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『殻に秘されし泡沫の姫よ・後』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)

 真の暗闇と呼ぶには程遠い、だが目の前に絶望的なまでに広がるそれから覗く僅かな光明はこの手に届くことはないとよく解っていた。慰めるように心地良い感触が頭頂部を掠め、柔らかく優しく全身を愛でるように撫でては肌に染み込んだ。何とかここを出なきゃという焦燥感に対し、思考は段々ぼんやりと霞んでいき、万が一の脱出出来る可能性を求めて伸ばした手には先程までと同じだけの力は入っていなかった。この中に閉じ込められてすぐに覚えた頬が引き攣る恐怖感も絶望も薄れて、状況整理に頭の中が追いつかなくなる。それでも立ち上がれないくらい狭い世界で、何とか内側から押し開けようと一縷の望みに縋るように、その境界線へと触れた腕に精一杯の力を込めた。
 薄れゆく意識の中で思うのはこの世界にいるたった一人の同族、誰よりも慕ってやまない大切な人。
「助けて……お姉、さま」
 もし仮にこの絶望的なまでに厚い殻の向こう側にいたとしても、見える筈もなければ声が届く筈もない。それだけに思い浮かんだ後ろ姿はいっそただ残酷で――思考が千々に解けると同時、意識そのものもまた、いっときの間だけ失われることになる。最後に見えたのは細く差し込んだ室内灯に照らされ光る、おおよそヒトのものだとは思えない光沢を持つ己の肌だった。ファルス・ティレイラ(3733)の意識はそこでぷつりと途切れてしまう。

 ふぅ、と通りを行くシリューナ・リュクテイア(3785)の唇からは小さく溜め息が零れ落ちた。自宅兼自らが経営する魔法薬屋に帰る足取りは悠然としつつも見る者が見れば若干の疲れが見てとれる。というのも、このところある依頼を受けて魔法薬の精製に没頭していたせいだ。元々魔法薬とは調合の手順や魔法の効力を封じ込めるタイミングを僅かにでも誤ってしまえばたちまちに効果が変じてしまうような、職人芸の為せる業といっても過言ではない。シリューナは個人的な趣味で収集した装飾品の販売も行なっているが、そちらはあくまでついでであって、本業は魔法薬の取扱いだ。なので、理論体系が確立されている物なら、作るのは造作もない。ただそうでない物を精製するとなると話は別だ。求められる効果を確実に発揮出来る魔法薬を一から作るというのはどれだけ熟達した技術を持つといえど、試行錯誤は不可避な実に骨の折れる作業だ。結果的には期限内に余裕を持って、堂々と渡せる物が完成したものの、心身への疲弊はそれなりに残った。どれだけ大変だったのかというと、弟子であり妹同然に可愛がっている同族のあの子の面倒を見る時間も、ろくに取れなかった程だ。折角数日ぶりに顔を見たというのに今日も、依頼主に納品しに行かなければと、彼女に留守番兼店番を任せて出てきてしまった。
(流石に今日は修行をつけるのは難しいかしら……でも、一緒に話くらい出来るといいわね)
 一応、帰りが遅過ぎたら店の施錠だけして先に帰ってもいいとは伝えてある。しかしあの子のあの性格ならいつまでも待っている気がした。それは律儀というよりも、おそらく彼女にとってはシリューナの店の倉庫や自宅に保管された品々が最もその本能を擽るからだろう。幼子に似た移り気な性格の彼女の高過ぎる好奇心を満たせるものは多くはない。
 店の出入り口まで帰ってくると、扉にはCLOSEDのプレートがかかっていた。一瞬自らの感覚を疑って腕時計で時間を確認するが閉店するにはまだ少し早い。シリューナは息をついた。何か騒動があったらわざわざプレートをひっくり返さないし、年の頃十代半ばの少女を一人で誰でも出入り出来る店に置いていったことに関しては心配する必要がない。それに弟子もいざとなれば得意の空間操作で逃げるなり、魔法で火を出して追い払うなり出来るだけの強さはある。だからこれは自発的に彼女が行なったことに間違いない。となればやはり店番に飽きて店を離れたものの、誰もいないのに開店しっぱなしにするわけにもいかない、と申し訳程度の理性で配慮したと頭の中で容易に想像出来た。
