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『たとえ三遍回れども』
瀧澤・直生8946

 端正な顔が苛立ちに歪む。瀧澤・直生(8946)は、イライラした様子で自室の窓を開けた。
 自他共に認めるヘビースモーカーである直生がタバコの煙をくゆらせる姿は、彼を知る者にとってはよく見かける日常風景の一つだろう。しかし、最近はその『日常』が減ってきてしまっている。
 別に、直生がタバコをやめたわけではない。タバコを嫌いになったわけでもない。
 単純に、吸える場所がないのだ。昨今厳しくなった禁煙に関する法の影響で、近場の飲食店は殆ど禁煙になってしまっていた。
 この街に、もはや自分の心休まる場所は残されていないのではないかとまで考えてしまう。愛飲のタバコも手に馴染むライターも、すっかり出番が減ってしまってどこか寂しげに思えた。
 バイトをしている店の休憩室は店長の厚意により喫煙が許されているが、店内では当然禁煙だ。
 吸える機会が少なくなったせいで余計にタバコが恋しくなり、仕事中もついついタバコについて考えてしまう。このままでは、いけない。
(この機会に禁煙してみるか……?)
 とは思うものの、気付いた時には口の中にはタバコがある。
 家や休憩室では、何かを考えるよりも前にタバコを口に咥えてしまっている。完全に無意識だ。
 まぁ、咥えてしまったものはもう仕方ない、と直生は朝の一服を楽しむ事に決めた。
 禁煙は、一日ももたなかった。

 空を目指してたゆたう煙を見上げながら、どうしたものかと直生は考える。愛煙家達の中には、実際に禁煙を始めた者もいると聞く。
 完全にやめてしまえば、直生が今後喫煙可能な場所を探して苦悩する事もないだろう。
 ……完全に、タバコを、やめる。
(いや無理。絶対に、無理)
 直生はお手上げだとばかりに首を左右へ振り、吐き出すタバコの煙に溜息を混ぜた。
 もはや、タバコは直生にとって日常の一部だ。生きるのに必要な糧のようなものなのだから、突然やめれるわけがない。
 そもそも簡単にやめれるものなら、直生は今頭を抱えてなどいないだろう。
 ふぅ、と息を吐く。煙が世界に溶けていく。
 こうやってひと目を気にせずゆっくり吸えるのは、家くらいなものだ。
 煙害やポイ捨て……喫煙に関する社会問題は多い。喫煙者の中には、マナーをあまり守らない者もいるだろう。
 けれど、直生は一見やんちゃそうな外見をしているものの、そういった類の事は案外守るタイプだ。ポイ捨てなど決してしないし、許可されていない場所では喫煙しない。だからこそ、行き場を失い今直生は苦しむ事になっているとも言えるのだが。
 それなのに、どうしてタバコを吸うというだけで、こんなにもこの世界は生きにくいのだろう。
(吸わねぇやつにとっては、タバコなんて百害あって一利なしなんだろうけど……それにしたって厳しすぎる……)
 よく行く飲食店は、軒並み禁煙になってしまった。喫煙可能の標識を探して、彷徨う日々はしばらく続きそうだ。
 最近は、吸える場所を見つけた時の喜びよりも、探す時間に蓄積されるイライラの方が上回ってしまっている。
 喫煙出来ない事が原因でイライラが募りいっそう喫煙したくなるという、最悪なサイクルが出来てしまっていた。自由にタバコを吸えていた頃よりも今の方が、なんだか不健康な生活をしている気がしてならない。
「しょうがねぇのかもしれねぇけど……辛ぇ……」
 思わず、口からは煙と共にいつになく弱々しい声が零れ落ちた。
 やはり、これを機に禁煙すべきだろうか。頭の中で、喫煙と禁煙の二つの言葉が交互に顔を出しては、直生の事を惑わせる。
「あんまり遠すぎない場所に、良い店があれば良いんだけどな」
 近場で喫煙出来る場所をいい加減見つけないと、苛立ちを隠し切る事が出来なくなってしまいそうだ。
 心休まる場所、喫煙出来る場所を、早急に探さなくてはならなかった。
 常に携帯しているはずの愛飲のタバコが、今はとても……遠く感じる。

 ◆

 行きつけの居酒屋は、直生にとって数少ない安息の地だ。店内の雰囲気もいいし、料理も酒も美味い。
 そして何より――喫煙が出来る!
 車から降りた直生は、いつもより足早に店へと向かうと、馴染んだ扉に手をかける。
「……。…………!?」
 そして、店の前にある標識を二度見した。
 それはもう、偶然その姿を見ていた通行人が同じように直生の事を二度見してしまうくらいには、綺麗な二度見だった。
(いや、見間違いだ。見間違い……そうに違いない……。そうだと言ってくれ……)
 もはや、それは懇願であった。ふらふらとした足取りで、直生は店内へと足を踏み入れる。
 今見た事は間違いだったのだ、と。むしろ、自分はずっと悪い夢を見ているだけなのだ、と直生は心の中で何度も自分に言い聞かせながら足を進めた。
 しかし、現実というものは残酷だ。タバコよりも、ずっとずっと苦い。
「……」
 いつも、テーブルの上に置いてあるはずの灰皿の姿が、なかった。
 未だ放心した様子の直生に、彼が愛煙家である事を知っている店員は申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする。
 店の前にあった禁煙を意味する標識は、見間違いではなかった。この店も、ついに全席禁煙になってしまったのだ。
 席に座った直生は、力なくテーブルへと頭を突っ伏す。
 三遍回ってタバコにしょという言葉があるが、自分ははたしてあと何遍回れば良いのだろうか?
 喫煙可能な場所を見つけるのが先なのか、ストレスでやられる方が先なのか。
 イライラする。無性に、イライラする。
 こんな時はタバコを吸うに限る……そう真っ先に思ってしまい、直生はいっそう頭を抱えるのであった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご発注ありがとうございました。ライターのしまだです。
心休まる場所を求める直生さんの苦悩の日々……このような感じのお話となりましたが、いかがでしたでしょうか。
お気に召していただけましたら、幸いです。何か不備等ありましたらお手数ですがご連絡くださいませ。
それでは、このたびはご依頼誠にありがとうございました! またお気が向いた際は、是非よろしくお願いいたします。
東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年04月14日

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