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『Papilio protenor IF -1-』
水嶋・琴美8036

 


 ハイウェイで数台の車が映画さながらのカーチェイスを繰り広げていた。
 先頭を走る黒のリムジン。運転席のない自動運転が主流の現代にあって、法廷速度を遙かにオーバーし片輪走行を駆使して他車の間を縫うように疾駆する。それを可能にしているのは偏にそれだけの技量を持った運転手の存在であろう。ならばそのリムジンを追う車たちも今時には珍しいマニュアルドライバーという事だ。
 だが、運転手がどれほどのテクニックを見せようとも飛行機能を備えていないリムジン、数台の車によるバリケードで前方を塞がれてしまってはどうしようもない。
 程なく。
「旦那様」
 運転席の男がバックミラーを覗きながら諦念の混じった嘆息を後部座席に投げた。ゆっくりと車が停止する。
 後部座席の老紳士は特段辺りを見回すでもなく対面シートの向かいに座った女に尋ねた。
「どれくらいかかるかね?」
 女は頭を垂れたまま静かに答えた。
「10分も頂けましたら」
「ふむ、それでどうだ」
 今度は老紳士の視線が前へ向かう。
 助手席で色を失い口元をハンカチで押さえていた秘書らしい女が、ずり下がった銀縁のメガネを押し上げながら一呼吸おいて答えた。
「その程度でしたらスケジュールに問題はありません」
 女の言に老紳士は優しげな笑みを覗かせて向かいの席の女を促した。
「よろしく頼む」
「仰せのままに」
 女は応えて静かに車を降りた。
 ちょうど、バリケードを作っていた車からも数人が降りてきたところだ。銃口をこちらに向けていた輩共の面が好色を帯びる。下卑た笑いの半分はわざとかチンピラ風を装ってはいるが隙のない動きは訓練された人間のそれだ。そんな相手をそれでも口笛を吹かせて煽らせるに至ったのは女のその出で立ちのせいであったろう。
 噂では聞いた事があってもやはり目の当たりにするのとは違う。
 ターゲットを守るメイド。
 彼らは何の冗談かと思っていたのだ。
 それを前にして、男ならば仕方がないか。最初に目を奪われたのは顔を埋めたくなるほどに豊かな胸、或いはミニスカートとニーソックスの間に見られるわずかな色白の肌。後もう少し屈めば中が見えそうなほど短いスカートに一瞬伸ばしかけた鼻が、輩共の長と思しき男の咳払いで臨戦態勢に戻る。自らの仕事を思い出したのだ。
 自分たちもチンピラ風を装っている。彼女の見た目で彼女の実力を過小評価しては失礼だろう、何よりこの数に、大して臆した風もなく1人で挑まんとしているのだ。こちらも兎を狩るにも全力を尽くさねばなるまい。といったところか。
 ――そうでなくては困る。
「10分も頂けました。それくらいは楽しませて下さいますわよね?」
 水嶋琴美(PC8036)は楽しげに呟いた。昂りに口角をあげ視線だけで数を数える。前に10、後ろに8。輩の数ではない。彼らとの間合いの歩数だ。
 1歩、スカートの中に手を滑り込ませた。ガーターベルトから抜き取った棒状のそれを両手に握り込む。1歩、手首をしならせると警棒のようにそれは伸びた。更に1歩。もう一度振るとトンファーのような形状になる。
 準備完了。地面を蹴って走り出すと同時に彼女は右手を後方に向けて弧を描かせた。ただの棒のように見えた彼女の得物が黒い鉄扇のように広がり風を作ってリムジンを竜巻で覆う。
 輩の1人が銃を構えた。間合い詰めてくる琴美にすかさず引き金を引く。琴美の左手が動いた。開いた扇がそれを真正面から受け止める。飛んできたのは実弾ではない。パラライズガンが撃ち出すのは殺傷能力のない麻痺弾だ。
 つまり輩共のミッションはターゲットの殺害ではなく……拉致か。
 琴美は雨のように穿たれる麻痺弾を扇の盾で受け止めながら更に間合いを詰めた。
 残り、8分53秒。
