『殻に秘されし泡沫の姫よ』

ファルス・ティレイラ（3733）

　唐突だが、ファルス・ティレイラ（3733）は暇を持て余していた。どれだけ暇かというとテーブルの上に頬杖をついて欠伸を噛み殺し、ずり落ちかけて危うく顎を強打しかけたところで自分がうたた寝をしていたことに気付いたくらいである。それではいけないと立ち上がり、店内を無意味にうろつく現状だ。とはいってもティレイラにしてみれば代わり映えのしない、棚に所狭しと並んだ魔法薬が目につくだけなのでそれもじきに飽きが来てしまう――留守番兼店番を引き受けたことを若干後悔し始めた。
　ここはティレイラがお姉さまと呼び慕っている、魔法の師匠が営む魔法薬屋だ。なんでも屋さんと自称しながらも実際は本性を一部具現化することで得られる飛行能力や空間転移能力を用いた配達業が主となっている為、彼女が調合する魔法薬の材料を運んだり、あるいは修行をつけてもらおうと暇が出来たら訪れる時もある。いずれにせよこの建物の中に彼女はいて、声をかけようかなと思えばいつでも声をかけられる安心感があった。
（――別に、お姉さまがいないと何も出来ないような子供じゃないけど）
　一人は寂しい。故郷のあの、絶えず争いが続いていた時代の騒々しさを懐かしくは思わないが、誰かの話し声も聞こえず静けさに沈んだ空間も落ち着かないものだ。何よりも未だ見ぬ世界に飛び込みたくて故郷を飛び出した身である。頑是ない子供のように退屈は嫌いだ。せめてひっきりなしは大袈裟にしろ、飽きた頃に次のお客さんが来るくらいの人気があったなら、このカウンター内でずっと留守番し続けられただろう。元々ティレイラは人とお話をするのが好きな方だ。普段は素性がバレないように口酸っぱく言われているので後で失言に気付いて冷や汗を掻く場面も何度もあったが、その点、このお店に来る人は皆、ティレイラや己と同郷同族の師匠のような異世界からの来訪者だったり、この世界出身でも例えば人ならざるものが見えるこちら寄りの人間という場合が殆どなので変に気を遣わず済むから楽だ。尤もやらかしても大抵は「変わった子だね」の一言で済まされるが――まあいずれにせよ、魔法薬を求める人は少なく、常連さんが大口の顧客になってくれるお陰で成り立っている仕事だといえる。
　店番というからには店内のどこかしら、出来ればカウンター内にいた方がいいか。と頭では分かっているが、魔法薬のラベルを眺めるのをやめて、一度扉の前まで行くと空き巣が泥棒に入る前が如く音を立てないように慎重を心掛けつつその扉を開いた。そうして首から上だけひょっこり覗かせ、ざっと辺りを見回す。蛇の道は蛇、といわんばかりに人目を憚る場所にあるせいで驚くほどひと気がない。きっとこれならもう今日は来客がなさそうだ。うんうんと頷き、自分の都合のいい考えに一人で納得して、ティレイラは外側の扉にぶら下がっているOPENのプレートをCLOSEDにひっくり返して、念の為内側から鍵をかけた。誰も来ないなら少し早めに店仕舞いをしてもきっとお姉さまも怒らない筈だ。
「お姉さまが帰るまで探検でもしよーっと♪」
　ふんふんと鼻歌まで歌いたくなる程一気に機嫌が浮上し、ほぼスキップに近い軽い足取りで出入口から店内に戻ると、カウンターの裏にある店員用の扉をくぐった。その先は師匠の自宅になっているフロアーと更に魔法薬を調合する部屋や倉庫まで続く。師匠の趣味は美術品及び装飾品の収集なので倉庫内には時折新しい品が増え、預かりものが混じっている時もあるがまるで宝探しをしている気分になり、ティレイラの密やかな楽しみになっている。早速倉庫を見ようとそちらに向かいかけ、ふと違和感を覚えてティレイラは足を止めると周囲を見回した。違和感がある。
「……これって魔力、だよね？」