 鍵を開けて店内に入り、周囲をざっと見回せば案の定、留守番を任せていた筈の姿は影も形もなく、それなら倉庫か自室、食べ物を探し求めてのキッチンに当たりをつけて探すことにした。魔法の修行なら、シリューナも甘やかすことは彼女の為にもならないと厳しく叱りつけるところなのだが、シリューナが出掛けた直後でもない限りは責め立てる気にはならない。集中力の欠如は短所だが、未知のものに躊躇せずに飛び込める冒険心があるともいえて、それは美徳だと思うのだ。
「おかしいわね……」
 ぽつりと頭の中に浮かんだ疑問がそのまま零れ落ちた。当たりをつけた箇所を見て回っても全く気配がないのだ。まさか読み間違えていて既に帰っていたのかと疑問を呈すも、やはり直感はここに残っている筈と告げる。まるで狐に化かされたような――密かに魔法が存在する世界、ただの冗談とも言い切れないが――何ともいえない気持ちになりながらも、シリューナは尚も探し回った。
 そうして一度見た筈だと廊下を進み、ある扉を通り過ぎかけて、胸に迫るほんの少しの不安に意識が逸れていたことがかえって功を奏したのか、シリューナは違和感を覚えて立ち止まった。中途半端に開いた扉が目の前にあってそしてそれは実験用につい最近作った部屋である。シリューナも別に逐一整頓しなければ気が済まない神経質な性質ではない。むしろその手のことは世話を焼いてくれる弟子に任せがちだ。しかし、先述の通り最近まで実験に没頭し、繊細さを要求されるがゆえに、魔法薬の取扱いに入念の注意を払って、もし万が一失敗したときに被害を防ぐ為にも開閉はきっちり行なうようにしていた。それで癖がついたので今日出掛ける前も必ず閉めた筈だ。なのに開いているということはシリューナがいない隙に入った人間がいるということで、勿論心当たりはただ一人。
 扉を開いて室内に入るなり、シリューナはこほんと咳払いする。そして叱りはしないにしても、小言の一つは言おうと口を開きかけて、だがそこから声は零れることなく、中途半端な状態で軽く固まる。そこにも姿がなく不思議に思ったのだ。ただここに入ったのは確実である。辺りを見回すまでもなく目についたのは中央に鎮座する巨大な二枚貝。そう呼ぶに相応しく座っていれば人一人は余裕で入れる大きさがある。
(もしかして……ね)
 有り得ない話ではない。なにせ彼女は幾度となく好奇心で己の身を滅ぼしてきた。――まあ半分くらいはそこまでしていないのに、シリューナがお仕置きと称して呪術をかけ、反応を楽しみながら最終的にはオブジェ鑑賞の餌食にしてしまった為だが。密かに期待に胸を躍らせつつ、魔法薬の実験の際に偶然出来た産物である魔法生物に視線を向け、自らを焦らすが如くゆっくり歩み寄る。それでも近付くのにさして時間はかからず、シリューナは巨大な二枚貝に手を伸ばすとぴったり閉じたその口へと魔力を注ぎ込んだ。生態を完全に把握しているわけではないのだが、それで反応するだろうと経験から判断した。
 予想通り、緞帳が上がるように殻が徐々に開いていく。生物とはいえ意図的に焦らす思考は持ち合わせていないだろうに、もどかしい思いをさせられながらシリューナはその一部始終を黙って見守った。室内灯が届かず、薄暗い中にてらてらと光る物が何か見えた瞬間に鼓動が響き、それが人型だと分かれば、一気に高鳴った。そうして開いて現れたのは巨大な真珠の塊。更にいうならば、その形はティレイラそのままの可愛らしくも美しい姿で思わず感嘆の声をあげてしまう。
「なんて綺麗なの……?」
 その声には賞賛と同時、少しだけ責めるような響きが混じっている。シリューナが数多の美術品と装飾品を収集して鍛えた審美眼をあまりにも刺激して、気持ちが高ぶるがゆえにいっそどうにかなってしまいそうになるのだ。もし気が狂ってしまったのならば、それは全部ティレイラのせい――そんなふうに責任を追及したくなる。早くなり過ぎて止まってしまうのでは、と危惧したくなる心臓に手を当て、深呼吸をし、どうにか興奮を抑えながらシリューナはぱっくりと開いた巨大貝の中、まるで殻の内を寝床にした人魚のように佇んだ状態のその像へ手を伸ばして触れた。撫でているだけにも見えるが、冷静さを取り繕いつつ触れた箇所から現状がどうなっているか調べている。
 それで分かったのは真珠のように見えるのはティレイラの身体の表面が魔力の膜に覆われてしまっているからだということ、またその膜が薄く幾重にも積み重なった為完全に固まった状態に変化していることと、結果的に身体も意識も封印されてしまったこと――状況が判明すれば自ずと解決策も浮かぶ。すなわち魔力の膜を溶かせれば無事封印が解け、全てが元通りになる筈だ。しかし――。
