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『教訓は甘く苦い』
デルタ・セレス3611

 とある彫刻専門店。
 骨董から新作まで取りそろえられた彫刻たちの奥へ据えられたカウンターで、デルタ・セレス(3611)は「んー」、首を傾げた。
 どこにでもいるような男子中学生……と言いつつ、本気を出さずとも美少女を演じられる容姿を備え、さらにはこの、「どこにあるかよくわからない店」の店員でもある彼。それだけでもう唯一無二だろうが、ともあれ。
 トレードマークのアホ毛を揺らし、彼は見下ろしている。なにを? これもまた唯一無二だろう魔法書をだ。
 不可思議な店で働くに足る超常の力を持つデルタは、それが必要とされる怪異を相手取ることも多い。この書も依頼主からの報酬だった。
 今日はバレンタインデーでしょう? 友チョコ代わりに。
 かるく説明されたところによれば、描かれた情景の内へ入り込み、実体験ができるものだという。魔法書としてはめずらしくない仕様だが。
 タイトルが不穏なんだよね。
 黒茶革の表紙に金の箔押しで刻まれたタイトルは『猪口齢糖之淵』。
 猪口齢糖は明治時代に新聞で紹介されたチョコレートの和名だ。
 しかしまあ、それに対して思うところはない。問題は、それに続く“淵”のほう。
 チョコレートに関係した書であるのはまちがいないとして、水やなんらかの状態の深みを示す淵という字が、書においてなにを表わしているのだろう?
 あの人が僕を殺すようなことはしないだろうし。ほんとにただの友チョコなのかもしれないけど。
 と、どれほど迷ったところで正解へ行き着けはしない。
 デルタはよしと覚悟を決めて、表紙を開いた。後のことは後で考えよう。大丈夫、なにか起こってもどうにかなるよね。

 文字の羅列が溶け崩れ、情景として結ばれる。
 デルタは中世の西欧めいた街のただ中にいた。ただし、石畳も家々も雲さえも、すべてがチョコレートでできている、だ。
 花壇に植えられた花々もまた同じだが、種類によって色味が異なり、蜜ならぬ甘い香りを漂わせていて……一輪折り取って口へ運んでみれば、思った通り。
「ミルクチョコレートだ」
 歯触りだけでもわかった。ショートニングのような混ぜ物は一切使用されていない。一流のショコラティエでなければ生み出すことかなわぬ逸品だ。
 デルタは夢中で花を手折る。
 別の花はビターチョコレート、鬼灯はチョコレートボンボン、様々な味わいが舌を潤し、彼を引き込んでいった。
 もっといろいろ楽しみたい!
 そしてフルーツチョコレートの実をチョコレートフォンデュの噴水へかざしてコーティング、カカオの濃厚な甘苦さへ上質の生クリームのまろみとフルーツの酸味を加えてみる。まさに極上のひと言だった。
 さあ、次はどうしようか? 悩みながら街を構成するチョコレートの数々を吟味し、石畳を剥がすのはさすがに行儀が悪いかと思いとどまった、そのとき。
 ここアタシのシマなんだけどぉ!? 誰の許可取って荒らしてくれてんのぉ!!
 少女のものだろう甲高い声音が弾け、石畳を割って伸び出した木の根がデルタへ巻きついたのだ。
「え!? あの、僕、この本をもらって、だから――」
 全身を縛めた根がより強く彼を締め上げ、口まで塞ぐ。それでわかった。この根もまた、チョコレートなのだと。
 チョコが欲しくて忍び込んできたってわけよね? いいわ、泥棒にふさわしいチョコをあげる。アンタもうれしいでしょ? ずぅ〜っと大好きなチョコを楽しめるわよ♪
 彼の前に姿を現わした少女は、人ならぬ悪魔。色とりどりの糖衣チョコレートで飾った体を翻し、拘束されたデルタを引きずり歩き出した。

