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『いつかの残雪』
桜小路 ひまりla3290

●麗らかに
「──り、ひまり!」

 うららかな陽気に暖められた霞の向こうに自分を呼ぶ声を聞き、桜小路 ひまり(la3290)はうっすらと目を開けた。

「んぅ……なん?」

 寝ぼけ眼の瞳には太陽の光はまぶしく、くしくしと手で目をこすると涙が滲んだ。窓越しに昼の陽気がガラス細工のように輝いている。

「ほらほら。そんなに擦ったらウサギの眼になるよ」

 穏やかに諭す声の主に向かって、ひまりはぷぅと頬を膨らませた。

「おばあちゃんのいけず」

 分かってるよ、とへそを曲げたひまりの機嫌を取るように老婆は言葉を継ぐ。寒いことはないか? 今日は、何をするん──? 京の外れには今日もゆっくりとした時間が流れている。
 昼ご飯を食べて、日なたで本を読むうちにひまりはうとうととしてしまっていた。気が付けば、まどろみの中にいた彼女が身体を冷やさぬように祖母がブランケットを掛けてくれていたようで、ひまりが身体を起こすと淡い桃色の布がさらりと落ちた。

「ん──ぴあの! いっしょに、ぴあの、と……おうた! やろ!」

 ゆるく動き始めた頭でひとしきり思案してから、ひまりはそう大きな声を上げる。その姿がおかしかったのか、やっぱりまたしても老婆は口元に手を遣って笑うのだった。


●伸びやかに
 ひまりは詠うことが好きだった。ピアノに合わせて、思うままに情景を、想いを描き上げる。彼女と祖母の重なる声に合わせて、描き出される事象の全てがいとおしかった
 歌に沿って色彩豊かに彩られる世界はまるでお遊戯会の舞台のようで、時が止まったかのように昔の面影を遺したままの旧家の内庭に折々の景色を添えた。その一つひとつがひまりにとっては宝物の宝石で、起こることの全てに疑問を持たず、ただ唯、心の赴くままにいつまでも旋律を紡いだ。

「おばあちゃん! きょうはなんのおうた?」

 問いかけるひまりにそうさねぇ、と応える祖母。並んで座る椅子が身体の重みを受けて軽く軋んだ。幼いひまりからすれば、おばあちゃんはとても、とても年が離れていて。そのくせ、ピアノを弾いてお歌を歌う時にはその身体からは想像もつかない程に活力に満ちていた。だから、ひまりはこうしてピアノを弾く祖母を隣で見上げるのがとても好きだったのだ。

 あれも、これも。思いつくままに全て、何度も──なんども。疲れることも知らず、夕闇が垣根の向こうから部屋の中を覗き込むまでいつまでも謡っていた。そうするうちに、仕事が終わったおとうさんと、おかあさんが帰ってきて。


●余韻を含めて
「今日もいっぱい歌ったのか」

 そういって頭を撫でてくれるおとうさんは、ひまりが何度お願いしても照れたように笑っていて、あまり一緒に歌ってくれることはなかった。

「そうよ。ひまり、今日もたくさんおうた、したんだから!」

 得意げに声を張って抱き着くと、普段はあまり歌ってくれないお父さんも根負けして。でも、やっぱりどう聞いても音痴だからおかしくって。四苦八苦しながらひまりの歌に合わせようとするおとうさんの姿を見ては、おかあさんと顔を見合わせて笑ったものだ。

「ひまりは大きくなったら、何になりたい?」

 握った指先をきゅっと握って、おかあさんが聞いてきた。そんなことを聞くとき、少しだけおかあさんは悲しそうな顔をするんや。
 それがチクリと心に痛くて、うちはにっこりと笑う。

「うち、おおきくなったら、はるになる!」

 みんなが、いーっぱいにニコニコになるような、はるになるんや!
 そう言うと、おかあさんも、おとうさんも。おばあちゃんもいっぱいに笑って、それからぎゅっとしてくれた。ぎゅっ、ぎゅっとみんなの体温を感じて、頭の上から「大好きよ」って呼びかけられて……「うちも!」って返して。

 そんな毎日に、春のあたたかさが両手いっぱいに溢れていた。満ちていた。抱えきれなかったぬくもりが、世界いっぱいにあった。


●静かに
 くしゅんと、くしゃみをした拍子にひまりは目を覚ます。

「ん──うち、寝てたんか」

 声は壁に吸い込まれて消える。部屋にはひまり以外の気配はない。

 薄く風通しの窓から抜ける夜の気配が、頬に冷たかった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
この度はご発注どうもありがとうございました。
発注文に描かれた情景が美しく、アドリブの解釈を多分に盛り込んでしまいました。
解釈違いなどございましたらご遠慮なく、公式フォームよりお申し付けください。
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グロリアスドライヴ
2020年03月03日

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