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『黒き戦士』
LUCKla3613

 アクチュエーターの駆動は限りなくなめらかだ。余計な音、引っかかり、感触、なにひとつ違和感を生じさせることなく、彼の横たわっていた上体を引き起こさせた。
 どうやら正常に動作しているようだな。
 両眼を巡らせて辺りを見やれば、自分は下生えの上で機能停止していたらしい。木々の枝葉をくぐって降り落ちる日ざしの強さを分析するに、現在時刻は14時頃と思われた。
 ……それにしても、この脳の痺れはなんだ? ああ、神経回路の出力が情報処理能力と噛み合っていないのか。
 思った途端、四肢の先まで張り巡らされた金属製の神経が、五感からの情報を遮断した。
「いや、量は元のままでいい。脳が苦痛を感じないよう、精度の調整を」
 コマンドを受けた制御回路は速やかにそれを実行し、彼の不快な痺れもすぐに引いていった。
 この体が彼のものであることにまちがいはないが、造ったものは神でも親でもない、別の誰かだ。すり合わせが済むまで、互いの不便はしかたあるまい――

 彼はすがめた目で自らを見下ろした。
 黒を基調とし、端々を緑で飾った装甲。皮膚感覚は装甲の内側にあるから、甲冑のように身体を覆っているのだろう。
 ……造りものの身体に、なぜ外装を被せる必要がある?
 そもそも人型に為し得る汎用性など微々たるものなのだから、戦術に合わせて形を大きく変えた義体を用意すればいいだろうに。いっそユニットを義体として使う手も……と。彼は自分が戦闘行為を前提としていることに気づき。
 それ以外のことをなにひとつ思いつけないことに気づいた。

 俺はなぜ、生身を失った?
 俺はなぜ、ここにいる?
 俺はなぜ、俺を俺と呼ぶしかできない?

 当然ながら、答えるものはなかった。
 耐え難い恐怖の中、彼の震える指が装甲を手繰り、這い上る。身体のすべてが造りものであることを知りながらも、装甲に鎧われておらぬ“人肌”を求めずにいられなくて。
 俺は、人であるはずだ。たとえ造りものだとしても、俺は……

 斯様に容易く惑うか細き心、土塊やら木石やらで拵えたものではありえなんだ。

 体の奥底から聞こえてきた、声。
 誰の声なのかはわからなかったが、なぜだろう。激しく掻き乱れていた心がそれだけで凪いだ。
 俺はあの声を知っているのか。……いや、悩んでも無意味だな。自分が誰なのかすら思い出せない、今の俺には。
 そして。喉元から指を引き戻そうとしたとき、チャリッ。触れたなにかが金臭い音をたてた。手に取ってみれば、それは鎖に繋がれた金属板である。
 確かドッグタグと云うのだったか。
 おそらく自分の名前が刻まれていたのだろう表面は綺麗に研磨されていて、かすかな文字の痕跡も発見できなかった。穴が空くほど見つめ、ようやくあきらめて裏へ返すと。
「LUCK」
 そのひと言を記すにはあまりに不自然な位置に刻まれた、LUCK。
 と、まあ疑問はあれ、幸せ、幸福、幸い。人であれば誰もが祈り、願い合う程度のありふれたワードである。つまり、手がかりにはなりえない。
 気を落としながら、彼はもう一度「LUCK」を口にした。なぜだろう、不思議なほど空(から)の心に美しく響く。
 思いがけず深い縁があるのかもしれんな。この他愛のない言葉と俺には。
 ならば、なにかを思い出せるまでは識別コードとして使ってもいいだろう。何か思い出せるきっかけになるかもしれないし、少なくとも自分以外のものに呼ばせる名は必要だ。
 そう決めた彼――LUCK(la3613)名乗るときは、案外にあっさりと訪れる。


