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『一足』
芳乃・綺花8870

 逢魔が時。
 暮れの日ざしは赤く弱いながら、かろうじて竹林の有り様を視界へ浮かび上がらせている。人の手で入れられていればこそだが、それにしてもだ。
 昭和の時代映画のようですね。
 芳乃・綺花(8870)は息をつき、すがめた両目を巡らせた。焦点を絞らず、あえて広範を見ることで見落としを封じる術――剣術において観の目、菩薩眼などと呼ばれるものだ。そして。
 ごく自然に前へと置かれた右足を包むものはローファーであり。
 妙齢の頂にある、瑞々しく張り詰めた肢体を包むものはスカート丈を短く整えたセーラー服である。
 そう。彼女は現役の高校生。学業をこなした後にここへ訪れた。好んで夕暮れ時を選んだわけではないのだ。いや、実際にはあえて選んだわけなのだが。
 昼と夜との狭間時は、魔の本性がもっとも色濃く顕われる。
 力のすべてを尽くして襲い来る魔を斬り伏せ、凌駕することこそが、退魔社「弥代」随一の退魔士である綺花の本懐なのだ。

 左に佩いた朱塗りの鞘、そこへ納められた太刀の柄に手を置いたまま、綺花は竹をなぜて吹き抜ける風へ鼻先を向けた。
 におう。
 魔の放つ穢れた苦い気配が。
 憎悪と悔恨をまとう酸い殺気が。
「……どこかでお会いしましたか」
 応えるものはない。ただ、気配と殺気がいや増した。
 隠すつもりもないのだろうが、ここまで噴き上げられれば居所も知れる。わずかに腰を落とした綺花は、重心を崩さず歩を進め。
「始めても?」
 これは野暮というものだ。なぜなら、この場へ踏み入ったときからもう、始まっていたのだから。
 ひょう。風を削いで飛び来るものを、綺花は地を蹴り返して下がり、やり過ごす。まっすぐ下がったのは、それが弧を描いていることを見切ってのことだ。
 抜き打たれた刃……剣士……人ならぬ……ああ、思い出しました。
 綺花は柄を握り込み、薄笑んだ。
 敵はいつか綺花が斬り折った魔だ。それは古来より魔剣と呼ばれるものであり、本体である剣が人の骸を繰り、己を振らせて獲物の命を喰らう。
 正体を知らなければ不死の化物と思い込もうが、知ってさえいれば対処は容易い――相当の腕を持つ剣士であれば、だが――相手である。
 両断されたはずがこうして復活してきたことも意外ではあったが、しかし。この鋭さはどうだ。あのときとはまさにものがちがう。理由は、すぐに知れた。
「いい“手”を見つけたのですね」
 魔剣が自らを掴ませた骸は、つい先日、若くして死した気鋭の剣術家だった。同じ剣の道を行くものとして、綺花も彼の安らかな眠りを祈ったものだが……
 ともあれ、魔剣の“手”が彼ならば、この戦いは凄絶なものとなろう。彼の修めた技を、主である魔剣は自在に遣えるのだから。もしかすれば地を這い、己が血を舐めるは綺花であるかもしれない。
「尋常に、とは申しません」
 ぎちり。口の端に笑みを刻み、綺花は柄を握り込む。
「推して参ります」

