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『阿修羅の誕生』
穂積・忍8730

「はい、そこまで」
 軽やかに手を叩きながら、その女教師は言った。
 穂積忍(8730)は、我に返った。
 少年たちが、血まみれで泣きじゃくっている。
 同じクラスの男子生徒が、3人。日頃、何かと忍に因縁をつけてくる連中だ。因縁だけでは済まず、殴り合う事になった。
 3人とも、辛うじて自力で歩いて帰る事の出来る状態だ。
 この女教師が声をかけてこなかったら、救急車や警察が来るところまで自分は止まらなかっただろう。
 そう思いながら、忍は睨んだ。女教師は、ただ微笑んでいる。
 クラスの担任である。受け持ちの男子生徒がこうして放課後も教室に残り、喧嘩などしていたら、それは止めるだろう。
 だが、と忍は思う。
「……止めねえで見てやがったな? このババア」
「さて」
 30歳は超えているだろう。40代に入っているかも知れない。忍の母親の享年よりも、恐らくはずっと年上である。
 そんな女性教諭が、泣きじゃくる男子生徒3人を慰め、なだめ、帰らせた。忍は1人、教室に残された。
 女教師が、まじまじと見つめてくる。
「強いのねえ、穂積クン」
「……親父に、鍛えられてるからな」
 余計な事を言った、と忍は思った。
 一介の教師に、あの父親をどうにか出来るわけがないのだ。
 忍は、教室を出た。
 女教師は、ただ言葉をかけてくる。
「うっかり、お父さんの事が口に出ちゃったのよね」
 耳を貸さず、忍は廊下を駆け去った。声だけが追いかけて来る。
「誰かに助けを求めたいんじゃないの本当は? ねえ、頼ってくれていいのよ?」


「……本当に、頼ってくれていいのよ?」
 布団の中で、忍の細い身体を抱き締めながら、女教師は囁いた。
「いっぱしの男ぶってる忍クン……私に言わせりゃ、まだまだ子供。もっと大人を頼らなきゃ」
「うるせえぞ、ババア……」
「そのババアにねえ、むしゃぶりついてイイ声出してたのは一体どこの誰かなあっ」
「くそったれが……不覚だぜ……」
 あれから何となく、この女教師と行動を共にする事が多くなった。
 気が付いたら、このような関係に陥っていたのである。
「こないだ……学校、休んだよね? 忍クン」
 いつの間にか、名前で呼ばれるようになってしまった。
「……やっぱり、お父さん?」
「学校の勉強なんざクソの役にも立たねえ……んな事してる暇あったら強くなれって、な」
 こんな話も、するようになってしまった。
「そうやって忍クン、鍛えられてきたんだ。細く見えてガッシリしてるもんねぇ君」
 女教師の手が、忍の全身あちこちを撫で弄る。この馴れ馴れしい愛撫にも、忍は抗う事が出来ない。
「……忍者、だぜ……信じられるかよ今時……」
 この世で最も忌まわしい単語を、忍は口にしていた。
「穂積家は、忍びの家系……らしいけどよ、今この時代に生まれた俺には関係ねえ。なのに、あのクソ親父……忍びの技を、絶やすな。俺が物心ついた時から、それしか言わねえ……」
 幼い忍に父は、あらゆる忍びの技術を叩き込んだ。
「俺、頑張ったんだぜ先生。いろんな技、頑張って覚えてよ、やって見せてもよう……親父の野郎、褒めてもくれねえ……」
 忍が何をしても、父は満足しなかった。合格点をくれなかった。忍に、罵声と暴力を浴びせた。
「わかってるよ……そんなクソ親父に逆らえねえ、俺が一番クソだってな……」
「……傷だらけ、だね。忍クン」
 忍の全身を丹念に触診しながら、女教師は囁いた。
「学校側から出来る事はないけど……ねえ、私個人としてなら」
「やめろ……」
 忍は震えた。
 息子の修業鍛錬を妨げるものに対し、あの父は容赦をしない。それが女性であっても、暴力で黙らせに来るだろう。
「こいつは俺自身の問題だ。余計な事するんじゃねえぞ、先生よう……」
 自分は、父に逆らえない。
 この女性を、父から守る事が出来ない。
 それを思うと、忍は震えるしかなかった。
 震える忍を、女教師はただ抱き締めた。


