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『熾』
Ashen Rowanla0255


 ぎちり、と壁が鳴る。風は穏やかであるが、夕刻ともなれば冷え込みは館全体を薄墨のヴェールで覆い隠しており、グロリアスベースに移築された西洋造の邸宅はその木壁を小さく軋ませていた。館の主であるAshen Rowan(la0255)はアームロックチェアから僅かに身を起こすと、壁の時計に目を遣る。
 時の流れすら曖昧になったこの部屋で、長針と短針は時刻が宵の口であることを示している。南国の島国からベースへ帰還して以来、Rowanはこうして物思いに耽ることが増えていた。傷はとうに癒えていたが、一連の邂逅と共に抱くようになった想いが、彼を思索の檻へと押し込めている。時折り館に住まう者共が主の気配を窺いこそすれ、いつにもまして余人を遠ざけるばかりのRowanに在ってはその心中を推し量る事は誰にも出来ないことであった。

(終わった……な)

 何度目だろうか。そんな益体も無いことを思いながら、彼は手にしたシガリロをもう一度深く吸い込み、肺の中へその煙を満たす。自家製の調合で作られた葉巻の風味を噛み締めるように飲み込んで、Rowanはゆっくりと目を閉じた。瞼の裏には、先日まで追いかけていた少女の姿が微かにぼやけて映る。

『アレ』を手に掛けたことに、一切の後悔は無い。ナイトメアであるという事を抜きにしても、彼女が周囲に禍を為す存在だということは「視えて」いた。それはどのような過程を経ようとも、避けられない事実であった。

 だから、故に、殺した。

 他に手立てが無いのであれば、存在自体を葬り去るしかない。それをすべきも、為したのも、彼であったと唯それだけの事である。そこに情緒も余白も無いのであるから、Rowanが慚愧の念を覚える謂れは無い。

(今は?)

 時間の感覚があやふやで、元より薄暗いこの屋敷では鎧戸を落とした部屋の中で外の様子も知りがたい。部屋を出れば無論、仔細を知る者も控えてはいるのだが、気だるさに身を任せてRowanはそのまま椅子へと身を鎮める。
 その代わりに、全てを忘れるように深く、火酒を煽った。純粋な酒精の辛さが、口腔から喉を通って胃の腑を焼く。刺激によって存在を思い出したかのように動き始めた五臓六腑が、魂の奥に沈んでいた原風景をぷつ、ぷつと泡のように吐き出していた。



 五感の全てを、暴力的なものが支配しつくしていた。

「みんなは、彼女は──どこ?」

 呼びかける声に応えるものは無い。否、そもそもその声は形を成していたのだろうか。
 瞼が、髪が炎に巻かれて灼ける。瞳には明々と燃え盛る木々の朱が焼き付いている。口の中には鉄錆を噛んだようなぬるりとしたものが、さも当然かのように居座って離れない。

 突如として、森の中の幸せな日々は全て幻想へと崩れ去った。穏やかな桜色の半月の事をRowanは好いていた。それは少年の無垢な思慕であったが、確かに彼の胸の内にあった。その幼き日々は、音を立てて瓦解した。半月はLunaと共に狂気となり、深紅の三日月が自らの手で慈しむべき子らをその手に掛けていった。
 Rowanは──あどけない少年と言っても過言では無かったが、それでも一人の魔術師であったのだから、その狂った行いを止めるだけの力はあった。だが、僅かばかりの逡巡が全てを過去のものとした。

 風にそよぐ穏やかな木洩れ日も、どこまでも澄んだ星の夜も、暖炉を囲んで食べたあの甘さも。そして指を通る滑らかな射干玉の紬糸も。全てが白く灰となって消えた。その仔細を当時の「僕」は認めることが出来なくて、逃げてしまったんだ。

 ああ。逃げて、逃げて。身に刻まれた傷がその意味を風化させ、心が引き攣れて掠れてようやくたどり着いたその先に。いつかの半月の残光を見てしまったが故に、僕は、またしても三日月を。



 カラリ、とグラスに入れた氷の塊が溶けて音を立てる。またしても、意識があいまいで。喉が爛れたように熱く、何か滋味を求めていた。Rowanは天を仰ぎ、右目を軽く抑える。眼球の裏に星が瞬き、いつかの月の光が幻燈となって映った。そのまま、口の中に放り込むのはあの日と変わらないロクムである。皆と共に取り集めたクルミをふんだんに使った、幼心の味。どろりと疲れた心を蕩かすように苦くも甘いその菓子を、幼心と共に飲み込んでRowanは身を起こす。

(俺は、『僕は』、あの時に殺すべきだった)

 殺すべきだったのは、もしかしたら自分自身だったのかもしれない。そうできなかった自分を、今も追い求めている。故に、『魔女を殺す』。彼の命題に誰一人として例外は、ない。

『アレ』が生きる意味に、たったひとつの居場所にどこまでも恋焦がれていたように。Rowan自身も追い求めている。その無垢なまでの愚かしさを慈しむことも出来たが、Rowanはその芽を手折り、躙った。唯、『アレ』が魔女であったが故に。Rowanが魔女を殺す者であったが故に。それは必定であった。

 彼は語らぬ。寡黙にして怜悧な夜の闇は、その瞳越しに逸れを見つめる。感覚の無い右手で、灰受けに残った僅かなシガリロの火種をもみ消してRowanは立ち上がる。

 きしりと、どこかで何か苦し気に音が鳴った。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
この度はご発注どうもありがとうございました。
炎というものは、明々と燃え盛る状態よりも、炎が収まって青白く熾火となっている時の方が温度は高いそうです。
残り火とも呼ばれるその熱量のように、Rowanさんの内面に燻ぶるものを描き出せていれば良いのですが。

時節柄、体調不良の声もあちらこちらから聞こえてまいります。どうかご自愛ください。
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2020年02月25日

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