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『あたたかいもの』
LUCKla3613)&霜月 愁la0034

 公共交通機関は当然のことながら、法定速度を守って運行される。
 それにしてもだ。法定速度が時速40キロなのに対し、このバスは今、平均で38キロしか出していなかった。いや、理解はしている。信号や周囲の状況が関わっていることは。しかし。それにしてもだ。
 先ほどから「それにしてもだ」を繰り返してることに気づき、そのバスの最後部席に座すLUCK(la3613)はかぶりを振った。
 苛立ったところでバスの速度は上がらない。それよりも確認をしておけ、不備がないかを。
 礼儀正しく膝上に乗せたバックパックを素早く開き、荷を確かめる。
 米、よし。鶏肉、よし。トマト缶、よし。軟水、よし。生姜、ネギ、各種調味料、よし。黄桃缶、よし。服薬用ゼリー(チョコレート味)、よし。やわらかなぬいぐるみ、よし。
 匠の技でまとめられているが、彼の荷は総重量10キロを越えている。そして後へ行くほどファンシーに……

 気の置けない友人、霜月 愁(la0034)から風邪をひいたと報告を受けたのは72分前のことだ。
『次の依頼でちょっと迷惑かけちゃうかもしれないから』
 細くかすれた声音は、彼の状態が「ちょっと」ではありえないことを示していて。
『心配するな、俺が万事請け負った。おまえはとにかく布団に入れ。毛布を忘れずにな』
『うん、ありがとう。よろしく』
 通話を切った後、LUCKはすぐに準備を開始した。請け負ったことを全力で遂行するために。

 愁の家へ辿り着いたLUCKはまず、チャイムを鳴らすべきかどうかを悩んだが、結果から言えば無用な心配だった。なぜなら鍵は開けっぱなしになっていたから。
 戸締まりすらできんコンディションとは……急がねば。
「入るぞ」
 ドア越しに低く告げ、一気に押し入る。見た目だけで言えば訪問ならぬ強襲だ。
 ともあれ踏み込んだLUCKは手持ちの計測器で室温と湿度をチェックし、顔を顰める。寒いばかりでなく、酷く乾燥していたからだ。すぐ対処しなければ、との思考を留め。
「愁、生きているな」
 ベッドの上でみの虫と化していた愁の様を確認、息をついた。


 だるい。痛い。気持ち悪い。寒い熱い寒い熱い寒い熱い……
 胸中で唱えていた愁はだめだだめだとそれを断ち斬った。風邪をひいたのは久しぶりで、やけに辛い。しかしその程度でこんな有様を晒しているようでは、「ちょっと」どころでは済まない迷惑をLUCKや他のチームメンバーにかけてしまう。
 いつでも飛び出していけるように、僕は今おとなしく寝てるんだから。
 とりあえず、戦友というだけではない大切な友人に言われた通り、毛布と布団にくるまって転がり、1秒を重ねるごとにいや増す苦痛と向き合っていたわけなのだが。
「愁、生きているな」
 なにがどうしてそうなったのかわからない。ちなみに熱に浮かされているからではない。平時でも同じくらいわからない自信がある。
 こうして愁がわからないと思っているうち、LUCKはエアコンの温度を押し上げて、バックパックから小型加湿器を取り出したのだ。
 愁の呼吸が少しでも楽になるようにと、ミントで香りづけた蒸気。
 それを押し割って近づいてきたLUCKに、愁は万感をひと言にまとめて訊いた。
「なんでいるの?」
「万事請け負ったからだ」
「風邪、うつるかも」
「俺の体は全体で言えば9割方、呼吸系は10割が機械で、免疫系もナノマシンが担っている。うつる心配はない」
「そっか」
「そうだ」
 互いに言葉足らずが過ぎてアレだが、なんとなく納得した愁は息をついて思う。息をするだけで喉が痛い。でも、なにをしてもしなくても痛いなら、少しくらいしゃべってもいいだろう。
 と、なにもしていない状態を苦痛に感じてしまう彼のワーカーホリック気質、相当なものである。
「ラック、次の任務なんだけど」
 愁の周辺をチェックし、スマホや通信機の類いをもれなく取り上げて、LUCKは苦い顔を左右に振ってみせた。
「次の任務は体調が戻ってからだ……自覚はできんだろうが、今のおまえでは常のパフォーマンスの50パーセントも発揮できん」
 LUCKの指摘に、う。痛い喉をさらに詰めてしまう愁。
 しかし、しかしだ。経験と能力を総合してライセンサーを計る計算式において、彼は76という高いレベルを叩き出している。それが半分となっても38。それなり以上に働けるはず。
「50パーセントでもそれなりの働きはできるとでも思っているんだろうが、思い違いだぞ」
 的確に釘を刺しておいて、LUCKは愁の顔の脇へそれを放り投げた。
「……ぬいぐるみ?」
「ああ。EXISでもヴァルキュリアでも通信端末でもない、今のおまえが抱えていい唯一の代物だ」
 子どもじゃないんだから。言いかけた言葉を飲み込んで、とりあえず抱えてみる。熱源が封入されているわけでもないのに不思議とあたたかい。
 しかし、その熱が思い起こさせるのだ。あのとき、あの場所の冷たさを。

