▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『世界の門前』
白鳥・瑞科8402

 門。
 住宅事情のよろしくない日本にすらごくあたりまえに在る代物なのだが、しかし。
 人の世の安寧を護り続けてきた“教会”において、門というワードは特別な意味を持つ。

「門は今なお開いたままである、ということですわね」
 白鳥・瑞科(8402)は山羊の革を張ったソファに深く腰かけたまま、深く息をついた。
 門とはすなわち異界との通路。規模は開けた者の力の大小によるが、せいぜいが数メートル四方程度。対処のために訓練を積んだ武装審問官のチームでかかれば概ねは封じられる。
 なのに、“閂”という封をかけるどころか門を閉じることすらかなわなかった。だとすれば、そこへ向かった者たちはもう生きてはいまい。
「主よ。我が同胞(はらから)の魂を、彼(か)の淵ならずその御手の内へお導きくださいまし」
 同じ志持つ守護者たちの死を悼み、瑞科は背筋を直ぐに伸ばして十字を切った。
 ここでひとつ疑問が生じる。やわらかなフェザーを詰めたソファに深々と腰かけていながら姿勢を正すなど、普通に考えればありえないことではないか。
 そう、常人ならば、ありえない。
 類い希なる豊麗を備えた肢体、その奥に潜めた強靱なる筋肉へ力を込め、たとえこの場で奇襲を受けようとも構わぬだけの、心身の構えを据えた彼女でなければ。
 そも、教会の支部であるこの一室にあえて身の自由を奪うようなソファがおかれている理由は、「敵がこの場に存在することはない」からであり、来訪者に「敵意がない者は身構える必要もなかろう」と告げるためのものである。
 しかし、瑞科は常に身構える。
 教会に強いられた信頼へ応えるよりも、自らが掲げる守護者の志を示すために。
「参ります」
 弾みをつけることなく、重心の移動と筋力だけで立ち上がった瑞科は告げ、歩き出した。
 開け放たれた門より這い出し来る、異界のものどもを滅するがため。
 門を封じ、静やかにして健やかなる夜を、人の世に取り戻すがため。


 案の定、門のサイズ自体はそこまでのものではなかった。そして、開門と同時に跳びだしてくることの多い小者どもの姿もない。
 ただ。
 門をわずかずつ押し広げ、這い出してこようとするものがあった。
 腕だ。太さだけで瑞科の背丈を倍以上も上回る、異形の腕。毛穴から生えだした無数の触腕は鞭さながらで、しかもその先にはご丁寧にも剣――取り上げたのだろう武装審問官のそれを握り込んでいた。
 かすかに眉をひそめた瑞科は、長杖を槍のごとく中段に構える。通常とは逆に左足を前にして、それでいて手は右構えでだ。
 と。触腕がぶるりと震え、瑞科へ殺到した。
 長さの異なる“鞭”が、それぞれ動きを合わせることなく繰られれば、当然瑞科としてもただ弾くことはできないわけだが。
「ふっ」
 呼気を残し、瑞科がその身を回転させた。足と手とを逆に置いたことで、その胴は充分なねじれを蓄えており、その解放は彼女を鋭く巡らせるのだ。
 一転、二転、三転。斜めに立てた杖で触腕の剣先を次々巻き取り、弾く。
 速度差をつけているとはいえ、触腕がこの回転をかわしきることは不可能だ。一度めを逃れても二度めの回転に巻かれ、あるいは三度めの回転に弾かれる。
 こうして回転が数十も重ねられてみれば、触腕は瑞科を追いきれなくなっていた。
 関節のない鞭状の腕は、半ばを打たれてもその先を敵へ向け続けられるというメリットを持つが、瑞科の杖は常に剣先を弾いてくる。関節の可動限界によって途中で留まることができず、結果的に大きくのけぞらされていた。
 そして瑞科は弾きながらさらに回転を加速させ、遠心力に乗ってその立ち位置をずらしていった。見る者があれば、ハンマー投げを思い出したかもしれない。異なるのは杖を投げ放すことなく、電撃を伝わせた先で触腕の根元を打ち据え、焼き切っていくことばかりである。
 十数本の触腕を損なった巨腕はかすかに蠢き、そして。
 触腕から一斉に剣を投げ放つ。
 無数の面から無数の点へと転じた攻めを、瑞科はサイドステップでくぐり抜けた。回転を解いた勢いに乗って、わずか二歩で触腕の間合から我が身を放すが。
 彼女の軌跡を、触腕が抉った。直線を描いて次々と瑞科へ迫り来る。
 これまでのなめらかさは微塵もなかった。柔軟性が損なわれるほど細く、自らを引き伸ばしているのだ。
 瑞科の後と先とに突き立った“針”は巨腕へ戻ることなくそこに在り続け、彼女の回避を封じ込める。
 物理的に足を封じに来ていますのね。でも、それだけですかしら?
 おっとりとした思考とは裏腹な鋭い視線を巡らせ、“針”の意味を探る瑞科。しかし、解答を得るよりも早く、正解は披露された。
“針”へ魔力が伝い、ひとつの術式を編み上げる。無意味に見えたこの複雑な針の組み合わせは、瑞科を封じ込める檻であり、一種の魔法回路を形成するためのものであったということだ。
 果たして呪炎燃え立ち、瑞科を押し包む。
 その間にも新たな針が彼女の周囲へ撃ち込まれ、檻なる回路の密度をいや増していった。
 瑞科はもう、踏み出すことも飛び退くこともかなわない――