「後で必ず解いてあげるにしても、先にこの美しいオブジェを楽しんでもバチは当たらないわよね」
 シリューナにとっては僥倖ともいえる偶然の産物。愛でなければ損、いや失礼というものだろう。
 ミイラ取りがミイラにならないよう、底部に触れて魔力を流し込み、念の為に巨大貝の感覚を麻痺させて防御反応を無効化するとシリューナは自ら膝をついて身体を乗り出し、間近に見える真珠の像と化したティレイラに迫って壊れ物を扱うように肌に触れる。完全に殻が開いた為、煌々とした灯に照らされた彼女は文字通り白く煌めいていた。
 何の前触れもなく中に閉じ込められて恐慌状態に陥ったことだろう。そう想像するも現実のティレイラは少し呆けた雰囲気の、困りごとに直面したような表情を浮かべていた。垂れ下がる眉は期待に応えられなかったときによく似ている。よくよく注視すれば毛の一本まで見えそうなティレイラ自身が元になっているからこその精巧さが見事で、シリューナはうっとりと熱っぽい息を吐き出す。その眉を緩くなぞり、目尻を掠めて頬の膨らみ、指の背に同じだけの光沢は維持しながらも触れてもさらさら流れることのない硬い髪を感じつつ、顎へと続く輪郭の曲線を愛でていった。色濃く幼さが残る丸みを帯びたそれはシリューナの掌にしっくりと馴染み、まさしく真珠と同じ滑らかな質感がまたひどく心地いい。少しひんやりとして、まるでこの熱を冷まそうとしているかのようにも思えた。
 綺麗に並びその瞳を彩る睫毛もまた、作り物では実現し得ないきめ細やかさを誇っていて、瞳などももしも実際に触れたならこんな感触がするのではと錯覚しそうになる僅かな湿り気を帯びている。肌も元より一点のくすみもないが、硬質化した今でも微かな歪みさえ感じないのは芸術の極致に至っていると表現しても過言ではないだろう。
 ――どこを見ても、あるいは角度を変えて眺めても上からの光が絶えずティレイラを照らして、美しい光沢をこの目に映した。当然だが可愛らしさと美しさが共存した彼女自身の魅力も衰えることなくシリューナを楽しませてくれる。幾度となく像となった彼女の姿を鑑賞してきた。しかし素材然り表情然り、一つとして同じ物は存在せず、感じる真新しさが一度は抑え込んだ高揚を煽り、シリューナの背筋を震わせて、愛でる手を離していれば、その両腕で自らの身体を抱き込んだに違いない。
 両膝立ちの格好で前のめりになって、懸命に内からこの巨大な二枚貝を押し開けようとしていたことは想像するに容易かった。その腕に込められた力はおそらくはティレイラ自身が想像していたよりも遥かに弱いものだっただろうが。――閉じ込められたとき、どんな気持ちだったのだろう。膜に包まれて意識が薄れていくのをリアルタイムに感じていたその瞬間は? 所詮妄想に過ぎないものの、考えればこの芸術に深みが増して、シリューナはぐっと生唾を飲み込んだ。次第に呼吸が獣じみたものになる。生々しく時間を切り取ったこの像のなんと美しいことか――。巨大貝が齎した思いも寄らぬ副産物に浸る、その唇は確かに緩く弧を描く。
 至上の造形のオブジェを質感を味わうように丹念に撫で回せば、閉店し、もう何も用事がないことも相まって意識の隅からも時間を消し去って、夢中になって眺めては触れての一連の動作を繰り返した。そんなシリューナの手によってティレイラが封印から解き放たれるのは少し後の話。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
後編の今回は既にティレイラさんが真珠の塊になった後ということで、
ほぼシリューナさん視点で無事用事を済ませてからティレイラさんを
丹念に愛でるまでの描写をがっつりと書かせていただきました。
素材が真珠という大きな特徴はあまり活かせずじまいでしたが
発見するまではシリューナさんとティレイラさんの信頼関係を、
発見したあとはシリューナさんがいかにティレイラさんの美に
惚れ込んでいるかを上手く表現出来ていればいいなと思います。
今回も本当にありがとうございました!
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東京怪談
2020年03月23日

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