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『葛這う』
水嶋・琴美8036

 淵底のごとき闇のただ中、ギリッ――研がれた鋼と鋼が打ち合い、互いのいくらかを噛み裂く鈍い音が爆ぜた。
「アクチュエーターの音がしますね。骨を替えているのですか?」
 女は敵へ預けていた重心を傾げ、相手を横へよろめかせると共に自らは逆へと立ち位置をずらす。
「あなたが求めた報いがなにかは見当もつきませんが……せめてこの技と業(わざ)とをもってお相手いたしましょう」
 返事の代わりに敵が突き込んできたダガー、彼女はその切っ先を苦無の腹で押し上げた。
 そして敵は見る。水嶋・琴美(8036)の美しい笑みを。

 残念だ。
 琴美の敵である彼が真っ先に考えたのはそれだ。仕末を命じられた琴美は予想以上に美しく、豊麗であったから。
 互いに諜報任務を担っていたなら、偽りの恋を演じて一夜の夢を楽しめたかもしれないのに。もっとも、それがナンセンスであることは承知していたが。
 なにせ人造強化で戦闘能力をいや増されたサイボーグと、天賦の才に恵まれた戦姫だ。見た目がどうあれ鉄火場へ送り込まれることは必定。
 ……と、感傷に沈んでいる暇はないな。
 彼は琴美の前蹴りを受けず、飛び退いてかわした。つられて受けるなり払うなりしようものなら、そこを踏まれて跳ばれてしまう。ニンジャなどフィルムの中でしかその力を発揮できないものと思っていたが、こうして攻防を演じればわかる。少なくとも格闘戦におけるニンジャの技は本物だ。

 彼の警戒を見た琴美は、離された間合を一気に駆け詰めた。
 当然、彼は両手を拡げて迎え入れたりはしない。クラウチングスタイルで固めた上体をリズムに乗せて揺らし、ダガーを突き込んでくる。
 琴美は苦無で受けず、上体を倒し込みつつさらに踏み込んだ。宙に躍った漆黒の髪先が1、2、3度と突かれて舞い散る。
 連続突きが来ることは、彼の手首のやわらかな有り様から知れていた。スナップを効かせて突き続けるためには“返し”の支点となる部位を緊張させずに保つ必要がある。
 携帯性を重視した装備なのでしょうけれど、“手”を隠せるナックルガードは着けてくるべきでしたね。

 潜られたことは、連続突きの初撃をかわされた瞬間に察していた。
 ナイフを繰るため重心は据えてしまっている。今から脚をガードに上げる、もしくは蹴りを打とうとしても、自らの体勢を崩すばかりである。
 ならば。
 重心をより低く落とし込み、踏み締めた両足で我が身を支えた彼は、ダガーを引き戻す反動を利して左のショートアッパーを打つ。
 と、意表を突いたはずの拳が、やわらかななにかに押された。掌だ。グローブをつけた琴美の掌が、彼の拳を受け止めるのではなく、押し退けたのだ。
 彼はさらに体を返し、今度は肘を起点として逆手に握ったダガーを振り込む。肘打ちと刺突、どちらにも変じられる攻め。

 見せ札をそのまま切り札に転じられる、見事な攻めですね。
 琴美は胸中でうそぶき、自らの重心を引き上げた。
 肘と刃のどちらをもかわせば、次は蹴りに繋ぐか……いや、重心の据わり具合からして引き倒しにくるつもりか。すべてが有効に機能した、本当に見事な攻めだ。しかし。
 琴美は縦に立てた前腕の内で、男が振り出してきた前腕の中央部を受け止めた。ここを抑えてしまえばもう、ナイフも肘も振り込めはしない。そして、そのまま胴タックルにこようとする彼の後頭部へ空いているほうの手をついて、跳んだ。
 ここで立体攻撃か――彼はそう思っただろう。それはいくらか正しく、そこそこ以上にはずれている。なぜなら琴美は彼を跳び越えることなく延髄へのしかかり、しなやかな左脚を首へ巻きつけたからだ。
「どれほどの技も、敵に見透かされた時点で価値を失います」

