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『本日は追いかけっこ』
清水・コータ4778)&ラン・ファー(6224)&橘・沙羅(6232)&橘・エル(6236)

 誰かの家の屋根を遠慮しながら踏み、雑居ビルの屋上は遠慮なく踏んで、清水・コータ(4778)は街を駆け回る。
『追いつかれればタダではすまんぞ――ああ、私が払う金はタダですませたい。どれほど払いたくないかといえば、狂おしいほどだ』
 繋ぎっ放しのスマホから流れ出てくるのは、コータの本日の雇用主である“斡旋業者”、ラン・ファー(6224)の声。
 男か女かわかんないくせに、こういうとこがめついオヤジみたいなんだよな! あとちょっとだけ俺より背ぇ高いのむかつく!
「経費使いまくってやるっ!!」
 わめき返しておいて、コータはあわててジャンプ。
 爪先をかすめていったそれは中空でかき消えたが、再びコンクリートを踏んだ足裏に落ち着かない感触を残す。
 靴のアウトソールの端を押し潰されたことで――いや、押し退けられたことで、靴裏が微妙に歪んだのだ。
 そのコータの後方で、にぎやかな悲鳴が爆ぜる。
「きゃー! いーやーっ!」
 橘・沙羅(6232)。橘姉妹の妹――姉はもうじき登場――で、コータを「お兄さん」と呼んで大事にしてくれる希有な存在だ。
 沙羅の「来ないでー!!」が左へずれていくのを背で確かめたコータは、上着のポケットへ突っ込んだ手をがちゃがちゃ動かした。
「いーやーだーってばですっ!」
 悲鳴の情けなさと真逆、沙羅の体はかろやかにアスファルトへ翻り、宙を跳ねる。お化けが怖いのはまちがいなくとも、その体は忍として鍛え抜かれていた。体術の鋭さならばコータより数段上だ。安心して囮役を任せておける。
 そして。手先の器用さなら、コータは沙羅の数十段上。
「行くぜ!」
 振り向き、沙羅が引きつけてくれた“指先”へ、十数秒で折り上げたそれを投げつけた。
 オン。声ならぬ音が真言を刻み、五芒星を象った針金細工が清冽なる白光放って指先を押し止める。
 この針金は、真言密教の僧が護摩の炎で鍛えたものだ。折り曲げて形を与えてやれば自動で最適な法力を発し、邪を討つ。
 残念ながら、邪な雇用主には効かないんだけどな。
 苦笑しつつ、コータは針金の残量を指で計る。お高いアイテムではあるが、どうせ払いはラン持ちだ。問題は、なくなった時点であの指を抑える手段がなくなること。
「お兄さん、急いでください!」
 魑魅を押しとどめておける5秒はすでに半ばが過ぎている。
 沙羅がその業(わざ)をもって魑魅の意識を逸らしてくれている間に、コータは一気に足場としていた屋根から路地へと跳び降りた。前転2回で衝撃を逃がし、前へ体を放り出す勢いに乗って走り出す。
 忍ではないが、コータもただの民族系ショップ店員ではない。細工から鍵開け、摺り取りまでこなす現代のシーフ。この程度の体捌きはお手の物だ。
「超やばい感じです!」
 空蝉の要領で指先に捕まえさせた石ころが真っ二つに割られる様を見て、沙羅がううっと眉根を寄せた。
「触んなよ! あー、せめて相手がなんなのかわかってたら……!」
 後悔しきりだが、これはまったくコータのせいではない。むしろ針金を持ってきていた用心を褒めてやるべきだろう。
 なにせ彼が今日の仕事について聞かされたのは先ほどのことだし、追いかけっこの相手が人外――魑魅(すだま)であることを知ったのは、いきなり“鬼”に追いかけられ始めた後のことだったのだから。

