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『進化の序幕』
白鳥・瑞科8402

 下級司祭たちの法力をもって精製された湯は、その聖性をもって肌を洗い、端々に染みついた穢れを浄化する。
 かくて自らを清め終えた白鳥・瑞科(8402)は、人造聖骸布で水気と最後に残った穢れとを払い、息をついた。
 幾度となく表わしてきたが、豊麗である。肢体が描き出す曲線はどこまでもなめらかにやわらかく、それでいて確かな強かさを映す。枯れ果てた男でも、もしかすれば女ですら魅入らせずにはおれぬ艶美。
 その曲線をインナーとニーソックスで締めて固定、体にぴたりと沿う肩当つきの上着と、ミニ丈のプリーツスカートをまとう。それらには彼女が所属する“教会”の紋章があしらわれており、彼女が人の世の安寧の守護者――武装審問官であることを高らかに示していた。
 さらに瑞科はナイフを収めたホルダーと一体になったガーターベルトを結わえてニーソックスと繋ぎ、爪先から膝までを鎧う白い編み上げブーツへ脚を通す。ハイヒール仕様のブーツの踵に聖杭が植え込まれた、脚を守るばかりでなくそれ自体が対人外用の兵器となる代物へだ。
 そして背の半ばまでを覆うマントを羽織り、長杖を携えれば戦闘準備の完了である。
「白鳥・瑞科、これより任を果たしに参りますわ」
 帰り着いたわずか2時間後、次の任へ向かう。忙しないことこの上もなかったが、彼女には欠片ほどの不満もない。なぜなら。
 この世を侵す邪なるものを退治ることこそが彼女の使命であり、生を受けた意義そのものなのだから。


