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『夢の通い路』
不知火 楓la2790)&不知火 仙火la2785

 初夏の夜。庭の何処かに潜んでいるのか、蛙の鳴く声がけろけろと遠くで聞こえる。そんな声を聴きながら、自室のデスクに向かった不知火 仙火(la2785)はじっとたくさんのメールに目を通していた。朝から夕方まではきっちり会社で仕事をして、それが終われば各地の分家筋の人間や別会社を取り仕切る者達からの連絡を受け取るのだ。中々自分の時間を取ることが出来ず、忙しい日々が続いている。しかし、これを彼の母は自らや他のきょうだいを育てながらこなしていたのだ。仙火も弱音は吐かずに黙々と作業した。異世界の脅威ナイトメアを討ち果たし、英雄として凱旋した彼は、今や不知火家の当主。母から家督を譲られ、その後見の下で職務に勤しんでいたのである。
「はあ……」
 天使の遺伝子を受け継いだ仙火はただの人間に比べればすこぶる頑健だったが、だからといって朝から晩まで仕事仕事では疲れてしまう。椅子の上でうんと伸びをした彼は、間延びした調子でたかたかとキーボードを叩き始めた。

 そんな彼の姿を、不知火 楓(la2790)は扉の隙間からじっと見つめていた。本当なら廊下に突っ立っていないで今すぐにでも飛び込みたいところだったが、流石に忙しい当主を邪魔するわけにもいかない。謁見の間を守る近衛兵のように、彼女はその場で立ち尽くしていた。
「そんなところに突っ立ってないで、入って来いよ、楓」
 しかし、仙火も忍びの子。楓の気配に気が付かないわけもない。仙火はノートパソコンを閉じると、扉に向かって振り返る。楓は観念したように肩を竦めると、扉を押し開き、部屋へするりと足を踏み入れた。
「やれやれ。流石は不知火の棟梁だ」
「どうしたんだよ。こそこそと俺の部屋を覗いたりして。入りたいなら入ってくればいいだろ?」
「そんなわけにもいかないさ」
 楓はそっぽを向く。仙火は肩を竦めた。
「どうしてだ?」
「ふふ、仕事の途中に夜這いを仕掛けられても困るだろう?」
 そういって、悪戯っぽく流し目を送る楓。仙火は溜め息を吐いた。
「そりゃ御足労どうも。見ての通りだ。流石にもう夜も遅いし、切り上げる事にした。だから気にするな。……しかし、本当にそれが本音なのか?」
「いやだなあ。まだ私がそう言うと本気にしてくれないのかい? 困った殿方だよ、仙火は」
 楓は白いネグリジェをひらひらさせた。かつては仙火の影武者、片腕たらんと勇ましく振舞い、自らを枷で押さえ込んでいた楓だったが、今やその枷は完全に解き放たれた。言葉遣いは相変わらずでもその口調は随分と円くなっている。
「そうかそうか。そいつは悪かったな」
 仙火はへらりと笑うと、椅子を立って部屋の隅の戸棚を開く。出てきたのは小さな日本酒の瓶と杯二つ。自他ともに認める蟒蛇二人。こうして夜に顔を突き合わせた時は、何はともあれまず酒を酌み交わしていた。
「まあとりあえず飲めよ」
「君こそ」
 二人は互いの杯に酒を注ぐと、テーブルを挟んで向かい合うように座り、一気に辛口の酒を呷った。互いの胸に、ジワリと熱が広がる。二人は互いに笑みを浮かべ、じっと見つめ合う。楓が小首を傾げると、長い髪を纏める簪の飾りがしゃらんと鳴った。仙火は目を細めた。
「その簪……俺が子供の頃にお前にやった……」
「そうだよ。せっかくの贈り物なんだから、大切に使わないとね」
 楓は笑うと、空にした杯を仙火へ差し出す。酒を注ぐ彼の手つきを見つめながら、楓はぽつりと呟いた。
「まさか、仙火があの子じゃなくて私の事を選ぶなんてね」
 桜が突然満開になるように、二人の前にその少女は突然現れた。仙火との宿命を背負って現れた彼女は、ある意味では仙火とは正反対の人間だった。だからこそぶつかり合う中で二人は互いを研鑽した。そんな姿を見つめていて、楓は一つの結論へと至った。
「君に必要なのはあの子だと思っていたのに。君が選ぶのは、あの子だと」
「だが俺は楓を選んだんだ」
 仙火はそっと足を差し伸べ、楓の滑らかな向こうずねを撫でる。
「当たり前の事だろ。あの部屋で話した時から、俺の心は何も変わっちゃいない。俺はずっと、お前のことを守り抜きたいと思ってる。最後まで。……お前を俺の手が届かないところになんてやるもんかよ」
「あの部屋で話した時から、か」
 楓は仙火に応えて、彼女もそっと足の指を仙火の足の甲へとつうと走らせる。
「もしだよ。それが私をあの時守れなかったから、その償いの為にだとか、私がずっと君に付き従ってきたから、それに応えないといけないとか、そんな責任感みたいな気持ちで私と一緒に居るんじゃないよね?」
「責任感?」
「そうだよ。だとしたら厭だなぁ。結局私は、君の事を縛りつけてしまっている」
 かつてスイートルームで話した時、楓は確信した。今の仙火ならば、自分と繋がってくれと言えば、迷わず繋がってくれるのだろうと。楓自身がそうだったからだ。仙火が楓と結ばれることを望むなら、楓は一も二も無く承知したはずだ。それだけの“負い目”が、あの時の二人にはあった。仙火の杯を再び酒で満たすと、楓はつうと杯を傾ける。
「まあ、何でもいいか。私が決めたんだんだから。私はもう、君を私のものにしてしまうんだって」
 楓は頭の奥がふわりとするのを感じながら、くすりと笑った。仙火の愛を手に入れたことで随分図太くなったと自嘲もするが、胸に広がってしまった幸福感充実感を抑える事は出来ない。彼女は椅子を寄せると、仙火の隣にしなだれかかり、不意打ちで唇を奪おうとする。
 しかし、仙火はそんな彼女の顎へさっと手を回すと、あっという間に彼女へ身を乗り出してその唇を塞いでしまった。折角チャンスを窺っていたのに、後の先で主導権を握られてしまった。楓が目を白黒させていると、仙火はにやりと笑みを浮かべる。
「責任感、な。あの時なら確かにそうだったかもしれない」
 仙火は楓が戸惑った隙を突いて、いきなり彼女を横抱きに抱え上げてしまった。赤面してされるがままの彼女の顔を、仙火は満面の笑みを浮かべてじっと覗き込む。
「でも違う。何があってもずっと側にいてくれたお前が、いじらしくて仕方なくなったんだよ、俺は」
「いじらしいって」
「だってそうだろ。小さい頃からの幼馴染で、俺の事が好きだってのにそれを押さえ込んで俺の右腕になろうとしてるんだぜ。ぐっと来ないわけねえだろ」
 耳元で囁いた仙火は、そのまま楓を寝台に横たえた。仙火も楓へ覆い被さるようにベッドへ上がると、再び楓と唇を重ねる。それから彼は首筋にも口づけを落とした。吐息を洩らした楓は、そっと仙火の肩に手を這わせる。
「……だめだなあ。もう何度もこうしてるのに、私はやっぱり心臓が跳ねて仕方ないよ」
 普段は慣れたように余裕ぶっていても、楓の心は相変わらず乙女のように初心だった。仙火はデスクの橙の光だけが光る暗闇の中で、目を細めた。
「俺もだ。焦る必要なんかねえのに。お前を前にすると、何だか慌てちまう」
 見つめ合う二人。深紅の双眸が、互いを捉えた。
「私はずっと……女に生まれたことが口惜しかった。君の代わりが務まらない。君の事を、もう二度と守れないってね。でも今は、心から良かったと思っているよ」