　師匠のコレクションや修行に使う品物には魔法道具も沢山あって、それで魔力を感じることは多い。しかしその多くは触れてようやく気付き、強力な術を秘めたものなら近付いてそうと分かるケースもある。ただし規模がその比ではないと不自然さを感じた。警察犬が如く魔力を辿ればすぐに原因が発覚した。幾つも並んだ扉の一つが魔力に覆われている。そして、実物を見て、ティレイラもそれが何か思い出した。
　師匠は故郷の知識に基づいた魔法薬の精製を行なう以外にも、既存の魔法薬の効果を上下させたり、全く新しい魔法薬を生み出そうと何度も試行錯誤を繰り返している。それ用に時たま作る実験用の部屋だ。魔力を消費する為、実験をする時以外は普通の部屋に戻るので、すっかりと忘れていた。
　ということは近頃実験中ということで、ならば何かしら面白いことが起きている筈だ。扉を薄く開いて、そっと滑り込むように室内へと入る。すると魔法を使って異空間状態になっている為明らかに外から見た時よりも広い部屋の中には一言でいうなら、巨大な二枚貝が鎮座していた。勿論この世界にこの大きさの生物は存在しない。十中八九魔法生物だろう。表面がてらてら光り、殻はぴったり一分の隙もない程に綺麗に閉じられている。やるなといわれればやりたくなり、見えないものを見たくなるのが人情というものだ。まあティレイラはこの世界の人間ではないが。ともあれ隠されているなら暴こうと思い、無警戒に貝の目の前まで歩み寄ると、中に一体何が入っているんだろうと興味津々に瞳を輝かせて無理矢理こじ開けようとする。すると指を差し込める程度の隙間は出来たものの、その先が一向に開く気配がない。それでも少しは開いたのだからと粘ってみるも中々開かずに諦めがよぎり始めた矢先、突然まるで意志を持ったかのように勢いよく殻が開く。
「わっ！？」
　予想外の出来事に悲鳴をあげたので精一杯。突如開いたことに対応出来ずに、かけた力が空回り盛大にバランスを崩した。中に倒れ込んで反射的に手をついたところまではよかったが、立ち上がる間もなく一瞬で視界が黒くなる。さっと血の気が引いた。嘘、と呟く声は自分でも驚く程絶望的だ。
　ただ立ち上がるだけの高さは存在しないものの、座った状態で体を反転させる余裕はある。うっすら差し込む光を目印に、その前まで這うように近付くと、力任せに巨大貝の口を開けようと試みる。しかし先程の踏ん張りで力を使っていた為か、開く気配がない。ティレイラの脳裏に浮かぶのは師匠の顔だが、彼女がいつ帰って来るか分からないなら、自力でどうにかするしかない。奮闘し続けてしばらく経った頃、ふとティレイラは自身の体の表面が何かに覆われていることに気付いた。そう認識する間にもてらてら光る薄膜がヴェールのように降り注いでくる。
　光がぼんやり剥き出しの指先が真珠色に輝くのを照らし出す。慌てて視線を落とすも肌も服も見える全てが同様になっていて、不安から思わず触れてみると宝石のように硬質化しているのが分かる。
（早く出なきゃ……！！）
　と焦りに駆られながら、既に感覚が薄れつつあり明らかに力が入り辛くなっている拳を握った。かき集めた気力でもって尚も奮闘するが、最早力が入っているのかいないのかすら定かではない。その間にも、薄膜が落ちて何層も積み重なっていった。頭が霞みがかり、力業以外の解決策も浮かばない。
「助けて……お姉、さま」
　届く筈のない声が閉じられた空間に少しも反響せずに溶ける。ティレイラの意識がなくなると同時、僅かな光も闇に沈んだ。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
前後編イメージとのことだったので今回のお話では
ティレイラさん視点で閉じ込められるまでの部分を
状況説明多めですが細かく書かせていただきました。
変化後の外見描写に関しては後編の師匠さん視点で
たっぷり描ければいいなと思ってます。
どんな表情やポーズをイメージされているのか
後編のほうもまたとても楽しみにしていますね！
今回も本当にありがとうございました！

東京怪談ノベル(シングル)

りや

東京怪談

2020年03月13日