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『熱に浮かされて』
杉 小虎la3711

●悪夢に勝れど
 本日快晴なり。空は雲一つなく、窓からも燦々と光が降り注いでいる。杉 小虎(la3711)はそんな日の出と共に起き出して、軽い稽古で汗を流す……とは行かなかった。眩しさに薄目を開いた彼女は、どうにかその場に身を起こし、力無く伸ばした手でカーテンを閉ざした。再び暗闇の中に落ちたベッドに、小虎はどさりと倒れ込む。枕元に置いた体温計を取ると、額に翳してスイッチを入れる。39.5度。とてもひどい熱だ。熱のお陰で全身の関節も筋肉も痛み、小虎は呻いた。
「ああ、このわたくしとしたことが。こんな風邪如きに打ちのめされてしまうなんて」
 小虎はうわごとのように呟く。ただの風邪だろうがインフルエンザだろうが吹っ飛ばしてしまうほど健康体なのが普段の彼女であったが、SALFの中で今年流行った風邪はひどく性質が悪かった。元々一般人よりも強い免疫機能の中を耐え抜いたウィルスが変異を起こしてしまい、ライセンサーに対して酷い発熱や咳を引き起こすようになってしまったのである。グロリアスベースを中心に流行したその風邪は、人から人へと伝染してダウンする人間を続出させた。一時はナイトメアの陰謀かとも思われたが、結局そんな事も無く、ただただライセンサーの中にはその強靭化した身体に任せて不摂生をしている者が少なからずいたという話であった。
 この武闘派お嬢様も御多分に漏れず、栄養不足の隙を突かれて感染したのである。といっても彼女は無精で不健康な暮らしをしていたわけではなく、そもそも家事能力がまともになくて、独りでいると不健康になるしかないのである。ベッド脇のテーブルの上には、急場しのぎに買ってきた適当な風邪薬やら冷却シートやらの箱が乱雑に放置されていた。
「ううん……寝ているばかりではいけませんわ。何とかしなければ……」
 ただ寝ているだけでは弱っていくばかりである。筋肉関節の炎症と合わさって、ただ寝ているだけでも背中や腰が痛くなってくる。安眠の為にも少しくらいは起きて動くしかなかった。栄養も付けなければ再び戦士として武器を取ることもままならない。そう自らに言い聞かせた小虎は、倦怠感に抗い起き上がった。
「さあ、何か作らなくては……」
 彼女は狭いキッチンへと向かって棚を開く。料理音痴の救世主、パックご飯。流石の小虎もレンジで何かを温めるくらいは出来る。説明書きがパッケージに書いてあるのは良い事だ。言われたとおりにレンジをセッティングしてスイッチを入れる。
 しかし腫れた喉ではいくら白米とはいえ固形物を飲み込むのも苦しい。彼女は小鍋に水を注ぐと、早速火をかけ沸かし始めた。冷蔵庫からは卵も取り出している。普段はインスタントラーメンしか作らないが、今日は卵とじのお粥を作るようだ。
 チンとレンジが鳴った瞬間、小虎はよろよろと歩み寄って米を取り出す。パックの蓋を一気に開くと、湧いた鍋の中にご飯を放り込んだ。卵も割って中に入れるが、手元が狂って殻がぱらぱらと鍋の中に入ってしまう。
「あ、そんな……」
 咄嗟に手を差し入れて殻を取り出そうとしてしまう。熱い。思わず小虎は悲鳴を上げた。
「あっつい! 私としたことが一体何をして……」
 そうこうしているうちに殻はご飯の中に潜ってしまった。