 ファーストコンタクトは輩の長と思しき男の拳とそれをいなす琴美の閉じた得物。横から別の輩が繰り出すパンチをもう一方の開いた扇で目くらまし。生み出される刹那を縫って閉じた棒が男のこめかみを強打する。
 閉じては開く扇と、握りの返しで間合いの変わる変幻自在の攻防をみせる彼女の得物に翻弄されながら、それでも輩共は波のようにヒット&アウェイを繰り返した。
 白兵戦に慣れている傭兵部隊か。かえって御しやすくもある。
 繰り出されるパンチを右手でいなすと左拳が的確に琴美の細くくびれた右脇腹を狙いにくる。ちゃんと出来た隙をついてくれるから、左手の扇で阻んで右エルボーの先の得物で輩の喉仏を突けた。
 その時には背後から別の攻撃が繰り出されている。ヒリヒリと肌を刺す殺気が心地よくすらあって琴美は楽しげに一転すると回し蹴りを輩の脇腹にめり込ませていた。
 彼女の長い髪が風に舞う。その髪にすら触れさせないほどのスピードで動いているはずなのに、その様はまるで駒送りでも見ているかのようであった。
 彼女が一転するたびに、輩共は吹っ飛ばされ地を這っていく。その姿は武闘というよりも舞踏であるかのように。軽やかで楽しげで鮮烈なまでに幽艶な演舞。
 気づけば立っているのはこの集団の長と思しき男だけになっていた。それも、彼のパンチに扇を開き、閉じた得物を鳩尾に食い込ませる事で膝をつかせて終わりか。
 男がゲハッと呻いて吐瀉するそれに赤いものが混じった。
 自ら作った汚泥に顔を埋めさせようとその背に向けて足をあげたところで横から邪魔が入る。まだ動ける者がいたのか。右手を振った。
 ただそれだけで地面に転がる邪魔者には目もくれず琴美は向き直った。
「勿論、立ち上がって頂けますのでしょう?」
 10分にはまだ早いのだ。
 男が口元を腕で拭いながら琴美を睨めつけ立ち上がった。琴美は満足げに微笑む。
 繰り出される攻撃を受け止め、いなし、払い退ける。大振り気味に胸を狙った蹴りはクロスブロックされた。骨の折れる感触と痛みによろめく男にサディスティックな笑みが漏れる。だが男はまだ戦意を喪失してはいない。だから。男の攻撃を軽やかにかわしながら、彼がぎりぎり反応できる範囲で攻撃を仕掛け余力を削っていく。
 圧倒的な実力差を見せつけるように。
 しかしそれも。
「残念ながらお時間のようです」

 ――リムジンの助手席にいた女が懐中時計を見つめながら運転席に「間もなく10分です」と声をかけた。

 男が最後の力を振り絞って琴美に襲いかかる。

 ――運転手はクラッチペダルとブレーキペダルを踏み込みながらエンジンを起動した。

 二段蹴りで男の胸と顎を抉って吹っ飛ばし、琴美は宙返って静かに着地した。

 ――ギアをニュートラルから1速へ。

 琴美は閉じた得物をクロスする。

 ――タコメーターが振り切れるような騒がしい真似はしない。

 琴美がゆっくりと両腕を開いた。烈風が車によって作られたバリケードを割る。

 リムジンが静かに走り出したのと、それを覆っていた竜巻が止んだのとはどちらが先だったか。加速するリムジンのドアが開いた。
 琴美が滑り込むように乗り込む。
「ありがとうございます」
 その言葉は果たしてどれに対してのものか。老紳士はただ頷いただけだ。
 そうしてリムジンは何事もなかったかのようにハイウェイを走り抜けていった。





 To be continued...


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ありがとうございました。
楽しんでいただければ幸いです。

東京怪談ノベル(シングル) -
斎藤晃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年03月23日

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