 魔剣の全長はおよそ一尺八寸(およそ54センチ)といったところか。反った片刃を備えており、分類するならば小太刀となろう。あのときはたしかサーベル型だったから、“手”に合わせて自らの形を変えたものと思われた。
 さらには、この竹林だ。人造なればこそ竹同士の間隔はそれなりに空いているのだが、綺花の三尺五寸(およそ105センチ)を思いのまま振り抜くことは難しい。
 故に、抜かず。
 洋装の上から佩くため腰につけたホルダーから鞘ごと外し、綺花は魔剣の袈裟斬りへ斜めに押し当てた。通例、朴(ほお)という木をもって拵え、漆を塗って仕上げる鞘を、彼女は刃と同じ鋼で造らせている。
 かくて滑らせられた魔剣はそのまま下へ落ち、寸毫の間すらも置かずに斬り上がった。剣術に云う燕返し。
 死者であればこその常軌を逸した斬り返しに対し、綺花は下がるよりなかった。その間にも据えた腰が浮くことはなかったが、バックラインに彩られたストッキングまとう脚は忙しなく前後し、落ち着かない。
 革足袋くらいは用意してくるべきでしたね。
 剣術には、足指を繰って間合を整えるにじり足なる技法があるのだが、指のすべてを包むローファーでは当然、それを為すことは不可能だ。わずかな調整を施すにも足そのものを動かさなければならない。剣士を相手取るにはなんとも心許ないことである。
 と。魔剣は斬り上げた刃を霞に構えさせた――来る。
 果たして綺花に切っ先が突き込まれた。数える暇をもらえない連続突き。息をしていないのだから息を切らすこともなく、剣術家は淡々と突き続ける。それもひと突きごとに刃の向きと狙いどころを変えてだ。
 綺花もまた息を詰めたままこれを避け続けた。激しい挙動の中、なめらかな肌には玉のごとき汗が噴き、どこへ引っかかることもなく伝い落ちる。見る者にとっては艶麗なながめであるが、綺花を知る者からすれば、ここまで追い詰められた彼女を見たことに驚くだろう。
 とはいえ綺花に存在もせぬ人目を気にする暇はなかった。同じ剣士だからこそ、この攻めが恐ろしい。一度でも弾いてしまえばその反動を使われ、かわしようのない追撃を喰らうからだ。しかも敵の視界を塞ごうと鞘をかざせば逆に己の死角を作るだろうし、あるいはそこを突かれて反動を得られてしまう。
 さらには、竹だ。突きをかわすには当然、足場を変える必要がある。そうなればそこかしこに立つ竹が邪魔となるし、下手をすれば体そのものを掬われる。
 だからこその戦場で、だからこその小太刀というわけですね。
 胸の内で唱える綺花だが、その面に苛立ちはなかった。浮かぶものはむしろ喜びである。
 うれしく思うのです。私のために、ここまでそろえてくださったことを。そこまでして、今度こそ私を殺そうとしてくださることを。そして。
 これほどの闘いを演じさせてくださったことを――!
 空振りした刃を引き戻すには相応の時がかかる。その刃の引きに合わせ、綺花は踏み込んだ。前へ出した太刀は未だ抜けておらず、故に、切っ先ならぬ柄頭を剣術家へ向かわせる。それも引き戻される刃に鞘を沿わせてだ。
 レールに運ばれる列車のごとく、柄頭は刃を伝って剣術家の顎を突いた。衝撃で顎関節がずれ、骨の割れる湿った手応えが返るが、剣術家の無表情は変わらない。むしろ薄笑んでいるかのように見えた。
 名はありませんが、私の修めた技のひとつです。存分にご覧ください。
 声に出さぬまま告げた綺花は、柄頭を押し退け突き込んでこようとした剣術家の膝頭を踵で蹴り止め、自らを横へ流した。
 両手が塞がることとなる剣術において、蹴りは意外なほど多用されるもの。これもまた、ひとつの歩法と云えよう。
 かくて機先を封じられた上に間合を潰された剣術家は、わずかにその身を泳がせて。
 延髄に落とされた綺花の肘打ちによろめいた。
 この肘もまた、古流剣術の技である。現代剣道においては無論反則だが、互いに真剣を振る剣士。ルールを語る必要はない。
 地へ転がり、一転して跳ね起きた剣術家は、魔剣を正眼に構えた。
 その様に綺花は見る。
 剣の“手”として繰られるばかりの骸、その奥底に今なお残された魂と、強敵を前に奮える剣士の喜悦を。
「あなたと立ち合えることを光栄に思います。ですので」
 左へ戻した太刀の鯉口を切り、綺花は上体を倒し込んで。
「この手をもってあなたを送らせていただきましょう」


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年03月12日

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