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『儚くも美しき実像の君よ』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)

 突如奥の方から聞こえた物音に、店番をしていたシリューナ・リュクテイア(3785)は片眉をあげてそちらを見遣った。振り返る拍子に、見た目程は重くない髪飾りと髪が揺れ動く。少し前にやってきた客が大量の商品を購入していったので、棚に空白が増え、魔法薬などを補充し始めた矢先だった。もしもこの場所に事情を知らない者がいれば、物盗りが出たと言われてもおかしくない騒々しさである。しかしながらこの店の主人であり十中八九その筈だという心当たりがあるシリューナは落ち着き払って、瞳の奥に僅かな期待という名の興奮を滲ませながらも、あくまで冷静に入口の扉にCLOSEDの札をかけ、音のした方向――店の奥にある自室に向かうのだった。

 時は少し遡り、今シリューナの部屋には彼女の妹分兼愛弟子であるファルス・ティレイラ(3733)がいた。職業はと問われれば、なんでも屋だと答えるティレイラだが、その実仕事内容の大部分は本性が竜族の証である翼や一族が持つ特殊能力の空間転移を活かした配達となっていて、今日もシリューナ宛の荷物を運び、店仕舞いをしたあとに魔法の修行をつけてもらおうと残り僅かな営業時間を待って退屈に過ごしていた。いつもなら倉庫整理をしたり、掃除したり――師匠の為に何か出来ることはないかと動き回るところだ。それは単に献身性というより、好奇心旺盛でじっとしていられない性分ゆえの行動だが。話し相手もなしに他人の部屋で時間を潰すのは思いのほか面倒なものだ。休んでいなさいと言われ転がっていたベッドで休憩するのにも飽きると、ティレイラは上体を起こして、きょろきょろと辺りを見回す。美術品の鑑賞が趣味のシリューナの部屋はとてもセンスが良く、ただ色気より食い気の自分にとっては、どれも見慣れているのもあり興味が湧かない。そんなことを考えているとぐぅとお腹の鳴る音が静けさの中に響く。
「うぅ〜お腹空いたなぁ。……お姉様、何かおやつとか置いてないかな?」
 動き回ったり魔力を消耗すればその分だけエネルギーもまた消費されて、ティレイラの気力を削ぎ落とす。お腹を押さえつつ心細げに呟くも、ここにシリューナはいないし閉店まではまだ少し時間がある。当然、お茶とお菓子を持って来てくれる筈もなかった。キッチンまで行って拝借しようかなどという考えが脳裏をよぎるが、さすがに食欲よりも理性が上回る。とはいえ何かしていないと空腹でどうにかなってしまいそうなので、ティレイラはベッドから這い出た。そわそわと落ち着きなく視線を巡らせたところ、ふと、部屋の隅に置かれた段ボール箱に目が留まった。
「もしかしたらお姉様がお菓子を隠していたり――わあっ!」
 歓声をあげたのは、期待通りの物がそこから見つかった為――ではなく、予想外ながらティレイラの興味を掻き立てる物が並んでいたからだった。しゃがんで覗き込むのはやめ、一旦封をし段ボール箱を抱え持つと部屋の中央に持っていって再び開く。そして抱えあげるようにして、中に入っていた物を手に取った。
「すっごく綺麗……」
 うっとりとした声でそんな独り言を零す。入っていたのはガラス細工だった。色をつけて花瓶に飾ったら本物と見間違えそうなとても精巧な花に、仔猫や金魚、イルカに赤ちゃんと、様々なモチーフのガラス細工が沢山、透明の梱包材に包まれる形でその箱の中に綺麗に並べられている。飾り棚には置かず隠されていたのもあってどれもティレイラに見覚えはなく、何よりその美しさを見て、あっという間に虜になった。火に関する魔法以外は極端に疎いのでよく分からないが、魔力を帯びているのは確かなので魔法を使って作られたのかもしれない。花などは本物をそのままガラス細工に変えたようにも思えた。サイズを除けば、他も実物かと見紛う程のリアリティーがある。次々と取り出しては眺め、満足がいけばまた次とティレイラは夢中になってそれらのガラス細工を鑑賞していく。今ならシリューナのあの趣味についても共感出来るような気がした。空腹もいつの間にか忘れてしまう。
 ほぅ、と感嘆の息をつき鑑賞のついでに、段ボール箱の中に入っていたそれらとは違う性質の何かを手に取る。それは端的にいうならば鏡の部分がない手鏡だった。もっと的確な例えがあるようにも思えたが喉の奥で引っ掛かって何の用途に使う物かも思い浮かばない。しかし現実には存在しない物には違いなく、恐らく魔法道具の類なのだろうと思う。どうせ自分に扱える代物ではないとひどく雑に扱っていると、突如ティレイラの手元でカチッと音がした。
「今の、何だろう?」
 指先に引っ掛かる感触があった。自問しても答えは見つからず、ただ胸騒ぎが急激に膨らんだ。と、その疑問に答えるかのように視界に変化が起きる。
「――何これ。シャボン玉……?」
 呆然と呟いた後になって気付く。今持っている魔法道具によく似たこの世界にある物――それはストローを使った小さなシャボン玉ではなく、例えば、人間を丸ごと包み込める巨大なシャボン玉を作る為の輪っかだった。しかし今更気付いたところでもう遅いと言わんばかりに、目の前に現れた魔法の膜は異常に大きく膨らんでいく。瞬く間にティレイラの頭上を超え天井につきかねないサイズにまでなった。
(これはヤバイやつだ!)