 道中、デルタはあらゆる手を尽くして逃げだそうとして、すべてに失敗した。
 書の世界を統べるは書き手が定めた理。「触れたものを金に変換する」という強大な力を備え、数多の怪異と対してきたデルタであれ、理を編みなおせる術はない。つまり、書の理が赦さない限りは力そのものが使えないのだ。
 かくて彼は世界の奥へと連れられていく。
 明るかった空はいつしかどろりと暗いダークチョコレート色を映し、甘やかな香はより甘やかに、呼吸を塞ぐほどの濃密さを為す。そして。
 道中に飾られた、ミルクチョコレートの像たちだ。
 やわらかくとろけていながら明確な造形を結んだそれは、おそらく子どもを象っているのだろう。チョコレート世界に似つかわしい住人と、最初は目を奪われたのだが……
 徐々に増えゆく像を間近にして、気づかされた。
 これは蝋人形だ。楼の代わり、固まることのないチョコレートを生きた子どもにかけてこしらえた、猟奇小説に語られる蝋人形。
 胸の奥まで押し詰まったチョコレートは子どもたちに無言を強いていたが、デルタには確かに聞こえたのだ。ごめんなさいを唱える泣き声が、母を呼ぶ金切り声が、こんな目に合わせたものへの怒声が。
 狂うことすら赦されず、声なき声をあげ続ける彼らは、終わりなき苦痛をとろとろと流動する黒茶の内に映し、ただ立ち尽くすばかり。

 果たして悪魔が足を止めた。
 引きずってきたデルタを前へ押しだし、くつくつ笑んで。アンタもだ〜い好きなチョコフォンデュ、め・し・あ・が・れ♪
 今、デルタの前にはとろけたチョコレート溜まりがある。
 もう、この後どうなるものかは知れた。
 あのフルーツチョコレートのように、今まで見てきた子どもたちのように、彼はチョコレートをまぶされるのだ。そして永遠に、この世界を飾る像として据え置かれる。
 なにを乞うこともたしなめることもできぬまま、デルタは突き落とされた。
 沈む。沈む。沈む沈む沈む沈む。底のないチョコレート溜まりは、まさに淵。
 空気を求めて開かれた口から、生クリームを混ぜ込んだあたたかく甘いチョコレートが雪崩れ込み、彼の内を埋め尽くしていく。
 かくて内より染みいったチョコレートが血に換わり、彼の隅々にまで行き渡って、コーティングした。
 古代エジプトには幼くして死んだ子を保存するため蜂蜜に浸した例があるが、それはこのようなものだったのだろうか。
 濁った意識の片隅でうつうつと考えていたデルタは、唐突に引き上げられた。彼を縛めていた蔦は解けたか、それとも溶けていて。今なら逃げられる――
 踏み出した足が、べしゃりと崩れ落ちた。内を押し詰め、外からまとわりついたチョコレートはあまりに重くて。
 もう動けなくなるわけ? 体が大きいからかしらねぇ。
 悪魔は言いながらデルタを引き起こした。助けたのではない。より長く、デルタのあがきを楽しむためにだ。
 僕は、こんな結末、いやだ――デルタは必死で足を繰る。べしべしべしゃりべしゃりべちゃっ。
 ついに動きを止めた彼をべろりと舐め上げ、悪魔は笑んだ。
 アンタは次連れてこられる子どもに教えてあげて。これから自分がどうなっちゃうのか。ずっとずっとずぅ〜っと、ね♪

 デルタはがばっとカウンターから顔を上げた。
 呼吸ができる。手も脚も顔も、チョコレートに侵されていない。
 深く息をついて、彼は書を見下ろした。開かれていたページに記されていたのは後書きで、内容は「甘いチョコも食べ過ぎては毒」。どうやら子どもに教訓を叩き込むための書であったようだが、それにしてもだ。
「趣味悪すぎ!」
 ともあれチョコレートはしばらく見たくない。
 書き手の意図通りにさせられたのは業腹ながら、すくめた肩をぶるりと震わせるよりないデルタだった。


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2020年03月02日

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