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『鏡の中のティレイラ』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)



 その部屋に足を踏み入れると切り取られた刹那が幾重にも無限に連なり、気が遠くなる程の広がりの中でティレイラ(PC3733)は軽い眩暈を覚えた。壁一面ガラス張りの部屋はまるで万華鏡のように無限にティレイラの像を映し出している。
「ここは……」

 しばし遡る。なんでも屋を営むティレイラの元に旧知の雫(NPCA003)から依頼のメールが届いたのは昨晩の事だった。要約すると面白オカルト情報を検証しに行くから同行よろしくね、という事である。快諾の後、本日雫に連れてこられたのが不思議な噂のあるこの建物だった。
 さして広くはない建物の調査を手分けして行ったのには訳がある。天下無敵の女子中学生とはいえ、見るからに怪しい空気を発しているこの部屋に彼女を同行するのを憚られたからだ。
「ちゃんと、安全を確認しないとね!」

 かくてティレイラはその鏡の部屋に1人で足を踏み入れたのだった。白い光を放つ天井は外のように明るく、部屋の床面だけが御影石のように黒くうっすらティレイラを映してはいたが鏡にその像を結ぶ程でもなく、ただこの部屋が建物の外観より遙かに広い事を物語っていた。
 と、両開きだった扉がパタンと閉じた。自動でもあるまい、ティレイラが振り返ると扉の内側も鏡になっていたのか、壁の鏡と同化して扉が見あたらなくなってしまう。
「え?」
 慌てて鏡を手の平でなぞってドアと壁の隙間を探そうと試みるがそれらしい感触はない。こうなったら壁をぶち破るかと考えているとその背後で「けっけっけっ」と狡猾そうに嗤う耳障りな声がした。コウモリのような羽を広げた魔物が宙に浮きティレイラを見下ろしている。
 どうやらこの鏡の部屋に閉じこめられてしまったらしい。
 ティレイラは竜翼と竜尾を出すと身構えるようにして魔物をキッと睨みつけた。鏡の中のティレイラ達も一様に魔物を睨みつける。
「ここから出しなさい!」
「無理だね」
 魔物はそう言ってティレイラに向けて指を差した。その指先から光が発された瞬間、ティレイラは横に飛んだ。光はティレイラを掠めて鏡の中を“貫通”しそこに連なるどれかのティレイラに当たった。
「!?」
 鈍い痛みはゴムボールが当たった程度のものだ。当たったのが鏡の奥のティレイラだったから、だろうか。
 ティレイラは詠唱する。
「ファイヤーボール!」
 言葉に意味はない。ただ魔法のイメージを増幅させるための手段である。手の平に火炎の球が浮かび上がった。避けられても鏡の中の魔物のどれかに当たればそれなりのダメージは与えられるだろう。だけど直接叩き込まなければ鏡に相殺される。魔物が避けないように竜尾で牽制し、翼を広げて魔物との間合いを出来る限り詰めた。
「いっけぇぇぇ!!」
 ティレイラは手の平のそれを魔物の腹に向けて発射した。
 それは呆気ないほどに簡単だった。魔物は意外なほどあっさりと硬質な音をたてて床に転がった。
 床に降り立ちティレイラは荒い息を吐く。
「や……やった?」
 こみ上げてくるこれは勝利の歓喜なのか。床に転がった魔物はピクリとも動かない。不安と達成感と安堵と、いくつもの感情がないまぜになったままティレイラはぺたんと気が抜けたように床に座り込んだ。ゆっくりと息を吐く。嬉しくて声をあげようとした時、床に転がった魔物がドロリと溶け始めた。
 よくよく考えてみれば魔物を倒した後も鏡の部屋の扉が開く気配がなかったのだから、もう少し警戒すべきだったのかもしれない。
 ドロリと溶けたそれはまるで水銀のように溜まりティレイラの元へ流れ出してきた。慌ててティレイラは立ち上がると、逃げるように走り出したがすぐに鏡の壁にぶち当たる。
 壁の鏡に手を付くとまるで水面に手をついたようにとぷんと腕まで中に吸い込まれてティレイラは「ひっ!?」と声をあげた。
 慌てて腕を引っこ抜くが液状のそれはティレイラの腕を伝ってティレイラ自身を飲み込もうとする。
 翼を広げ宙に逃れようとした。
 尻尾を振るって液状のそれを退けようとした。
 けれど液状化した鏡は重力に逆らい意志を持ったようにティレイラの頭上から襲いかかる。
「いや! 助けて!! お姉さま!!」


