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『暗夜に往く者へ』
化野 鳥太郎la0108


 指先に、鍵盤の冷たい感触がそっと触れる。これまでに何千、何万回と慣れ親しんだ感覚だ。

 だが、今日この日ばかりはその無機質な艶めかしさに怖気を感じて、化野 鳥太郎(la0108)は長いため息と共に腕を下ろした。だらりと重力のままに垂れ下がった腕は力なく、自重に引かれるままに上体がのけ反る。天を仰いで鳥太郎はゆっくりと目を閉じた。

(怖い……のか?)

 胸の内に問いかけるも、確たる答えはない。怖い? 何が、どうして? 誇張ではなく息をするほどに、ピアノを奏でることは鳥太郎の人生の一部であった。「愚直な作業だ」と、かつて評されたこともある。

(愚直。真っすぐに正直に、確実に)

 それは信念であった。ヒーローはいらない。ただ、一人のヴィランたれ。それが鳥太郎を突き動かす情念である。どこか深く人知れぬ奥底で、ひっそりと熾火のように熱を持った昏い焔が鳥太郎を生かしている。かれこれ十年以上も──、半生を超えて燃え続ける執念である。

「後悔は、ない」

 改めて確かめるように、言い聞かせるように口に出してみる。天井に当たった音は粉雪となって降り注ぐ。そう、後悔は無い。あろうはずもない。雑念を挟む余地は無かった。躊躇する余裕も無かった。それほどまでに、エルゴマンサー達との闘いは苛烈を極めていた。
 事実、一度は敗北したのだから。

(二度目が無いとも限らなかった)

 そう。今、この場にこうして居ることが適わなかった可能性もある。だが、今こうして、鳥太郎は慣れ親しんだ部屋の一室で馴染んだ椅子に身体を預け、見慣れた白と黒の模様を眺めている。それが事実だ。鳥太郎たちライセンサーはロシアから姿を消した二体のエルゴマンサーを追い、遠くインドネシアの地でこれを討ち果たした。

「最後まで、あの二人は」

 互いを信頼しているように見えた。そのまま、信じるものを貫き通して、死んでいった。

『置いてかないでよ……』

 彼女が言ったその言葉が、今も耳朶に残っている。

「置いていかないで、か」

 不思議な。不可思議なものである。人類の敵であるはずのナイトメアが、元は人間だった男に置いていくなと縋りつく。それほどまでに。

(深い結びつきがあった……のか)

 答えはない。だが、ひとつ思えることは。

「似ていた、のかもしれない」

 俺と。俺の大切な人との関係に。だから、今もこうして心が軋む。
 似ても似つかぬものかも知れない。何せ種族が違う。そもそもの存在意義が違う。想いが。

「俺は、ただ──皆が。弱い人も全てが手を組んで自分の未来を掴み取れるような」

 そんな世界が見てみたくて。

『力ナキ者ガ、未来ヲ掴ム為ノ力ヲ与エヨウ』

 彼が言ったあの言葉が、脳裏に陰を落としている。

 エルゴマンサーの求道者は最期まで狂っていたが。それでも彼の思想は、受け入れられ得る理想郷だった。

 嗚呼──。

「だから」

 怖いのだ。不安なのだ。目の前に横たわる闇が、一寸先か永劫の彼方なのか。それすら分からないのが恐ろしい。エルゴマンサーの思想を否定したことが、化野鳥太郎にとっては既に一種の自己矛盾なのだ。志を負った背中を正しく受け継げているか。向いた先には……違う、忌むべき背中があるのではないかと。。



 窓の外で、カラスが鳴いている。足元の冷え込みに鳥肌が立ち、鳥太郎は我に返る。気が付けば、半刻ほどが過ぎている。同居人はまだ帰らない。
 珈琲でも入れるかと立ち上がった鳥太郎の、視界の端に花が映った。南国へ発つ前に同居人が買い求めたその花は、少し萎れがちとは言えども純白の星を未だに咲かせている。

(ハナニラ、か)

 そろそろ見ごろも終わりかと、湯を沸かす間にふと思い立って花瓶をピアノの脇へと移してみる。品の良い、甘い香りが周囲へと漂った。胃の腑へ熱く蕩けるような珈琲を流し込むと、堂々巡りをしていた思考がいくらか明瞭になる。

「明日、花を買いに行こう」

 明日だけは、一人で。そうすればまた、歩き出せる気がする。

(忘れないさ。あんた達は、確かに此処に、其処に、何処にでもいた)

「あんた達を殺してしまった未来が、悪くなるようなことが無いように」

 俺は歩いていく。きっと、どこまでも。

「……でも、本当は。本当は、殺したくなかったんだ」

 それは叶わぬ願い。ひらりと、花弁が力尽きたように一片、床へと落ちた。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
この度はご発注どうもありがとうございました。
全体的に静かで、モノトーンな雰囲気となりました。

アドリブ多めに自由に書かせていただきましたので、不都合や解釈違いなどございましたらお気軽に、公式フォームよりお問い合わせください。
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かもめ クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年03月05日

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