 直感的にそう思い、人間の特徴はそのままに、翼や角、尻尾を生やした形態に咄嗟に変身するも倉庫ならまだしもここで飛び回ろうとするのは難しく、殆ど這うような姿勢で無意識にリミッターをかけたまま、そっと羽ばたき逃げようと試みる。しかし、狭い空間かつ扉も閉まっている為、焦りでドアノブを回せないでいるうちに面から半円状、半円状から円状に広がった膜に尻尾の先から飲み込まれてしまった。ティレイラがそれに気付いたのは、
「やだ、何で開かないの!?」
 とドアノブと格闘している時で、そして目の前をゆらゆら虹色に揺らめく膜が覆い隠した瞬間でもあった。閉じ込められてまず喉に手を当てるが、呼吸は普通に出来そうだ。となれば抜け出す為に膜を破ろうとしてみる。どう見てもシャボン玉なのに、まるでゴムで出来た鞠のような弾力があり、全く以て割れる気配もない。やだとお姉様、助けての三つの単語を譫言のように喚きながら中であたふたとしていると、しまいには膜がじわじわと萎み出した。
「やめてっ」
 どれだけ悲鳴をあげても遠く別の部屋にいるシリューナに届くかどうか。もはや混乱の極みにあるティレイラにそんなことを考える余裕は微塵もなく、我武者羅に暴れてみるも、空気が抜けるように萎む膜に包まれたところから己の意のままに動かせなくなり、感覚も薄れていった。翼や尻尾の先に、足から腰へ、そして胸へと徐々に膜が全身を覆い始める。抗う術を見失っても嘆かずにはいられない。
「何にも悪いことなんてしてないのに、どうしてこんな目に遭うの〜!?」
 翼の感覚が消えて、どうにか浮いて抵抗していたのが床に落ちてしまう。大した高さではなかったがガタンと人の身体とは思えない硬質な音が響いた。それでティレイラは自分が今どんな状況にあるのかを知ったが――肉体が完全に動かなくなるのと同時、意識もそこで途切れ――恐怖を覚えることさえ許されないのだった。

 自室に戻ったシリューナが目にしたのは嘆きの表情を浮かべた愛らしいガラス細工だった。ガラス細工といっても、保管していた標準的サイズのそれとは違い、平均よりもやや小柄だがヒトと全く同じ大きさの――等身大のティレイラそのものである。念の為にと、室内に視線を滑らせるもベッドの上で彼女がごろごろと寛いでいるなんてこともなく、状況的に考えて、本人に違いなかった。頭に生えた鹿に似た角から蝙蝠のような両翼、本気で叩きつければ人間などひとたまりもない尻尾に至るまで全て忠実に残され、そして、服も顔も身体も全てが透明で、奥のテーブルや壁が綺麗に透けていた。溜め息をつき側まで歩み寄ると、シリューナは落ちていた魔法道具を拾いあげる。
(貴女、また不用意に触ってしまったのね)
 彼女が興味を持たないようにと、棚に飾ったりもせず、ちゃんと仕舞っておいたのに。封まではしていなかったが、まさかわざわざ開き、あまつさえ柄の部分にあるスイッチを入れるなどと一体誰が予想出来ただろうか。いっそガラス細工だけ別に置いておいた方がよかったのかもしれないが今となってはもはや後の祭りだ。当の本人に危機意識が身につかない以上は結局どうしようもない気もする。他の物と同様に小型化しなかっただけマシというもの。しかし――。
「やはりティレ、貴女は美しいわ……」
 魔法道具と幸いにも無事だったガラス細工を脇に避け、ガラスの像と化したティレイラをしげしげと眺めれば感嘆の声があがる。物音からして魔法道具を媒介とした呪術にかかった直後、プライベート空間のここに入れる者もいない。つまり誰の目に触れたことも手で触れられたこともない真っ新な彼女がいるのだ。伸ばす手が微かに震える。それは夜のうちに降り積もった新雪を自らの足で踏みにじる興奮にも等しい。透き通るガラスの肌にそっと触れてみると、少し指先が引っ掛かる特有の滑らかさとほんのりとした冷たさというガラスの質感に静かに打ち震えた。背筋を這い上る感触と鳥肌に反し、頬からぶわりと噴き出す熱が額に耳、首筋へと広がりを見せる。呼吸は浅く、熱病に浮かされたような錯覚を覚えた。