 甲高い悲鳴にも似た声が聞こえたような気がした。
 雫はティレイラの事が心配になったのと、類希なる好奇心を総動員して彼女が調査していたエリアに駆けつける。両開きの扉を押し開くとそこは壁一面鏡張りの部屋だった。ティレイラの姿は見あたらない。
 不用意に入るのは危険と判断し、扉の外から奥の壁の鏡に映る自分を眺めた。
「……歪んでる? まさか……」


 ▼


 雫から助けを求めるようなメールが届いたのはシリューナ(PC3785)がティータイムに興じている時だった。ティレイラに何かあったらしい。詳細は省かれた内容にシリューナは早速、現地へ向かった。
 扉の前で魅入られたように佇む雫の背後から部屋の中を覗き見る。
 目に飛び込んだのはこちらを見返す雫と自分の歪んだ姿。
 なるほど、鏡を立体にするとこんな風に見えるのか。それがどんな形をしているのか一見してわからないのはその表面が周囲を映しているからに他ならない。鏡の中に奥行きが生まれ遠近感がぐちゃぐちゃになり平面ではなく曲面が映す世界は歪にひしゃげともすれば平衡感覚をも奪い去る。黒い床面が唯一の救いか。
 距離感がわからなくなるほど遠く広く感じられるその部屋にシリューナはゆったりとした足取りで進み入った。
 天井は真っ白に発光し、壁一面の鏡はカラフルにシリューナを映し出して、まるで万華鏡の中に立ったような気分だ。
「入っても大丈夫なの?」
 雫の声がシリューナを追いかけてきた。
「ええ。この部屋に用意されていた呪いは既に形骸化しているわ」
 シリューナの言に雫はホッと胸を撫で下ろしたのかくるくると回転するように部屋を見回しながら入ってきた。
「なるほどなるほど」
「きっとティレのお手柄ね」
 シリューナが少し誇らしげに笑む。
「で、そのティレちゃんは……?」
 目を回しかけた雫が視線を止めた。その先に、鏡のレリーフのようになったティレイラの像がある。いや、果たしてこれは本当にティレイラなのか。
 シリューナが像の鏡面に触れた。まるでその形を確認するように。手の平をあてゆっくりとその曲線をなぞることで、それをなぞるシリューナだけではなく、雫までもが混沌としていた頭の中に点と線と面が形作る像を結ばせていった。
「ティレ……」
 驚嘆にも似た吐息がシリューナの口の端から漏れ出る。そうだ。これは間違いなくティレイラの容をしている。
 美しく研磨されたような滑らかな鏡面に頬を寄せて、自分を見つめる自分の眼差しを睨み返しながら、何かを感じとってシリューナは目を細めた。
「ここにいるのね……」
 感じるのはティレイラの脈動。ならば、ティレイラはこの鏡の中で無事なのだろう。目を閉じて封印の術式を確認する。この程度なら容易に解ける。
 シリューナは陶酔したような笑みをこぼした。傍らの自分が歪んだ顔を更に歪めてシリューナを見返してくる。今までに味わった事のない不思議な感覚がシリューナを包んでいた。
 これまでもティレイラが銀像のオブジェなどに姿を変えた事はある。けれど、それらの多くは鏡反射ではなく乱反射であり、こんなにはっきりとシリューナや周囲の空間を映すことはなかった。
「一体何がどうなってこうなったのかな?」
 雫は再び周囲を見回した。部屋の中を観察しようにも家具一つない。ただ鏡があるだけの空間なのだ。両開きの大きな扉を閉めると裏側は鏡で、見上げた天井はこの建物より遙かに高かったから、ここが異空間だという事は何となく察する事が出来た。
 鏡の表面に浮かび上がっているのは何かを掴もうとするかのように右手を高く頭上に伸ばすティレイラの姿だ。背には翼を広げ、尻尾を振るい、勇ましく戦ったのだろうか。呪いとやらと。
 よくよく見れば口惜しそうに見開かれたその目尻に涙が溜まっている。唇は助けを求めるような嘆きの像を結んでいた。
「何があったかは想像に難くないけど、鏡の中に封印されてしまったのは確かね」
 返り討ち? いや、危険はもう残ってはいない。相討ちか。シリューナは曖昧に笑って肩を竦めてみせた。
 その言葉に雫が口惜しげに下唇を噛んでいる。
「ティレの封印もすぐに解けるわよ」
 どこか落ち込んでる風の雫を元気づけるようにシリューナが声をかけると雫は慌てたようにシリューナを振り返った。