「これですべての腕を使い尽くされましたかしら?」
 毒に侵され、溶かされたマントを、役に立たなくなった肩当ごと脱ぎ落とした瑞科が艶やかに笑む。
 ボディラインをそのままに描き出す装束に包まれたその肢体は、信じがたいながら無傷である。
 簡単に述べてしまえば、瑞科は自分の力をマントへ流し込み、疑似的なドッペルゲンガーを成したのだ。魔法回路が標的として狙わずにいられないほど確かな“瑞科の存在感”を。
 それができたのは瑞科の力に加え、最新技術と祝福とを惜しみなく織り込んだ装備あればこそである。
 そして。
 守りを損なう代わりにさらなる挙動の自由を得た瑞科が、右膝までを鎧う白い編み上げブーツの踵を地へ突き立てた。
 この踵は、司祭たちが法力を込めて鍛え上げた聖杭。瑞科の装備の内でも抜きん出た聖性を備えている。
「ここまで固めてしまえばもう、受け流すこともできませんわね」
 蹴り出された左足の聖杭が弧を描き、針を砕く。
 右の杭で固定された彼女は独楽のように巡り、巡り、巡り――数瞬で自らを封じた檻を砕き落としてみせたのだ。
 そして瑞科は、触腕のすべてを失った巨腕へ問うた。
「なぜ、わざわざわたくしに折らせましたの?」
 この攻めは瑞科を殺すためのものではなかった。
 考えるまでもなかろう。いくら詰まっているからとはいえ、触腕以上の力を持つはずの巨腕自体が一切行動を起こさなかった。それはすなわち、触腕を損なわせられることを厭わなかったからに他ならない。

 そして巨腕は動く。
 触腕が針へ変じたように、その太さを減じて細く……いや、ちがう。自らを寄せ集めることで密度を増したのだ。
 結果、つかえていた腕は門をくぐって伸びだし、もう一方の腕を、頭をこちらの世界へと押し出す。
 ひとつのパーツもない楕円、しかしなぜか顔だと知れるものに見据えられた瑞科は典雅な一礼を返し、瑞科は左の聖杭を躙って感覚を確かめた。
 針を蹴り折った杭は、目の前のものの魔力に侵され、聖性を損なわされている。つまり使える杭は右の一本のみであり、使える機会もあと一度きりということだ。それでも。
「ようこそ、この世界へ。わたくしを尽くしておもてなしいたしますわ」


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年03月24日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.