 ナイトメアの襲来の中で家族を喪って、ひとり生き延びてしまった。償い、贖うには戦い続けるしかないのだと思い定め、戦場を駆けてきた。
 しかしそれは、あまりにも傷ついた心を護るための逃避でもあったのだろう。愁がどれほど償い贖えたものかを、死者はけして語らない。だからこそなにを気にすることなく自らを駆り立て、先ならぬ次へ進み続けてきたのだから。
 愁の罪を赦さないのは愁だ。そして。
 逃げ足が止まってしまえば、否応なく考える時間を与えられてしまう。気づく必要のないこと、気づいてはならないこと、様々な不都合と向き合い、正体を知ってしまうだけの。
 結局僕は、ずっとあのときのあの場所に釘づけられたままだ。走っても走っても走っても、それは足踏みしてるだけで――
 感傷の逆巻きに捕らわれ、さらなる暗がりの奥底へ引きずり込まれゆこうとした愁だったが。

「眠る前に腹へ燃料と薬剤を入れておくべきだが、食えそうか?」
 淡々としていながら強くやわらかなLUCKの声音が差し伸べられて。
「がんばれば、多分」
 ここがどこなのかを思い出した愁は、努めて口の端を上げてみせた。
 そうだ。もうあのときじゃないし、あの場所じゃないんだ。ラックがいる、今、この場所だ。
「なら、がんばっておけ。残した分はぬいぐるみが平らげてくれる」
 だから、子どもじゃないんだってば。
 喉の痛みに耐えながら、今度こそ本当に笑う。みんな知らないよね。LUCKって意外にこんなこと言う人なんだよ。
 一方、こんなことを言うLUCKはバックパックの底から取り出したカセットコンロに鍋をかけ、鶏粥の調理にかかった。
「キッチン使ってよ。ほら、食べ物にウイルスがうつるかもしれないし」
「風邪にしてもインフルエンザにしても、ウイルスは加熱によって殲滅できる。それにだ。目を離した隙に依頼を受けられてはたまらんからな」
「……」
 返す言葉もない愁の様に苦笑しつつ、LUCKは手際よく調理を進める。
 ちりちりと視界にノイズがはしるが、不思議なほど不快ではなかった。遠い昔、同じように誰かを寝かしつけて世話を焼いていたような、そんな気がして。このノイズはきっと、そうした記憶の欠片なのだろうと思うのだ。
 LUCKは息をつき、愁へ低く語りかけた。
「おまえは誰かに迷惑をかけることを怖れるが、それは本当に怖れなければならないことじゃない」
「じゃあ、なにを怖がればいいの?」
「迷惑すらかけられなくなることだ」
 愁が家族を喪ったのだということは知っている。もちろん、顛末まで訊きほじるようなことはしていなかったが、それでも。
 喪うことの怖ろしさは、誰より知っているつもりだから。
 ――これ以上なにも喪いたくなくて、誰にも喪わせたくなくて、愁は自分を焦燥で駆り立てる。その結果がもたらすものはさらなる焦燥でしかないと知りながら。
 と。こんなことを思ってしまうのは、年の功というやつの仕業か。いや、俺は俺がいくつなのか知らないが。
「とにかく、迷惑なんぞかけられるだけかけておけ。苦い顔をしながらも世話を焼かずにいられないような奴へは特にな」
 ただし戦場外でだ。言い添えて、LUCKはもうじき仕上がる粥へ生卵を割り入れた。