 ささやきかけられた彼だが、首を固めた脚を振りほどくことはできなかった。骨をすげ替え、出力や耐久力を強化している自分が、なぜだ!?
 タネを明かしてしまえば他愛のないことだった。
 彼の筋肉や臓器は人造ではなく自前のものだ。それを保護することが優先される以上、彼の地からは人の域を超えるほどのものではなく、はみ出す程度のものに留まる。そしてそのはみ出した程度の力では、琴美の体重のすべてをかけられ、重心を御されてしまった状況は覆せない。
 それでも彼には生身よりも遙かに高い強度を誇る“骨”を持つ。だからこそ、いっそ折れてもいい覚悟を据え、琴美を落とすべく四肢を振り回しにかかったのだが。

 できませんよ。あなたはもう、葛(かずら)に捕らわれているのですから。
 彼が動き出すよりも早く、琴美は彼の左腕をクロスさせた両腕でしごき上げて天へ伸べさせながら、その手首を関節の可動限界にまで絞りあげた。
 さらには下へ垂らしていた右脚を彼の左脚へ絡ませておいて、首を固めた左足でクラッチ、固定する。

 人が動くには、弾みをつけるなりして重心を移動させなければならない。
 その起点となる重心移動を封じられた彼は、頼りの膂力すら発揮することかなわず、ただただ縫い止められていた。
 その中で琴美の両脚が探るように蠢き、ついに止まって。

 ごとりと落ちた彼の体を見下ろし、琴美は静かに息を噴き抜く。
 人を超えた出力を持つサイボーグも、残された生身が多いほど、弱点も増えることとなる。体構造が人のままであればこそ、琴美は彼の関節を固めた後でゆっくりと頸動脈を探り、締め上げることができたのだから。
 武装解除をさせもせず、彼をその場に残して琴美は踵を返した。
 仕末を命じられていないこともあったが、再び出会える可能性を残しておけば、次はもっと楽しい戦いを演じられるかもしれない。


 アクチュエーター高鳴り、琴美の脚で固められていた首がギチギチと持ち上がる。
 締めあげるべき頸動脈は存在しない。“彼”はすでに血肉の欠片まで人造物へとすげ替えていたからだ。そしてその出力は、弾みや準備もせず首を上げて背を伸ばすことを彼へ実行させ、それだけの挙動で琴美を振り落としてみせた。
 背から落とされて息を詰まらせる琴美。
 そこへ降り落ちてきた硬い足裏が彼女の肋を蹴り砕いて肺を踏み破り、詰まっていた息を霧散させる。胸骨をあえて避け、片肺だけを潰したのは、心臓を最後のときまで動かし続けてこの有様を見せつけるためだ。
 無機質なカメラアイに見下ろされた琴美は、自らの胸を突き抜き、踏みつける足から逃れられぬまま、弱々しくもがくばかり。
 その様に興味を失ったか、彼は身をかがめ、逆手に握り込んだダガーを琴美の肩へ突き下ろした。その後の作業をすませたらもう片方も突き斬り。それが終われば次は両脚の付け根へ刃を潜り込ませて躙る。最初から最後まで、片足で琴美を踏んだまま。
 攻め手を跳ね返され、守りを引き裂かれ、抗う術を叩き潰され、誇りのよすがである四肢を断たれた。
 後に残されたものは、すべての価値を剥ぎ取られた無価値な命ばかり。そう思われたが。
 詰ることすらせず、彼は琴美の顔面に拳を突き下ろした。
 彼女の美貌が無残に爆ぜ飛び、果たして琴美はすべてを奪い取られることとなるのだった。

 目を醒ました琴美は、それが夢であったことを知る。
 自らの傲慢が招く未来の先見(さきみ)であるものか、今知ることはかなわない。
 ……ともあれ、悔いるも楽しむも、そのときが来てからのことですね。
 琴美は今日の任を遂行すべく、立ち上がった。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年04月13日

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