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『不燃の枯尾花』
橘・沙羅6232

 息を切らし必死な形相で走る男性の姿が、橘・沙羅(6232)の瞳に映った。
 彼の背後には、不気味な影。鬼気迫った様子で男の事を追うその影の表情は恐ろしく歪んでおり、この世のものとは思えない。
 事実、あれは本来ならこの世界には居てはいけない存在なのだろう。未練を持ち現世をさまよう、幽霊の類だ。
 あの程度の幽霊ならば、沙羅が使役する炎で焼き尽くす事は可能であった。しかし、沙羅はまるで凍りついてしまったかのように、その場から動く事が出来ずにいる。
 そんな沙羅の目の前で、男はついに影に捕らえられてしまった。悲鳴が響き、辺りが一瞬暗闇に包まれる。
 その闇が晴れた時、いつの間にかこちらを振り返っていた影と、目が合った。
 思わず、沙羅の唇からは悲鳴が溢れ出す。それでも、彼女は炎を使う気にはならなかった。使ったところで、あの幽霊には届く事はないという事が分かっていたからだ。
 なにせ、あの幽霊は……。
(テレビなんて点けるんじゃなかったです。これじゃあ、今日は怖くて眠れませんよ)
 ……沙羅が今見ている映画の、登場人物に過ぎないのだから。
 面白い番組でもやっていないかと思い、何気なくつけたテレビ。ちょうど映画が放送されていたので沙羅は眠気がくるまで鑑賞する事にしたのだが、すぐに自分の軽率な行動を後悔する事になってしまった。
(くっ、まさかホラー映画だったなんて……! 一見ほのぼのとしたタイトルだったので、疑わずに見入ってしまっていました)
 途中でホラーものだと気付き見るのをやめようと思ったが、映画の主人公が幽霊の対処法を調べていたので、その方法を知りたくてつい怖いのを我慢して最後まで見てしまった。
 結局、主人公は対処法を見つける事は出来ずに悲惨な最期を遂げてしまうし散々である。幽霊に怯える主人公にすっかり感情移入してしまっていた沙羅は、そのあんまりな結末に少し泣いた。

 こんな時はさっさと眠ってしまうに限るというのに、布団に潜ってみてもいっこうに眠気はやってこない。
 沙羅は、何度かごろごろと布団の上を転がった後に、頭を抱えながら飛び起きた。
(全然眠れない……!)
 瞼を閉じると、どうしても先程見た映画の恐ろしい幽霊の形相と、恐怖し絶望する主人公の表情を思い出してしまう。
 安眠効果のあるお香に火を灯してみたり、羊を数えてみたりと思いつく方法を片っ端から試してみたものの、どれも沙羅の胸にわいた恐怖という感情に打ち勝ってはくれなかった。むしろ、眠らなくてはと意識すれば意識する程、目が冴えていくような気がする。
 一緒に住んでいる姉は、もう眠ってしまっただろうか。姉の淹れてくれた温かい紅茶を飲めば、少しは落ち着くかもしれない。いっそ、姉や友人の寝室に忍び込んで、一緒に寝たいくらいだ……。
 その時、強い風が吹いたのか外で何かが倒れるような音がした。びくり、と自分でも自分に驚いてしまうくらいに肩を跳ねさせた沙羅は、意を決したように一度頷く。
「よし、忍び込もう……! そうじゃないと、今日は絶対に眠れない! 侵入大作戦の開始です!」
 そう呟いた彼女の瞳に涙が浮かんでいたのは、言うまでもない事であった。

 培われた忍としての技術を駆使し、沙羅は足音をたてないように気をつけながらそっと廊下を移動して行く。時間帯が夜というのもあるが、それ以上に自分の足音にすら今は恐怖を覚えてしまいそうだったからだ。
 何も難しい事ではない。同じ階にある別の部屋に行くだけだ。それなのに、廊下の奥から今にもぬっと何かが出てくるような気がして、沙羅は些細な物音にも反応し、そのたびに怯えたように身をすくませてしまっている。たったこれだけの距離が、幽霊に怯える今の沙羅にはとてつもなく長いもののように思えた。
 いつもより時間をかけて廊下を進み、ようやく目的の扉が見える場所へと辿り着く。だが、沙羅がホッと安堵の息を吐いたその時、不意に辺りから明かりが消えた。
「えぇ!? て、停電!? こんな時に!?」
 厄日というものがあるなら、今日が沙羅にとってのその日に違いなかった。
 沙羅の暮らす建物だけではなくこの辺り一帯が停電してしまっているらしく、世界は暗闇に包まれてしまっている。月明かりさえも、厚い雲が遮ってしまっていた。
「ど、どうしたらいいんです……?」
 涙がまたぶわりと、彼女の瞳に浮かぶ。恐怖という感情に足を掴まれているかのように、沙羅はその場から動く事が出来なくなってしまった。
「そうです! たしか、お香を点ける時に使ったマッチがあるはず……!」
 この暗闇からなんとか脱したくて、沙羅は震える手でマッチを取り出し火をつける。そして、携えていた武器で、自らの指の先を軽く切った。
 ぽたり、と一筋の赤い雫がその炎に向かって落ちていく。沙羅の垂らした血液は、炎を鳥の形へと変化させた。
 室内なためあまり大きな炎を使役する事は控える事にしたが、廊下を照らすには十分なサイズであろう。馴染み深い炎が灯っているだけでも、何だか安心出来た気もする。
 気を取り直して炎に照らされた廊下を沙羅は一歩踏み出そうとし――そこで、不意に違和感に気付いた。
 心臓が、途端に早鐘を打つ。見てはいけない。そう思うのに、無意識の内に視線はそちらに行ってしまった。
 先程の映画にあった、とあるシーンを沙羅は思い出す。画面の向こうの幽霊と目が合った、その瞬間を。
 廊下にぼんやりと浮かんでいる影と、その時、確かに沙羅は目が合っていた。
「――っ!?」
 悲鳴は、もはや声にはならなかった。
 世界が回る。ふらりと、沙羅の身体が倒れていく。
 そうして、眠れなかった少女は、気絶という形で強制的な眠りについたのであった。

 ◆

 侵入大作戦は、失敗に終わってしまった。沙羅は昨日の自分の失態を思い出し、溜息を吐きながら目の前にあるものに軽くデコピンをする。
 それは、先日旅行土産にと人から貰った、何の生物なのかは分からないが可愛らしい顔をしているぬいぐるみだった。
 それこそが、昨日廊下で見た影の正体である。結構な大きさで置き場所に悩んだため、一時的に廊下に置いていた事を恐怖のせいで忘れてしまっていたのだ。
 幽霊の正体見たり枯れ尾花とはよく言ったものだ、と沙羅は思う。驚いてせっかく貰ったぬいぐるみをうっかり燃やしてしまわなかった事は、不幸中の幸いだったのかもしれない。
 恐ろしさとは対極にいるような愛らしい顔をしたぬいぐるみを見ながら、今後は寝る前に知らない映画を見ない事にしよう、と沙羅は心に誓うのであった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご発注ありがとうございました。ライターのしまだです。
沙羅さんのちょっと怖いけどほのぼのとした日常の一幕、このような感じとなりましたがいかがでしたでしょうか。
お楽しみいただけましたら幸いです。不備等ありましたら、お手数ですがご連絡くださいませ。
前回のお話、お気に召していただけたようで何よりです! また機会がありましたら、いつでもお声がけくださいね。今後とも何卒よろしくお願いいたします!
東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年03月06日

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