 くつくつと音を立てる粥のやわらかなにおいを嗅ぎながら、愁はLUCKの言葉を噛み締めた。
 迷惑をかけたくないのはプライドがあるからじゃなくて、怖いからだ。こんなに役立つんですって言い続けなきゃ居場所がないんだって、僕は思い込んでて。だから必死で手を挙げて訴えて。
 ――そんな僕を、どうしてラックは大切にしてくれるんだろう?
 僕はラックになにもしてあげられてなんかいない。歳だって結構ちがうし、育った世界もちがう。大切にしてもらえる理由なんてないのに。
「味は薄くしてあるからむせることはないと思うが」
 LUCKがよそってくれた粥はスープが多めで、水分を摂れとの気づかいというか、命令が感じられた。
「ひと口でも飲み込めたら褒美に桃缶を開けてやる」
 ついでに交換条件のハードルが猛烈に低い。
 そして、病身に障ることなく胃まで滑り落ちていく粥の味は、限りなくやさしかった。
「無理はしなくていいからな」
「ぬいぐるみが食べてくれるから? でも、そんなことさせたらびしょびしょになって、僕の具合がもっと悪くなるよ」
「心配ない」
 言いながらLUCKが魔法のように掲げてみせたものは……もう1体のぬいぐるみ。
「換装するサブは用意済みだ」
 まったくもう、子どもじゃないんだけどなぁ。
「妙な顔をしているぞ? ――体を起こしているのが辛いようなら支えるが」
 ああ。僕、くすぐったいんだ。こんなふうにしてもらったのが久しぶりすぎて、どうしていいかわからなくて困ってる。ほんとに困ってるのにうれしくて、だから。
「大丈夫だよ、お母さん」
 言われたLUCKは眉をひそめ。
「お母さんじゃない。お兄ちゃんだ」
 その物言いがあまりにも堂に入っていたものだから……愁は盛大に噴き出し、激しくむせた。
「喉痛い!」
「だから無理をするなと言っただろうに」
 的外れな心配をしながら世話を焼くLUCKの手に触れ、愁は苦しい呼吸の合間に途切れ途切れ言うのだ。
「ラックって、ほんのり、じゃなくて、すごく、あったかいん、だね」
 対してLUCKはさらに顔を顰め。
「俺にはもう気になる相手がいるんでな。おまえの気持ちはありがたいが、受け止めてやることはできない」
 的外れにも程がある! 再び噴き出してむせる愁だった。

 LUCKが子ども用の服薬ゼリーへ包んでくれた薬をおとなしく飲み下し、愁はようやく横になった。
 部屋があたたかい。ミントの香りがあたたかい。毛布と布団があたたかい。体があたたかい。なにより心があたたかい。
 今日はきっと、信じられないくらいによく眠れるだろう。でも、このまま眠ってしまうのがどうにも惜しくて、愁は抵抗を試みる。それこそ子どものようにだ。
「ねえ、ラック。この前の」
「しゃべるな。補充したエネルギーが減る」
 さらりと遮っておいて、LUCKは小さな携帯用まな板の上でなにやら作業を続けていた。彼の横には小さなタッパーが横に積み上がっているから、あたためればいいだけの食事を用意してくれているのだろう。そして今なおこの部屋で準備をしているのは、愁が眠るまでそばにいてくれるため。
 やっぱりお兄ちゃんっていうよりお母さんだよねぇ。
「今日はありがとう」
 小さな声で礼を言えば、LUCKの引き締まった面がわずかに緩み。
「これを機に自覚しておけ。すべてを喪い、それでも打ちひしがれるより立ち向かうことを選んだおまえの強さと価値を。そしてなにより、今のおまえを大切に思う者がいることを」
 聞き終えて、愁は気づいた。
 先にLUCKが自分を大切にしてくれる理由について疑問を持ったが、正解は本当にシンプルなものなのだ。
 大切な友だちだから大切にする。それだけのこと。
 僕はほんとにいろんなものを喪ったけど、得られたものだってあるんだ。
 あらん限りの感謝と喜びを込めて、愁はLUCKへ言葉を返した。
「ラックの気持ちはうれしいんだけどね、僕には受け止めてあげられないかな」
 今度はLUCKがむせる番。
 ひとしきり笑った愁はなにに駆り立てられることもなく、とろとろ寄せる眠気に心身を預けるのだった。


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2020年03月13日

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