく地を這わせ、琴美の足場を潰すように。

 ェゥィン。低刃を中刃で押し包み、さらに高刃を重ねた“ひと振り”が、糸陣の方々から飛び上がった。
 密度こそ減じてはいたが、跳躍を封じられた琴美が共振と相殺を駆使したとて、最後の低刃はかならずや届く。
 琴美は身じろぎすることすらかなわず、刃を消し、受け止め続けた。
 低刃の重さはどれほど巧みに流しても、強ばった筋肉へ疲労を蓄積させる。さて、いつまで腕を上げていられるものか? 蜘蛛どもは表情のない表に喜悦を湛え、さらに糸を弾く脚を速めた。
「この数なら充分です」
 琴美のうそぶきを、蜘蛛どもは理解し得ない。なにかが始まろうとしていることばかりは人のものならぬ本能が知らせていたが。虫の知らせよりも今の優位に捕らわれたことが、命運を決めた。
 琴美は無数の刃から、共振と相殺をもって高刃と中刃を削ぎ落とし、残る低刃をグローブまとう掌でなぜた。
 もちろん、ただの掌ではない。日本古武術において“通し”と呼ばれる、衝撃を乗せた掌だ。
 衝撃とはすなわち震動。低刃に巻きついたそれは、本来あるべき震動数と行き先とを変える。結果、高中低のどれとも異なる揺らぎの刃が成り、落ち行く刃は陣を為す糸に弾かれることなくコンクリートへ突き立った。そう、糸を断ち斬って。
 わずか数瞬で量産された新たな刃がすべて消え失せたころにはもう、琴美の足を遮る陣もまた消え失せていた。
「推して参ります」
 紡いだ言葉を追い越し、琴美が高刃の蜘蛛へ駆ける。
 蜘蛛は地へ噴きつけた糸を交差させ、防御盾を成す――と、その編み目の隙より伸び出し来たものが、人面の額へと突き立ち。それが琴美の踵であることへは気づけぬまま、皮と骨とを穿たれ、脳を貫かれて倒れ伏した。
「揺らす間がなければ、どれほど強靱な糸であれただの糸に過ぎませんよ」
 骸を蹴り飛ばしてパイルを引き抜き、コンクリートへ突き立てて、跳ぶ。
 中刃の蜘蛛は、その軌道上へ震動刃ならぬ糸を伸べた。糸という実体あれば、たとえ相殺されようとも搦め捕り、引きずり落とすことができる。
 が、跳躍した琴美の体はなぞるべき弧を描くことなく、転じた。足場は存在しないはず、それがなぜ?
 知ってしまえば単純なカラクリである。琴美は先に陣として張られ、残されていた蜘蛛の糸を手がかりとしたのだ。
 糸は張られてこそ揺らぎ、捕らえる罠となるもの。行き場を失った糸を引き戻すこともできぬまま、中刃の蜘蛛は弾みをつけて降り落ちた琴美の苦無で脳天を突き下ろされ、絶命した。

 一方、同胞が討たれる間に間合を離した低刃の蜘蛛は、慎重に糸を噴く。1メートルほどの糸を幾本も、周囲へばらまく真意は知れなかったが、意味があるのだろう。たとえば、そう。
「もう1匹、隠れていますね」
 自らが討たれることよりも場を整えることを優先するとなれば、答はおのずと割り出せる。それにしてもだ。この3体も十二分の力を備えていた。それを捨て駒として使い潰すを惜しまず、気配すら読ませずにながめやるとは、いったいどのようなものなのか。
「糸を遺す以上は同じ蜘蛛ということなのでしょうけれど、場所を移さなくていいのですか?」
 もっと優位な場所へ戦場を移したいならかまわない。問いへ含めた琴美の不敵に、低刃の蜘蛛はがらがら喉を鳴らしてみせた。余計な気づかいよりも我が身を案じろということか。
「余計な気づかいをしたのはどちらでしょうね」
 駆け抜けざまに蜘蛛の頸を一閃して落とし、琴美は宙へ舞い散る糸の行方を視線で追った。
 繰り言となるが、埒外に強靱な糸とはいえ、張られていなければなにを為すこともかなわない。先に手がかりとして切れた糸を用いたが、それは先がビル壁に貼られていたからこその芸当だ。
「っ」
 考えるより迅く、琴美は飛び退いた。
 なにを感じることもできなかったが、確かにそれは琴美の肩口から脇腹までを斬り下ろさんと降り落ちたのだ。
 ォン。今になって、鼓膜が痛む。固く縒られていた糸が解け、ようようと有り様を顕わしたかのように。いや、実際にそうなのだろう。
 これは……極限まで押し詰めた震動を針として飛ばす攻め、というわけですか。
 刃ならばその線状に引き伸ばされた揺らぎを見切ることも難くはないが、針となれば当然、その揺らぎもまた極小に抑えられる。ましてや今、琴美にはどこから針が飛ばされたものかが見えなかった。

 琴美は息を止め、重心を高く置き換えて、爪先を立てる。
 今日の宴の主賓が登場するのだ。技と業とを尽くしてもてなそう。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年02月21日

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