 羽音。
 瑞科は栗色の髪先で空に一文字を引き、体をずらした。
 途端に、ヂッ。髪先が濁音を鳴らす。打たれたのでも削られたのでもなく、食いちぎられたのだ。
 ただの羽虫ではないということですわね。
 次第にいや増す羽音の圧は、シンプルに数が増しゆく様を示していた。逢魔が時を迎えた廃村は、大量の新住民を得て賑わっているらしい。
 とはいえ、田畑を耕しているわけではないようですけれど。
 通常、こうして自然の狭間を拓いて作られた村が住人を失った場合、野生動物の巣窟と成り果てる。雨風をしのぐ屋根と壁があり、山野という餌場が近い、絶好の場であるからだ。しかしここに生物の気配はなく、なぜそうなったものかは、この羽音が教えてくれた。ようするに逃げ出したか、その前に喰らわれたかだ。
 と。翻った瑞科の数ミリ脇を礫が行き過ぎた。田舎道を行くバイクやクルマを悩ませる甲虫の突進だ。ただしこの虫は、カウンターでぶち当たるまでもなく、ただ突っ込むだけで対象を突き抜けられる速度と硬さを備えているようだが。
 羽虫ばかりでなく、甲虫が連動している。同胞なのか、それとも別のものがなんらかの理由で協働しているだけのことなのか。
 瑞科は左手に生じさせた電撃へさらなる電撃を重ね、握り潰した。同じ電荷を含めた雷は互いに反発し合って爆ぜ、一気に拡散する。
 この衝撃を喰らった虫どもはヂリヂリと震えながら噴き飛んだが……すぐに舞い戻り、瑞科を押し囲んで羽音を再び奏で始めた。
 雷に耐性がある、あるいは受け流す体構造を持っているのですわね。では、こちらはどうでしょう?
 かくて撃ち出される瑞科の重力弾。
 が。吸い寄せられた虫どもは互いに互いの足場となり、次々脱出を果たすのだ。
 虫どもが個々、一定以上の力を備えていることはまちがいないが、そうであればこそ奇妙な話である。
 人外はその力が増すほどに巨大化し、群れる同胞を失いゆく性を持つ。体とは力の器であり、サイズを増すほど備えた力もまた増す。そして力を増すもっともシンプルな手段は捕食で、そこにいる同胞は探さずに得られる餌となるわけだ。
 なのに虫どもは互いを喰らい合うことなく小型サイズを保ち、連動する。人外の性を果たすことなくだ。
 ――分け身、あるいは主がいるのですかしら。知能の程からして後者の線が強いようですけれど。
 いずれにせよ、虫どもを退治なければ真実へは近づけない。思いを定めればもう、迷うこともなかった。
「ついてきていただけますかしら?」
 踏み出した爪先を軸に、瑞科は鋭く体を巡らせた。雷をまとわせた長杖を横薙いで羽虫を払い、突っ込んできた甲虫を弾く。
 雷に弾ける虫どもは、総じてぎらついた外殻を備えていた。虫……特に甲虫の外殻は油分を含むものだが、それがさまざまな攻撃を遮る皮膜となっているのだろう。硬いばかりではないということだ。
 必要性に応じた進化ということなのでしょうけれど、そうならばよほど戦うことに慣れていると見るべきですわね。
 巨大な相手へ集団戦を挑み続ける中、この虫どもはかような進化を遂げた。おそらくは同じようなものとの生存競争に打ち勝つがため。
 ポジショニングを一瞬ごとに変えながら、瑞科は長杖を振るう。しかしいくら払い、弾いても、虫どもは飽きることなく瑞科へ向かい来るのだ。いずれ追いつかれ、喰らいつかれて喰らい尽くされることは目に見えていた。
 それは脳というものを持たぬ虫どもも確信しているだろう。この軽く強靱な体へは電撃であれ重力であれ決定打を打つことはかなわず、たとえこちらの数のいくらかが損なわれたところで、ただひとりの敵に優位を渡すなどありえないのだから。
 しかし。
 瑞科の笑みは揺らがない。
 終わりなき追いかけっこを演じ続けた果て、ついに口を開いて。
「不足しているならば、足すだけですわ」
 瑞科の蹴りがそれを穿ち、突き崩した。
 それとは、放置されていた水溜め用の大桶だ。苔などの骸で汚れ、腐り果てた水が溢れだし、地を濡らす。
 果たして瑞科は電撃を放った。虫ではなく、地へ。正確には、地を濡らした汚水へ。
 虫どもは知らない。不純物を含んだ水が高い通電性を持つことを。そしてこれまで自分たちを弾いてきた電撃が、今汚水へ撃ち込まれた雷とは逆の電荷を備えていたことを。
「這いなさい」
 瑞科が高く掲げた杖より降り落ちた雷が、地より迎え昇る雷と交わり道をなる。
 これまで電荷という磁性を浴びせられ続け、染みこまされてきた虫どもは、もれなくその電流に吸われ、地へと叩きつけられて縫い止められた。
 果たして、蠢く虫どもの上へ落とされる重力弾。ひとつ、ふたつ、三つ。重ねられる重さは羽虫どもの外殻を押し割り、やわらかな中身をすり潰していった。
 そして最後に残された、甲虫どもである。
「さすがにあなたがたは数えられるほどでしたわね」
 もがく甲虫の一匹にブーツのヒールをあてがい、躙る。研ぎ澄まされた聖杭、その一点にかけられた瑞科の体重としなやかな筋肉とが生み出す力は、抵抗を赦すことなく甲を貫いた。

 すべての仕末を終えた瑞科は衣を正した。
 人外の闘争は苛烈であり、だからこそ進化も迅速である。瑞科という敵と対したことがなにをもたらすかはわかりきっていた。すなわち。
 彼女と対するという一点に特化した、強力な個体を生み出す。
 これもまた生存競争ですもの。この世界と人類が生き延びるか、“あなた”とその子らが生き延びるか、ふたつにひとつの結末を奪い合う戦い。
「どうかわたくしを殺せるものを差し向けてくださいまし。そうでなければ、わたくしが“あなた”を殺しに行きますわよ」
 中空へ語りかけ、瑞科は踏み出していく。新たな敵の到来よりも早く“あなた”を見つけてしまわないよう急がず、悠然と、迷いなく。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年03月12日

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