 ここから少し、追いかけっこの開始直後まで時間を戻そう。
『とある寺に封じられていた魑魅が逃げた。これから地図のデータを送るから、そこまで魑魅を引っぱってこい。ちなみに捕まれば死ぬ。ぶっちぎって逃げればその辺りの誰かが殺される』
 現場へは姿を現わさず、スマホの向こうから一方的に告げてきたランへ、コータはあわてて言い返したものだ。
『誰も殺させないって! ……でもさ、実体ないんだから触れないよな! どうしたらいいんだよ!?』
 ランはふむと息をつき。
『気合を出せ?』
 疑問符つきで言ってくれた。
『ラン様、お茶が入りましたよ』
 その後に続いたほんわりした声は、沙羅の姉であり、こともあろうにランの崇拝者である橘・エル(6236)のものだ。
 コータの横を駆けていた沙羅がひょいと顔を出し、彼のスマホをのぞき込む。
『姉さんこっち来ないです?』
『ええ。わたくし、ラン様にお茶をお淹れするために生まれてきたんですもの』
 ほわほわしているくせに揺るぎないエル。神様見つけちゃった癒やし系はこれだから怖い。
『よくわかんないですけど。ランちゃん来てもジャマなばっかなんで、釘づけといてください。ん? 釘じゃなくてお茶だから、お茶づけです?』
 姉が姉なら妹も妹だ。
 でもさ、うん。なんというか実にこう、橘姉妹だよなぁ。コータはしみじみ感慨を噛み締めて、透けた指先をくぐって一回転。
『とにかく連れてけばいいんだな!?』
『ああ。ただし、あと1時間後にだ。それまでには準備を済ませておく』
 1時間!? それも今聞いたんですけどっ!?
『いやいやムリムリ! あと5分でもやばい!』
『1時間1分ならどうだ』
『がんばっても2分っ!』
『1時間1分10秒』
『1分55秒! って、そっちのカウント増えてない!?』

 そんなわけで、追いかけっこを続けているコータと沙羅なのだが。
「お兄さん、あと30分切りました!」
「なんかすごいがんばってんな、俺ら」
 沙羅の報告を追い越してきた指先をサイドステップでかわし、コータはふと思う。
 それにしても、なんで“指”なんだろうな?
 魑魅は触れた物質を押し退ける力を持つようだが、それを体現したいなら、指である必要はないだろうに。
「……なぁ、妹。針金使うの最後の手段にしていいか?」
 知らないものに正しく対処をすることはできない。病気だろうと、マナーだろうと、魑魅だろうと、同じことだ。
 コータの言葉に決意を感じ取った沙羅は理由を訊かず、ただ「鬼ごっこは?」とだけ問うた。
「終わりじゃないけどこっちから手ぇ出すのはアリ」
「わかりましたです」
 コータの脇にあったはずの沙羅の気配がかき消えた。
 じゃあ、ちょっと本気出しますね。


「ようやく肚を据えたか」
 繋ぎっぱなしのスマホから耳を離し、ランは細い肩をすくめてみせる。
 まごうことなき美貌。ただしコータではないが、男と女、どちらの特徴をも併せ持つ美しさである。そこへ長身が加わるものだからなおさらに惑わされてしまう。
「初めからやる気を出していれば、余計な経費をかけることもなかったというのに」
 コータの怪我は無料で再生するが、アイテムは使った分だけきちんと金がかかる。人という商材を扱う斡旋業の利点は元手がかからないことだというのに、これでは意味がないではないか。
「ま、神座いを育てるための先行投資と思っておこう。それに殴り合うだけが戦いではないにせよ、私もまた立ち回る必要はありそうだ」
 肩に置いた、というよりも担いだ扇子をゆるりと振り下ろす。素人丸出しの殺陣ながら、野太い風切り音が示す扇子の重量と、それを片手でゆっくり振ることのできる膂力は凄まじい。
「ラン様、お茶をお持ちしました」
 と、銀の盆に白磁のティーカップを乗せて現われたエル。
 彼女の装着する丸眼鏡へ嵌まったレンズは、ごくごく普通の透明なもの。なのになぜか異様なほど日ざしを照り返し、瞳の表情どころか色すら透かし見せはしない。
 眼鏡をギラギラ、面をにこにこさせたエルからカップを受け取り、ランは息をつく。
「私の腹はかなり深刻にたぷたぷなのだが……茶の間隔を少し空けてもらえるか」
「!」
 かしゃん。エルが手放した盆が床へ落ち、笑みは一転、悲しげに引き攣った。
「わたくしの――生まれてきた――意味が――ラン様――」
 神様というものは意外と面倒なものなのかもしれんな。ランは思ったが、さすがに言わなかった。これ以上世話を焼かれては腹が破れてしまう。
 それに、コータのレベルでぞんざいに扱えこそしなくとも、エルの扱いは慣れたものだ。
「ここに一冊、奇書がある」
 革で装丁された、いかにも曰くありそうな本の表紙をエルへ見せておいて、ほいっと放る。
「……」
 なにも言わずにエルはキャッチ、その場へしゃがみ込んで黙々と読み始めた。
 これでコータと沙羅の到着まで保つだろう。ランはエルの茶の相伴に預かっていたスーツの男へ言う。
「認め印を頼む。心配はない。1秒もはみ出すことなく、撤収まで済ませよう」
 今、ランとエルがいる場所は、区役所の建設管理課だ。そして男はその課長だった。