 小虎はテーブルに鍋敷き代わりの雑巾を置き、そのまま直接鍋を置く。水の量を間違ったか、卵とじにするつもりだったのに重湯のような見た目になってしまっている。無駄に量も多い。小虎は思わず溜め息を吐いた。
「これは……いやしかし、きっちりと頂かなくては……」
 覚悟を決めると、スプーンを取って口へと運ぶ。そこで小虎はようやく気付いた。味付けが何もない。塩も醤油も入れていない。風邪のお陰で舌が鈍り、水で薄まった卵の味もろくにわからない。それどころか殻がじゃりじゃりする。とても食べていられたものではない。普段は惣菜パンを食べたり野菜ジュースを飲んだりで済ませていたから気にも留めていなかったが、こんな時には自らの家事能力の無さに慄いてしまう。小虎はスプーンを放り出すと、力なく布団の中へと潜り込んだ。
「やはりわたくしには無理ですわ。家事の才能がないのです……」
 恨めしそうに呟きながら、彼女は布団を引っ被った。

●夢の差し入れ
 今日一日で風邪は一層ひどくなってしまった。寝込んでうなされている間に、小虎の頭の中がぐるぐるしてきた。これまでのあらゆる事を右から左へと思い起こしてしまう始末である。家族の全てを断ち切り、小虎との絆さえ引き千切っていなくなってしまった幼馴染の婚約者。今更になって彼ならば誰よりも真摯に看病してくれるに違いないのに。そんな事を考えるが、悲しいかな、彼は今や遠いところに行ってしまった。再び手が届く保障すらない。次に思い浮かべたのはライセンサーとしてのイロハを学んだ師匠の姿だが、彼も男やもめで無精な生活をしている。近づこうものなら伝染してしまうと、小虎は、師匠に自分へ近づかぬようにと固く言い含めたのである。友人にもそれを伝えるようにと。そんなわけで、いくら苦しかろうと彼女の下へは誰も助けに来ないのである。
 寂しい。普段なら身体を散々動かしてそんな気持ちは紛らしてしまうところだったが、今日はそうもいかない。布団の隅っこを掴んで感情を噛み殺し、彼女は眠りの中へと落ちていった。

 ――熱ですっかりどうにかなってしまったのだろうか。小虎はとうとうその身を抜け出し自らの枕元に立って茫然と部屋を見渡していた。部屋がすっかり片付いているのだ。部屋の片づけくらいは小虎もするが、ベッドから起き上がれない状態では服も何もかも部屋に散らかしっぱなしであった。
(一体何が……)
 その時、部屋の扉が静かに開いた。お盆に湯気の立ち昇る小さな土鍋を載せて、そっとテーブルの上に載せる。それからその人物はそっとベッドに倒れている彼女の側に寄り添い、その顔を覗き込む。
 あまり無理をしてはいけないよ。
 そんな声が聞こえた気がした。それだけ言い残すと、その人物は再び立ち上がって姿を消す。お待ちになって。そう呼び止めようとした時、彼女は再びその身体の中へと吸い込まれていった――

 ふと小虎は身を起こす。体調も少しはマシになった。ベッドの傍らを見てみると、テーブルの上も着替えが散らかったままの床も、本当に片付いていた。頬をつねってみるが、しっかりと痛い。
「一体どなたが……?」
 ライセンサーすら病床に叩き込むような強力な風邪だ。絶対安静面会謝絶、ここを訪れる人間など本来はいない筈である。しかし、テーブルの上にはドロドロの味無しお粥ではなく、卵と醤油で味付けし、細かく切った幾らかの野菜も一緒に煮込んだ立派な雑炊が乗っていた。小虎はそろりとベッドを降りると、テーブルの前に腰を下ろす。器を手に取り匂いを嗅ぐと、何処か懐かしい香りがする。ふっと物悲しい顔をしたが、すぐに彼女はその表情を吹き消した。
「……いいえ。きっと気のせいですわね、これは。きっとどこかの誰かが要らぬ節介を……」
 スプーンを取って、雑炊を口に運ぶ。顔も見えぬ誰かのやさしさが、胸の奥まで染みわたった。



 おわり


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
●登場人物一覧
 杉 小虎(la3711)

●ライター通信
 今までお世話になっておりました。この度は御発注いただきましてありがとうございます。
 誰が助けに来たのかは神のみぞ知る、という事で。そちらは想像にお任せします。何かありましたらリテイクをお願いします。

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2020年03月23日

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