「本当に素晴らしい、きめ細やかで滑らかなとても美しい肌だわ」
 世界に美しいものを送り出そうと数々の芸術家が作り、多くの人から賞賛を浴びた名作もこのティレイラの像の前では霞む。元よりこの大きさの像をガラスで切り出すにはそれこそ、魔法でも使わない限りこの時代の人には難しいだろう。魔法道具の持ち主であり、師弟や姉妹に近い関係を持つ自分以外には決して見られない光景だ。自覚すればますます高揚していく。
「頬から顎にかけての線も素敵ね。まだどこか丸みを帯びていて――いたいけで可愛らしいのに、綺麗でもあるなんて、もうたまらないわ」
 気が付けば触れて質感や輪郭を堪能するのに留まらず、まるで権威ある専門家たちが集う品評会に参加しているかのような気分になった。人の感性は十人十色、特に芸術は賛否両論意見が分かれるのが当然だ。だが今この状態のティレイラを見れば、皆満場一致でこの魅力を賞賛するのではないか――そんな確信を持たせるくらいにシリューナはその虜となっていた。ただ一部を見て触れるだけで価値を決めるのも烏滸がましいだろうとシリューナは頭の角に手を伸ばす。同じ硬い感触でも本来のそれとは違い、膜から逃れる為に足掻いたのか、左の角についたリボンが躍動的に浮いた状態でガラスに変化している。髪の毛やスカートもまた同様だ。抜け出そうと飛びかけて――そして絶対叶わないのだと悟り絶望に見開かれる瞳。目尻からは確かに涙がひと雫零れ落ち、口と同じ高さで止まっている。その口はといえば叫んだのか、大きく開かれていた。
 髪を撫でて涙をなぞり、睫毛を掠めて眼球に親指の腹で触れる。唇の僅かな盛りあがりを口紅を施すように何度も往復させ、舌や歯列も含めてじっくりと半ば嬲るように愛でた。色彩という視覚情報が削られたことで本来の美貌が引き出され、均整の取れた肢体が浮き彫りになったことがよく分かる。慈しむのは顔に留まらず、顎先から首に流れ、肩、二の腕、手首を伝い指先も余すところなく触れていった。屈んで胸も臍も、尻尾の先まで撫で回す。
「こんなに硬くて冷たいのに、柔らかなあの感触が伝わってくるようだわ」
 もしも、ティレイラをモデルにしただけのただの像だったなら、如何に再現度が高くとも、そんな風には思わなかっただろう。だって所詮それは作り物に過ぎないのだ。そこに魂は宿っておらず、虚ろの器が間近にあるに過ぎない。物言わぬ無機物と成り果ててもティレイラ本人であればそれは、唯一無二の存在となって、シリューナの心を魅了し続ける。
 ティレイラを元に戻す魔法は知っている。――けれどそれは今この時でなくてもいい。
「もう少しの間でいいの……」
 そう何度目かも分からない繰り言を零し、シリューナは時間を忘れてもう暫くの間ガラスで出来た竜少女の像の鑑賞を心ゆくまで楽しむのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
多分同じシチュエーションかな、と思うイラストを
参考にしつつ今回はシリューナさんがティレイラさんを
愛でる描写を多めに楽しく書かせていただきました。
しかし相変わらずその魅力を表現するには語彙力が
足りておらず……少しでもシリューナさんの視点に
沿ってそれらしく書けていればいいのですが。
お仕置きされなくても迂闊さで危ない目に遭ってしまう
ティレイラさんが好奇心に打ち勝つときは来るのか……。
今回も処分する為に保管していたのかなと想像をするも
結局は本編には活かせずじまいで無念でした。
今回も本当にありがとうございました!
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東京怪談
2020年02月27日

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