 木々の密度が薄く、楽に歩けるのはそれこそ幸いだった。
 ただ、外装の一部としてずっと頭部を覆っていたバイザーユニットのせいで、視界はお世辞にもいいとは言えない状況である。
 途中で外してもみたのだが、ごく短時間で視覚回路がオーバーフローを起こす。生身の人間が常時、どれほど高度な情報処理を行っているものかを思い知るばかりだが、ともあれ。なんらかの解決法が見つかるまでは、つけたままにしておくよりなかろう。
 と。
 視覚と連動したバイザーの裏に警告が灯った。何者かがこちらへ接近してくる。隠れたり足音を潜めたりしてはいない。だとすればやましいこともないわけか。
 彼はバイザーの角度を正し、両手を開いてなにも握り込んでいないことを示しつつ接近者を待つ。
 果たして木々の狭間から顔を出したものは……彼をふたまわり以上も凌ぐサイズを備えた蟷螂だった。
 知能の程は知れないが、とにもかくにもファーストコンタクトである。できるだけいい結果を出し、得られる情報を増やしたい。
「俺はLUCKという。本名ではないがけして怪しい者ではない……とは自分でも説得力を感じないが、少なくとも敵対するつもりは」
 ない。とまでは言い切れなかった。
 蟷螂が、両の鎌をかざして跳びかかってきたからだ。
 LUCKは蟷螂の突進を唐突なサイドステップでかわしてのけた。生身には為し得ない、100パーセントの出力による機動である。
 しかし彼は、木へ激しく衝突していながら平然と振り向く蟷螂の様に足を止めてしまう。
 見切ることは容易い、その後どう動くべきかも、なぜか心得ている。問題はLUCKに、蟷螂と対し得る装備が装着も内蔵もされていないことだ。
 迫り来る蟷螂を、彼は転がり、跳び退き、駆け抜けてやり過ごす。ただし、できているのがそれだけのこと。
 その辺りで拾い上げた石や木枝では、蟷螂の目と思しき箇所すら傷つけられなかった。正確には目へ届く寸前、壁に当たったかのごとく弾かれたのだ。念のため、目以外のあらゆる箇所へ試してもみたが、結果はすべて同じである。
 八方塞がりとしか言い様のない状況のただ中、LUCKが自らの末路を思って息を押し詰めたそのとき。

 標は其処に。

 先ほどの声が彼へ告げた直後、バイザーの先にちりりと輝く光。
 分析どころか認識するよりも迅くLUCKは駆け、それを手にしていた。なにを考えることもないまま鍔裏へ仕込まれたスイッチを押し込み、直ぐに伸びていた剣身をばらりと解く。
 見知らぬ武具であるはずなのに、彼は特性のすべてを知り尽くしていた。だが、ここで悩むようなことはしない。
 あの声はこれを標だと言った。ならば俺は導かれるまま進むだけだ。
 鎖に繋がれた刃は蛇のごとくに蟷螂を取り巻き、切っ先という顎を突き立てる。
 目にした者がいたならば、剣を得ただけでこれほど自在に戦えるものかと驚愕するだろうが、ちがう。ただの剣ではないからこそ、LUCKは自在を得られたのだ。彼と共にここへ流れ着いたひと振りであり、後にこの世界の技術で生まれ変わることになる愛剣――竜尾刀「ディモルダクス」だからこそ。
 果たして地を滑る竜尾刀はふいに切っ先を真上へ跳ね上げ、蟷螂の顎から脳天までを突き抜いた。


 息をつき、LUCKは森の先を見る。日が落ちる前に、少なくとも身を隠せる場所を見つけておきたい。それから燃料である食料と水も。
 普通に飯を食うのか、俺は。……訂正しておかなければな。俺は俺のことを、なにも知らない。
 知らないのはこの場所のこともだし、先の蟷螂という新たな謎まで増えてしまった。八方塞がりの状況は、今なお継続中というわけだ。
「それでも行くしかないからな」
 生きるために。知るために。探すために。
 LUCKは愛剣を手に、迷うことなく歩き出す。


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2020年03月16日

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