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『魔の風刃』
水嶋・琴美8036

 ショッピングモールを形成する建造物の屋上より降り落ちた“器”が砕け落ちたゴーレムの内より主を引きずり出し、自らの頭部へ収めた。
 安堵か喜悦か、金管楽器さながらの喉から放たれた音は甲高く長い。
 夜気の震えを身に受けつつ、それと対峙する水嶋・琴美(8036)は小首を傾げてみせる。
「グリフォンですか」
 グリフォンといえば、獅子の体に猛禽の面と翼を備える化物だ。見たところ、実際のライオンの革に鷲の羽を併せて形作っているようだが、これは「そもそも飛行できようはずのないものに空を飛ばせる」ための魔法的説得力であろう。
「とんだプラシーボ効果ですね」
 人めいた猛禽面へ視線を投げ、琴美はパンツスーツのジャケットを脱ぎ落とした。すると――
 現われたものはワイシャツならぬ、袖を半ばで切り落とした和装だった。それに合わされたミニ丈のプリーツスカート、両者を腰で結び繋ぐ帯、衣装から伸び出した四肢を鎧う黒のインナースーツ、そして膝まで届く白の編み上げブーツも。
「これで私も余すことなく技と業(わざ)とを尽くせます」
 戦闘装備は彼女の豊麗なる肢体を守るためのものながら、人外の埒外な攻めを押しとどめるに足る防御力までは持ち合わせていない。だがしかし。
 忍としての有り様を体現する衣で己を包むことにより、琴美は自らを全き忍と化すのだ。

 怪物型ゴーレムであるグリフォンの体長は8メートル弱。全高は先の人型ゴーレムと同じほどだから、出力は単純に二倍、内部に仕込まれた魔法回路の密度を思えばさらに数倍されていると見るべきか。
 飛ぶことにどれほどの機能を割り振っているかにもよりますが。
 グリフォンが拡げた翼から撃ち出した羽刃を横へ跳んでかわし、琴美は視線だけを元いた場所へ向けた。
 あの刃の素は翼の羽ではなく、弾のように装填された針だ。そこに風魔法の刃をまとわせて撃っている。魔法的説得力の高い、実際の羽を撃ち出す方式をとっていないのは、翼をわずかにでも損なえば飛べなくなるからか。
 とはいえ、その程度のことは了承済みでしょうね。
 囮の棒手裏剣に本命の苦無を混ぜ、ゆるやかにはばたくグリフォンの翼目がけて投げ打てば、それらは半ばで不可視の障壁に巻かれてもれなく落ちた。
 はばたきに乗せた風障壁ですか。
 思ったときにはもう、駆け出している。右へずれ、左へ転がり、前へ跳び込んだ足を蹴り返して後方へ戻り、斜め前へ滑り込んだ。
 その間にもグリフォンはバルカンのごとくに羽刃を撃ち放し、刃幕を張る。加えて。
 ケェェェ! 甲高い声音が逆巻き、渦を成して琴美へ襲い来た。あえて回転数を抑えられた竜巻は太く、そして空までも届いていた。跳び避けることはかなわず、左右へ逃げれば刃幕に巻き取られる。
 琴美は苦無の柄に巻きつけられていたワイヤーを解き、前方のアスファルトへ打ち込んだ数十の棒手裏剣に絡めた。そして震脚――足裏を地へ叩きつけ、強い反動力を生じさせる技――し、生み出した震動を張り詰めたワイヤーへ押し流す。
 果たして竜巻はワイヤー陣と激突し。
 濁った金切り声をあげて散り消えた。
 竜巻の真空刃を強震させ、ついには共振させて相殺する。いつか対した敵との闘いで編み出した技の応用である。
 原理こそ知れぬながら、結末は見て取れた。グリフォンは羽刃を撃ちながら空へと舞い上がる。
 本番はここから、ですね。
 ワイヤーには、中空を行くグリフォンへまでも届くだけの長さがある。しかし苦無を投げ打ったところで、あの巨体を守る風魔法の障壁は貫けまい。
 身構えたまま見上げるよりない琴美の上空で、グリフォンは悠然と術式を編み上げ、そして。
 幾条もの雷を降りしきらせた。