 沙羅の右手が、握り込んでいたライタートーチ――一般的なアウトドア用品だ――を突き出した。
「しばらくお返事できなくなるです!」
 コータへ言い置き、ちりっ。舌の脇を犬歯で傷つけ、にじみ出た血をトーチの炎へ吹きつけた。すると。
 血は炎をまとい、鳥となる。火鳥は翼を拡げ、透けた指先へと襲いかかる。
 真っ向から火鳥へ突っ込んだ指先が、その胴をかき分けて突き抜けて。
 見届けるよりも迅く、沙羅は続けて吹いた血を火犬へと変えて迎え打つが、同じようにかき分けられ、散らされた。
 しかし無駄ではない。魑魅の透けた指先はわずかに焦げつき、色をつけられていたから。
 沙羅は襲い来る指先へ新たな火鳥をぶつけて逸らし、路地の壁を蹴って上へ跳んだ。忍ならではの立体機動である。
 その間にコータは目をこらし、魑魅を見据えた。
 人も人外も、余計なことができなくなったら得意なことしかしなくなる。あの指はどうだ? アールの火がよけられないから突っ込んでるんだよな? さっきも、その前も、今だって。内側から外に開いてかき分けて……
「もしかして、どっかに潜り込みたいのか」
 うそぶいて、眉をしかめた。相手がかき分けて潜り込みたいばかりに指と化したなら、その対象へ潜り込ませてしまった時点で詰む。
 そして、ランに指示された場所へ移動中の自分たちを追いかけてくる以上、対象もまたそこにある――きっと、ランが準備しているというものなのだろう。
 とにかく事情を弁えている唯一の存在であるランと合流しなければ。ついでにエルの茶を飲もう。茶菓子は、そうだ。遠距離恋愛中の彼女がバレンタインにくれたチョコプリンがいい。
「沙羅ちゃんさぁ、バレンタインって誰かにチョコあげた?」
「へぁっ!?」
 思わず溜めていた血を全部噴いてしまい、結果、路地を埋め尽くす火鳥と火犬。
「あつあつあつあつ!」
 急上昇した気温に追い立てられるコータと、焦げを濃くする指先。

「――バレンタインだけでなく、いついかなるときにも私へチョコを貢ぐがいい!」
 役所のカウンター前、スマホめがけて吼えるラン。
「チョコ! すぐにチョコとよく合うお茶をご用意いたしますね」
 やらかした! と顔を覆ったランを置き去り、うっきうき給湯室へ駆けていくエル。