「君とこうして繋がれたんだから」



 庭先の餌台に集まった小鳥達が鳴き始め、楓はふっと目を覚ました。身を起こして隣を見れば、そこには誰もいない。部屋も、新不知火邸で自分に宛がわれた寝室だ。つまるところ、全ては夢だったのである。楓はぽつりと溜め息を吐いた。
「やれやれ。どうやら私……僕は、随分重症みたいだ」
 彼女は布団を畳むと、襖を開いて廊下に出る。春先のまだ寒い空気が、彼女の身を切るように押し寄せた。ふと隣を見てみると、同じように起き出してきた仙火が、朝日を浴びてうんと伸びをしていた。その背筋の通った姿を見て、思わず楓はどきりとしてしまう。夢の残滓が、未だ彼女の身体を火照らせていた。楓が茫然と立ち尽くしていると、仙火はようやく彼女の事に気付いたらしい。振り返って、彼は小さく笑みを浮かべる。
「よう。早いな」
 何気ない彼の表情。夢の通い路は一方通行だったらしい。思わず脱力してしまった楓は、頬を小さく緩めた。
「君こそ早いね。仙火」
「もう少しゆっくりするつもりだったのに目が覚めちまった。さっさと玄関先の掃除でも済ますか。せっかくだし手伝ってくれよ」
 言うなり、彼はすたすたと彼女の脇を通りすぎる。その背中を見送り、彼女は小さく頷いた。
「御意」

 ようやく互いに向き合った仙火と楓。彼女の中に萌える恋心に仙火が気付くのはいつになるか。応える事はあるのか。それは神のみぞ知る。



 おわり



━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

●登場人物
 不知火 楓(la2790)
 不知火 仙火(la2785)

●ライター通信
 お世話になっております。全ては夢の中の出来事……としつつ、デートと言うか完全にムード作ってるだけの話になっちゃいました。すみません。それが実現するかはこれからという事で。頑張ったので満足頂ける出来になっておりましたら幸いです。

 では、他も今しばらくお待ちください。


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2020年03月25日

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