▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『現実は空想に程遠く』
柞原 典la3876

 二月に入った途端、急に世間が浮かれ出したと感じたのは柞原 典(la3876)の思い違いではないだろう。主に若い女をターゲットにした広告は意中の相手のみならず、知り合い程度の男から同性の友達、終いには自分へのご褒美などと年々その範囲を広げ続けている始末だ。――しかしそれも今日で一区切り。二月十四日、バレンタイン当日の街並みを典は一人で歩いていた。その両手には紙袋がぶら下がっており、二つずつ重ねたそれが歩く度に擦れてガサガサと音を立てている。全て中身がぎっしりと詰まっている為、それなりに重量もあった。道を歩いていても人混みがあれば邪魔臭そうに睨まれるのだ、公共交通機関に乗ろうものなら周りからの顰蹙を買うこと請け合いである。とはいえ相手が女なら典の顔を見るなり文句を飲み込み、男も小声で捨て台詞じみた独り言を呟く程度で、わざわざ因縁をつけてくることはなかった。――来たら来たで正当防衛に収まる範囲で反撃するだけだが。
(まあ、警察沙汰になっても面倒やし、来おへんに越したことはないわな)
 こういう日に絡んでくる連中は妙に殺気立っていると、経験上よく理解している。思いながらも特に人目を忍ぶでもなく帰路を進んでいく。自分の都合のいいように相手を動かそうと言葉や表情を取り繕うことはあれど、自分に利益をもたらすか、不利益を被らせるか不明な者に割く労力は無駄。本来なら気が休まる筈の自宅に帰った後を考えると面倒だが、そこは得もあるのだからと割り切った。と、
 あの、と呼び止められて典は足を止めた。振り返れば一人の若い女が立っていて、目が合うとすぐに逸らされる。何ですかと淡々と訊くと、女は鞄から箱を取り出し受け取ってくださいと、まるで一世一代の告白をするように典の目の前に差し出してくる。
(まだ増えるんかいな)
 若干煩わしく思うが、利用出来るものは利用する主義なのとどのみちこの大きさなら誤差の範囲だと判断し、にこやかに微笑み、下から掬いあげるようにしてそれを手に取る。
「おおきに。帰ったら開けさしてもらうわ」
 と言えば、女は恐る恐るといったふうに顔を上げ、安堵にはにかむ。目の前にいるのが他の男なら、この顔にころっといったかもしれない。しかしそんな愛らしさも典の心に響くことなく、貼り付けた笑顔と薄っぺらい言葉を返されたことに満足した女はぺこりと会釈して小走りに去っていった。その進行方向が自分と逆なのを確認し、後ろをつけられる懸念が薄まると、適当に袋の中に箱を突っ込み、気を取り直して再び歩き出す。
「……しっかし、知らん顔やったけど、どっかで会うたことあったやろか」
 こんな道端で手渡されたとなると向こうが一方的に知っている確率も高いが。もしかしたら二言三言程度は話したことのある相手だったのかもしれない。どのみち覚えていないということは何か得を与えてくれたわけではないだろう。こちらも知っているていで話しかけられなくて助かった。息をつき肩を軽く回して今度こそ自宅へと帰る。

 ポストの分も回収して自宅の鍵を開ける頃には薄暗く、一旦紙袋を玄関脇に立てかけて照明をつけると、再び持ち直して部屋に入った。本当なら先に風呂に入り、汚れを全て洗い流したいところなのだが二度手間になると目に見えているので、ネクタイを緩めるに留め、リビングのテーブル脇にゴミ箱を引き寄せてからどかりと腰を下ろす。そして、紙袋の中に手を入れると、まず一つめを掴んだ。
 リボンに挟まれているのは手書きのメッセージだ。目を通すだけ通して、抜き去るとそのまま流れでゴミ箱へと放り込む。リボンを解いて雑に包装を破った。箱を開き現れたのは、明らかに手作りのチョコレートだ。チョコペンで書かれたらしきハートを無感情に見下ろし、すぐ蓋を閉じる。
「想いがこもっとるとか、クソ重いねん」