「もう封印、解いちゃうの!?」
 勿論、雫とてティレイラの心配はしている。ここの調査に巻き込んだ責任も感じないではない。だがその一方でちゃんと経緯を記録出来なかった事もその目で見届ける事が出来なかった事も口惜しくて堪らないのだ。だから雫はシリューナに懇願するような眼差しを向けた。
 今しばらくこの不思議に浸っていたい、と。
 シリューナはくすりと笑ってその期待に応える。
「そうね、もう少し堪能してもいいのではないかしら?」
 シリューナの言葉に雫はパッと頬を綻ばせた。そうとなれば、急いで目の前の不思議現象を観察せねばなるまい。
「やったあ!」
 言うが早いか雫は写真を撮り始めた。しかし鏡を撮るというのはなかなかに思い通りにはいかなくて難しい。あらゆる角度で試してみる。像が映った鏡の方も撮影してみる。上から下から、どうにもうまくいかない。
「いっそ、何かで塗りつぶしたいような勿体ないような……」
 思わず呟いてしまったのは、立体なのに遠近感がおかしくなっているせいで平面に映すと画像がおかしな形に歪んで見えるばかりで、ティレイラの輪郭を浮かび上がらせるのが難しく、いっそ何を撮ってるのかわからなくなるのだ。
「ふふふ、やっぱりオブジェは触って楽しまなくてはね」
 そんな雫の姿を傍らで微笑ましく眺めていたシリューナがティレイラの頬を優しく撫であげながら言った。そうするだけで高揚感がシリューナを包み込む。
「なるほど!」
 雫は頷いた。記録媒体に留め置くのが難しいなら、五感を総動員して記憶に残すしかあるまい。一旦カメラを置くとシリューナに促されるままに触れてみた。冷ややかに体温を奪う金属の感触。曇りなく自分の姿をくっきりと映す表面。手の平でなぞっていくと写真とは違って竜の翼や尻尾の形がはっきりと脳裏に構築されていった。
 そうして、それはティレイラになるのだ。
 写真になど収まりきろう筈がない
 遠く離れればその像が何であるのかさえ見失いそうで、近づいてもあやふやなまま、触れて初めてその姿を知覚出来る。足下がぐらつくような不安定さと快感にも似た何かがぞくりと雫の背筋を這い上がった。
「綺麗……」 
 無意識に呟いたのは打ち震えるようなアンビバレンス故か。
「そうね」
 シリューナは微笑みティレイラに映る雫をそっと撫でた。その傍らに映るのは自分の姿だ。
 向かいの壁のその奥に同じようにそれらを楽しむ自分が幾重にも連なった。鏡のレリーフというだけではない。この鏡の空間もひっくるめて、これはまたとない掘り出し物なのである。
「本当に素晴らしいわ」
 鎖骨のラインも双丘の作る曲線も腰の括れも尾骨から波打つ竜尾の猛々しさも、肩胛骨から広げられる竜翼も、万華鏡のように少し見方を変えるだけでめまぐるしく姿を変えていく。
 やがて雫がタブレットを操作し始めた。その画面から7色の光が順に飛び出してくる。
 ティレイラの鏡像をミラーボール代わりにでもするつもりなのか。それとも鏡に映るとどんな風になるのかの実験なのか。赤い光は赤く返し、青い光は青く返す。鏡は全ての光と色をそのまままっすぐ返してしまうだけだ。
 だがそういう事ではないらしい。シリューナや雫自身は鏡反射も乱反射もしない。紫のシルエットとなったシリューナの姿が紫の像を鏡に映した事で、ティレイラの像が紫の輪郭を帯びた。シリューナが離れるとティレイラの像がより際だって見える。
「なるほど、面白いわね」
「はい! 他にもいろいろ試してみましょう!」

 かくて。
 いつもは像を撫で回して、眺めて、熱い息を吐いては陶酔して、日がな一日堪能するばかりなのだが、雫の出現によって、更なる楽しみ方を覚えてしまったシリューナは、夢中になり過ぎ今までにない程の時間を費やして鑑賞に浸ったのだった。





■大団円■


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

ありがとうございました。
楽しんでいただければ幸いです。

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2020年04月13日

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