 風の魔力で寄せ集めた電荷を圧縮し、雷と化す。
 正体が知れたとて、それを防ぐ術はない。
 琴美は上空へ棒手裏剣を放ち、放ち、放ち、雷の軌道をわずかに逸らしながら駆けた。魔法という特殊な力場が発生源であればこそ、地上の電荷と引き合うことなく落ち、故に琴美にもかわしようがある。だが、できることはそれだけだ。反撃の手段は現状、ひとつとしてない。
 さらには雷の狭間より、グリフォンが強襲をしかけきた。急降下からのストンピングがアスファルトを叩き割り、爆ぜ飛ばし、着実に琴美の足場を損ねていく。
 下がりきれずに苦無で迫る爪を弾いた琴美は、当然ながらあっさりと押し負けて後方へ一転二転、転がされた。
 あの器、卓越した技術をもって調整されていますね。
 後転からするりと立ち上がりざま横へ跳び、追撃の羽刃をかわした彼女は、再び飛びあがったグリフォンが雷を織り上げる様を見上げてうそぶく。
「そうであればこそ、想定外の状況へ陥れば意外なほどもろいものです」

 羽刃、竜巻、雷。互いの隙を補い琴美へ降り落ちるグリフォンの攻め。
 琴美は棒手裏剣と苦無のワイヤーによる防御陣でこれに対していた。頭を抱えて逃げ出さぬ心の強靱と無事を保ち続ける技の冴え。まさに見事な芸当だが、結局はそれ止まりであり、次の手へは繋がらない。
 竜巻と雷で琴美の防御陣を崩し、羽刃降らせながら急降下するグリフォン。琴美の周囲のアスファルトは大きく崩れており、跳ぶこともままなるまい。
 急降下の中でさらに雷と竜巻を叩きつけて琴美の反撃を封じ、一気に降り落ちる。
 ?
 前肢に踏み潰した肉の感触が返ってこない。
 避けたというのか? いや、それならば羽刃がもれなくアスファルトへ届くはずはない。いったい、どこへ消えた!?
「あなたの風をお借りしましたよ」
 反射的に振り向き、見上げた空に、琴美の姿があった。
 風――もしや、竜巻に巻き上げられるままに跳んだのか。それならば真空の刃に裂かれてただで済むはずが――先に見せたあの相殺を応用したか――
 かき乱された思考が弾き出した答は正しい。
 琴美は防御陣を為す中で自らにワイヤーをまとわせ、震脚の震動で鎧った体を竜巻の内に投じて上へ向かったのだ。
 竜巻を壊さず、自らもまた壊れることなく成果を得る。神業としか言い様のない一芸である。
 さすがに一度見ただけでは演じられない芸でした。幾度となく見せてくださったことに感謝します。
 地へ全体重をかけたグリフォンは、しばし動きを封じられる。琴美は苦無を投げ打ち、未だ震動を保つワイヤーでグリフォンの障壁を穿った。次いで。
 できあがったわずか数十センチの狭間をくぐり抜けてグリフォンの背へ降り落ち、苦無の刃先で獅子革を裂いて内の金属骨を突き抜いた。
 グリフォンと同化した魔道師が声なき悲鳴をあげる。なぜ、翼を狙わない!?
「翼を打たなかったことが不思議ですか? あれだけ堂々と見せつけて守っている以上、狙わせたい意図があるのでしょう? 私を殺せるしかけがあるか、あるいはスペアの翼が収納されているか。中を拝見したところ、前者のようですが」
 隠した意図までもを見透かされたグリフォンは大きく跳ね、琴美を振り落としにかかるが……骨に打ち込まれた苦無のワイヤーを繰り、彼女は悠々とロデオを演じてみせるばかり。
「この器は中遠距離戦を想定したもの。つまり、ここにあればあなたは私を害せない」
 グリフォンの頸にワイヤーを絡めた琴美はそれを引き絞り。
「まだ隠している器があるなら、どうぞお使いください」
 落ちた頭部から見上げてくる魔道師へ艶然と笑みかけた。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年03月31日

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