 まあ、なんだかんだありつつ、追いかけっこはクライマックスへと雪崩れ込む。


『遅い! 1時間後と言ったはずだろうが!』
「40秒はみ出しただけだろ!」
 スマホの向こうにいるランへわめき返し、コータは金網を跳び越える。
『ここへ着くまでに誤差はさらに大きくなるだろう』
「2秒プラスで終わり!」
 アスレチック遊具が置かれた大きめの公園のただ中、コータがランの仏頂面を見据え、苦笑を閃かせた。
「あ、らんはんえふ」
 コータに続き、魑魅の引きつけ役を務め上げた沙羅が転がり込んでくるが。
「なにを言っているのかわからん」
 一蹴するランの後ろから、エルが3つの湯飲みを並べて乗せた盆を持って顔を出し。
「お兄様、アール、お茶をお持ちしましたよー。右はぬるくてたっぷり入ったお茶、真ん中は少し熱めで半分くらい入ったお茶、左は」
「熱くてちょっとしか入ってないお茶――三献茶か! って、俺も沙羅も右のやつが欲しいです!」
「お兄さん、じゃーんけーん」
 と。
「来たぞ」
 ぱん。扇子がランの掌を打ち鳴らした瞬間、わいわいしていた3人の表情が締まった。
 仁王立つランを軸に、左前へ沙羅が位置取って盾役となり、コータはランの扇子の邪魔にならない距離を空け、右横に控える。
 そして。
 緊迫を押し分け、魑魅が突っ込んできた。ラン目がけて一直線に。
「しっ!」
 沙羅の先へ火鳥が飛び、結果、あっさりかき消された。
 魑魅の力が強くなってる?
「持ってる!?」
 ポジショニングを変えながらコータは問い。
「先ほどエルの茶で飲み込んだ」
 平らかな声音で応えたランが扇子を振り上げ、一気に振り下ろした。
 かき乱された空気が逆巻き、魑魅を巻き取る。
「私はおまえに触れるのだよ。つまりは打つことも、討つこともできる」
 指先はわずかにひるんだが、姿勢を立てなおして再びランへ向かった。ここまで来てあきらめられようはずはない。あそこにあるのだ、封じられた後も想い続け、こうして封を破って現世へ這い出しくるほど焦がれたものが。
「と、言ったばかりだろうに」
 ランは扇子をフルスイングして見事に空振った。
 力はあっても技はなし。それがランなのだ。
「ちょ、姉さん! ランちゃんピンチですがー!?」
 犬と鳥を飛ばす合間、舌の痛みも忘れて姉を呼ぶ沙羅。
 が、当の姉は……後ろでアウトドア用のコンロにヤカンをかけて、三献茶をもう1セット用意するのにいそがしい。
「ラン様は無敵。ラン様は不朽。ラン様は不滅。なんの心配もいりませんよ?」
 怖っ! 姉の狂信に思いきりおののく沙羅であった。
「冗談はさておき、私は普通に大穴を空けられて殺されるようだ。そうなれば賃金の支払いもされんことになるな」
「それは困る。困るのはそれだけじゃないけどさ」
 なにが「それだけじゃない」のかを語ることなく、コータはランの背を自らの胸で支える。
「任せたぞ、コータ」
「任されたぜ社長」
 沙羅の火鳥の包囲を突き抜け、爪を合わせた逆合掌をランへ突きつける魑魅。
 ランは扇子を叩きつけてくるが、かまわない。あれはどうせ当たらない。風圧程度で自分は揺らがない。還るのだ。あの中にある……へ。
 振り下ろされたランの腕を、なにかが押した。それはランの挙動にシンクロし、影に隠れてついてきていた、コータの手。
「俺は霊体に触れない。でも」
 ランならばその手で掴むことができる。魑魅の挙動を見切ったコータが補助しさえすれば。
 果たしてランの掌が魑魅を捕らえる。凄絶な邪気に侵され、肉が、骨が損なわれていくが、回復の力を持つハミングが侵蝕を押し退け、逆に魑魅を侵しゆく。
 ったく、最初っからランが出りゃ終わってたハナシだよなぁ。
 胸中でぼやきながら、コータは残されていた針金で“指先”をもれなく縛り上げた。言うは易いが、10に分かれた魑魅を1本の針金で的確にくくるのは、神業級の難度である。
「欲しいものあげらんなくてごめん。でも、友だちの腹に穴が空くのはやだからさ。……でもどうせ治るんだし、いっかぁ」
「おいー! 私は痛いのイヤだからな!?」
「はいそのままです!」
 血ではなく、腕そのものに炎をまとわせた沙羅が急降下、魑魅を薙いだ。まさに業火と呼ぶしかないほどの熱で。
 魑魅はもがく中、肉ならぬ存在そのものを焼かれていく。そうなれば、後に残るものは魑魅の心臓たる核のみだ。
「終わりだ」
 コータは余らせておいた針金の先を核へ突き通し、法力を発動。
 すべての守りを失った魑魅は、念すら残すことかなわず霧散して。
「みなさん、お茶が入りましたよ」
 エルの声音が真の意味での終了を告げたのだった。


「あの魑魅の目当てってなんでしたです?」
 ぬるい茶をぐいっと干して、沙羅が問う。
「ミイラだ。人のではなく人外の、だがな」
 ランは応え、自らの腹を見下ろした。まだ入っているのだ、人外の――おそらくはあの魑魅の母であるのだろうものの亡骸が。
 元は廃寺に封じられていた亡骸とあの魑魅の現管理者は、ランが訪れていたあの区役所の建設管理課だった。
 しかし所詮は素人。1年ごとに再封を頼んでいた修験者が引退し、引き継ぎのアテも作れないままいる内に、封は破られた。
 不幸中の幸いは、人外のミイラは専門家に託そうと区役所内へ移してあったことだ。おかげで怪しいツテを辿り、ランへ依頼をする時間が稼げた。
 ちなみに役所でランが課長に印を押させた書類は、区の管轄下にあったあの公園の使用許可証と、ミイラの預かり許可証である。まさにお役所仕事。
「魑魅さん、なんで今さらママのお腹に還りたかったんです? 私だったら娑婆にいたいですけど」
「そうですね。閉じこもっていてはラン様にお逢いできません……なんですかその意味も意義も価値もない生は!」
 橘姉妹からそっと目を逸らしたコータを、いつも通り尊大な、でもどこかげんなりした顔のランが急かす。
「あと10分ほどで使用許可時間が過ぎる。速やかに撤収するぞ」
「あらあら。かしこまりました、ラン様」
 エルがいそいそ片づけを始め、沙羅と共にコータも手伝いへ向かう――途中で足を止め、ランを返り見て。
「そういえばさ、飲み込んでるのってミイラなんだろ? 茶の水分で潤ったら復活したりしない?」

 果たして巻き起こる大騒ぎ。
 いっしょに騒ぎたてながら、コータは消え失せた魑魅へ語りかけるのだ。
 今度会ったらいっしょに騒ごうぜ。追いかけっこじゃなくて、こうやって輪んなってさ。


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2020年03月09日

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