 吐き捨てるように呟き、ゴミ箱に落とす。中のチョコが跳ねて乾いた音をたてた。好きだの愛してるだの付き合ってだの、一方的に投げつけられる気持ちがどれだけ厄介かなんて言う側は頭にないのだろう。その癖、自分の中の理想と現実がかけ離れていれば恋愛感情というものは簡単に冷める。冷めるだけならまだしも、その重さが憎悪に反転する場合も多々あるのだから、実に面倒だった。工場に勤めているときに見た検品作業のように黙々と箱や包みを取り出しては手作り品をゴミ箱に捨てる。食べるなり使うなりしようと思うのは既製品のみだ。有名ブランドのチョコだけでもかなりの数にのぼるので、当面チョコ尽くしになりそうだが、限度はあれどそれ程頓着はしないので、食べられる内は普通に食べる。うんざりしたら横流しをするか捨てるかしよう。いかにも高価そうなゴテゴテしたシルバーアクセサリーは典の好みではなかったが、会う際に身につければそれだけで上機嫌になる筈だ。送り主が誰か確認し、テーブルの隅へと置いておく。
 手作りには昔から、それこそ子供時代からずっと良い思い出がない。一体いつ誰が言い出したのか、女子の間で『おまじない』が流行っており、格好いいと他のクラスは勿論、余所の学校の女からもチョコを貰うことが多かった典はその標的にされることも多々あった。一個でも気色が悪いのに、いくつもその手のものが混じれば、嫌にならないほうがおかしい。中学生の時分にそんな経験をした典はそれ以降、手作りと見るや『おまじない』がかけられているか否かに拘らず、容赦なく今の対応を取るようになった。
「お返しとか一回もしたことあらへんけどなぁ」
 中身だけ見れば市販の物と勘違いをしそうになるガトーショコラも箱に店名や住所のプリントがないので手製と判断し捨てる。尤も持ち運びが相当雑だったのもあってかなり崩れていたが。財布にネクタイ、ミニボトルのワインなど、この歳になると相応に値段の高い贈り物も多い。明け透けに、財力で殴ってくるほうが典からすれば楽だ。
 バレンタイン以外だとクリスマスもプレゼントをよく貰う機会だが、特定の女と過ごして勘違いされるのが嫌で、施設を出てからというもの仕事以外の用事で外出することが全くなく、後日渡されるくらいだが、典も用意していて贈り合うなんてことは一度もなかった。一貫したある意味では全員が平等の対応である。昨年にタダ飯が食べられるということで参加したクリスマスパーティーでもプレゼント交換が必須と聞き、正直悩んだ。そのときは結局、
(誰にいくかも分からんのに俺の送ったもんが当たった相手の手元にずっと残るとか嫌やし、菓子やったらすぐ食って箱もそんな取っとかんやろ)
 と俗的にいう消え物にしたのだった。記憶だけならじきに風化する。後に何も残らないほうがいい。
 ようやく最後、四つめの紙袋に着手して、一番手前の箱を手に取る。ビリビリと包装を引き剥がし、入っていたメッセージカードに視線を落とした。真心を込めてという文字だけが脳内に入って通り過ぎる。アラザンが散りばめられた透明の袋入りのそれごと、こんもりと積もったゴミ箱の中にぐっと押し込んだ。
「見る目ないで、自分ら」
 ゴミ箱を見て、届く筈もない言葉だけ返すと、典はまた分別に取り掛かった。日付が変わってもこれが終わるまで典のバレンタインは終わらないままだ。これでも転居して日が浅い為、前と比べて少なめである。シャワーを浴びて眠るのを目標に夜はまだ続く。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
最初か最後か、それとも二つめ三つめの紙袋なのか、
帰り際に渡されたプレゼントがどれかさえ典さんは
憶えていない……というか憶える気もないのかなと
思いつつ。紙袋四つは多過ぎるようにも思いますが、
結構嵩張ることを考えると手で持って帰れる範囲の
少なめはこれくらいではと考えこの量にしています。
モブの女性への喋り方が敬語→奈良弁にというのは
サービスとして意図的にはそんなしなさそうですが、
天然タラシ(でも情はない)的な感じで出ちゃって
そこに女性がぐっとくるイメージでやりました。
今回も本当にありがとうございました!
シングルノベル この商品を注文する
りや クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年02月26日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.