 それから数日後に、父は死んだ。
 滑らかに切り刻まれ、内臓が綺麗さっぱり消え失せていた。
 状況から単独犯人の仕業である事は間違いなく、忍も一時的に身柄を拘束され、容疑者に近い扱いを受けた。
(俺が犯人だったら、どんなにいいか……)
 忍は、そう思った。
 世の中には、あの父親を超える化け物がいる、とも思った。
 憎悪か愉悦か判然としない暗い炎が、穂積忍の心に点った瞬間であった。
 釈放された忍が学校に戻った時には、あの女教師は姿を消していた。一身上の都合で退職、という事になっていた。
 忍も、学校に行かなくなった。
 卒業もせず、社会の底辺で獣のような暮らしを始めた。雇われて暴力を振るう。そんな仕事で食いつないだ。
 父に叩き込まれた技が、大いに役立っている。
 いくらかは感謝してやっても良い、と最近の忍は思わなくはない。
 ともかく、忍はクナイを構えた。忌々しい話ではあるが、父の形見である。
 現在、忍を雇っている組織の構成員が、次々と殺されていた。
 今も目の前で、殺戮が行われたところである。
 荒事に慣れた男たちが、滑らかに切り刻まれている。あの時の、父のように。
 虐殺の光景の真っ只中に、その女は優美に佇んでいた。
 寒気がするほどに美しく、そして若い。まだ少女と呼べる年齢ではないのか。
 忍の方から、声をかけた。
「……久しぶりだな、おい」
「お父さんの内臓ね、不味かったけど栄養あったわ。ほら見て、三百年くらい若返っちゃった」
 少女が微笑み、牙を剥く。
 忍は微笑み返そうとしたが、顔が歪んだだけだった。
「もしかして……俺を、狙ってたのか?」
「忍クンのね、心臓も肝臓も胃腸も食べちゃいたかった」
 何故それを実行しなかったのかを、少女は語ろうとしない。
「……私と、また一緒にならない?」
「悪いな先生。俺、年増じゃねえと駄目になっちまった。あんたのせいだぜ」
 忍は低く身構え、駆けた。疾風の如く、踏み込んで行った。
「……若返るような女は、御免だ」
 クナイが一閃し、少女の身体のどこかを切り裂いた。
 否。裂けたのは、忍の身体であった。
「ぐぅッ……!」
 血飛沫を散らせて、後退りをする。
 肩に、胸板に、脇腹に、ざくざくと裂傷が刻み込まれている。
 辛うじて、内臓には達していない。だが浅手とも言えない。
 忍は、膝をついた。
 少女は、片脚で立っている。しなやかな美脚の片方が、高々とあられもなく跳ね上がって爪先を空に向けている。
 その足先は、鋭利な猛禽の鉤爪だった。
「私は、姑獲鳥……」
 美しい背中から翼を広げながら、かつて女教師であった美少女は鉤爪を着地させた。
「子供をいじめる親は、許さない……」
「俺は……」
 忍は、ゆらりと立ち上がった。
「……あんたの子供に、されちまうとこだったのかな」
「出来なかった……独り立ちした忍クンが、私を殺しに来る……それが、楽しみになっちゃたから」
 姑獲鳥は血を吐き、頽れた。
 忍の手に、クナイは無い。姑獲鳥の胸に、深々と突き刺さっている。
 忍は、かつての女教師をそっと抱き上げた。
 血まみれの唇で微笑みながら、姑獲鳥は静かに息絶えた。
「先生……俺、あんたに生き方、決められちまったよ。この先も、あんたみてえなのと戦うしかねえ」
 戦う度に、忍の心で彼女が微笑む。
「……独り立ちなんて、出来やしねえよ」



東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年03月09日

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