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『棘ある花は凛と咲く』
瀧澤・直生8946)&天霧・凛(8952)

 軽薄な男の声が、まず耳に入ってきた。こんなところでナンパかよとは思ったものの、瀧澤・直生(8946)は、まぁ自分には関係のない事だと仕事を続ける。
 もし相手の女性が困っているようならさり気なく助け舟を出そうと思ったが、こういった声をかけられる事には慣れているのか女性は凛とした態度で応じていた。ここで急に自分が割って入ってしまっては、混乱を招きかえって邪魔になってしまうだろう。
 しかし、だんだんと店の外で話す二人の声は大きくなってきてしまっていた。
 その上、一度立ち去ろうとした女性を男が再び呼び止めたせいで、二人の立つ位置はちょうど店の真ん前に移動してしまっている。
「そこだと、入る客の邪魔になるっつの……」
 幸いにも今は客がいないとはいえ、さすがに見逃す事は出来ない。
 まったく、何が楽しくて花屋の前に陣取って営業妨害をしているのだろう。大きな溜息を一つ吐いてから、注意するために直生は店の外へと向かった。
「おい、そこで話すのは……」
 文句を言おうと口を開けた直生だったが、その言葉は不自然なところで途切れてしまう。「あ、やべ」と直生は胸中で思わずぼやいた。
 直生が外に出たタイミングは、あまりにも悪すぎた。なにせ、ちょうど男の方が女性に告白の言葉を口にした瞬間だったのだから。
(気まずっ……)
 嫌な沈黙が、周囲に流れる。
 直生が声をかけた事に、男も女も気付いていない事が唯一の救いだろうか。
(俺が邪魔したせいで、話がうやむやになっちまったら悪いしな)
 文句を言うのは少しだけ待ってやって、今はまだバレないように店に戻ろうとした直生を引き止めたのは、数十秒ぶりに響いた少女の声であった。
「私は貴方の事知りませんし、興味もありません」
 ハッキリと、そう返した少女の声は、本当に根っからこの男に興味がないのだと分かる程に冷たい。ますます重い静寂が、辺りを支配する。
 それから、二、三言葉を交わしてから力なく男は一人で去っていった。
 あまりに手ひどく振られた彼にかける言葉などあるはずもなく、直生は肩を落とし力なく歩くその背中を呆然と見送るしかないのであった。

 ◆

 時間は、少しだけ巻き戻る。
 天霧・凛(8952)は、先程から騒がしく誰かを呼んでいる男の声など気にせずに道を歩いていた。立ち止まる事はなかった。ハッキリと名前を呼ばれるまで、その声がまさか自分を呼んでいるだなんて思っていなかったのだ。
 なにせ、聞き覚えのない声だった。ようやく足を止め振り返りその姿を視認した後も、凛は相手が誰なのか分からずに小首を傾げてしまう。
 声にも顔にも覚えがないが、相手の紡ぐ言葉の内容からしてどうやら彼は大学の同級生のようだ。凛の記憶には、あいにく残っていない相手だった。
 そんなに親しい関係でもない……本当に、ただ同じ大学に通っているだけの存在に過ぎないのだろう。
 だから、何故相手が凛の事を呼び止めたのか、その理由が凛には見当がつかなかった。
 同級生は凛の事が前から気になっていただの、いいなと思っていただの、何だか本筋とは関係のなさそうな訳の分からない話ばかりを続けている。
 矢継ぎ早に言葉を投げかけてきているが、いまいち要点が見えてこない。講義に関して、何か聞きたい事があったのだろうか。それとも、サークルの勧誘だろうか。
 バイト先に急がなくてはいけないので、早く要件を言ってほしい。
 凛から見たら脇道に逸れ続けているとしか思えない話の機動を、彼女は無理矢理元へと戻す事に決める。
「それで?」
 回りくどい言い方は好きではない。何か自分に伝えたい事があるなら、ハッキリしてほしいと考えながら凛は男に話の続きを促した。何故か途端に相手がしどろもどろになったので、ますます不思議に思ってしまう。
 話がないのなら急ぐから、と、そう言おうとした瞬間に、相手はようやく凛を呼び止めた本題を口にした。
 たったの二文字だ。今までこちらを探るように積み重ねていたくだらない話はいったい何だったのか、と思う程に、シンプルな二文字。ストレートな、好意の言葉だった。
 さすがに、凛も気付く。自分は、今、告白をされているのだ。好きだから付き合ってほしい、と目の前にいる男に頭を下げられている。
「……」
 凛の目が、じっと相手の事を見つめ返した。
 突然の愛の告白に胸が高鳴……ったりするわけもなく、凛は常のように落ち着いた態度で言葉を紡ぐ。
「私は貴方の事知りませんし、興味もありません」
 ひんやりとした冷たい温度をまとったその言葉に、相手は驚いたようだった。打ちのめされたかのように、よろよろと離れ去っていく相手の後ろ姿を凛は無言で見送る。
 何も、間違った事は言っていない。凛はあの同級生の事なんて知らないし、興味もわかなかった。
 正直に事実を告げただけなのに、何故信じられないものを見るような目を向けられなければいけないのだろうか。
 この程度の言葉にいちいち傷つくくらいなら、奇跡が起こって万が一に凛と付き合えていたとしても、上手くいったとは到底思えなかった。
「マジか……」
 ふと、知らない声がした。顔をそちらに向けると、金髪の青年がなんだか呆れたように肩をすくめている。
 凛の知らない声。知らない顔だ。今度こそ、絶対に知らない人だと凛は断言出来た。
「誰ですか?」
 突然現れた相手の顔を、凛はつい眺めてしまう。
 不躾だったかと少し反省したが、相手はこうやって視線を向けられる事には慣れているのか、さして気にした様子でもなさそうだ。
 だが、凛が視線を向けるよりも前からしかめられていた眉は、未だ不機嫌そうな形を保ったままだった。
「ここの店員だよ。お前ら、店の前で立ち話すんなよな」
 ここ、と言いながら、青年……直生が指差したのは、目の前にある花屋であった。
 歩いていた凛が同級生に声をかけられて足を止めたのが、ちょうどこの店の入り口の前だったらしい。
「それは、失礼しました」
 それだけ言って会釈をし踵を返そうとした凛の事を、直生はどうしてか「待てって」と引き止める。
 お説教なら、先程ので十分だろう。こちらだって、別にここで好きで営業妨害をしてしまったわけではない。
 だというのに、凛が振り返った先にある直生の表情は依然として不機嫌そうなままだ。まだ文句を言い足りないらしい。
 少し警戒しながら話の続きを大人しく待っていた凛の耳に直後入ってきたのは、彼女が全く予想していなかった言葉だった。
「あんた、あの言い方はないんじゃねぇの?」
 あまりにも想定外の言葉すぎて、最初、凛は直生が誰に対して何を言っているのかが分からなかった。
 眉を寄せ一瞬だけ考えた後に、自分と同級生の先程の会話を聞かれていたのだと分かりムッとする。
「人の話を聞いていたんですか?」
「店の前でされてたから、嫌でも聞こえてきたんだよ」
「その点については謝罪しましたし、それに貴方にとやかく言われる事ではありません」
「そりゃそうだろうけど……関係ねぇ俺だってぎょっとする言葉だったんだから、しょうがねぇだろ」
「私は嘘は吐いていません。本当に知らない人だったんです」
 どうして、花屋の店員とこんな口論になってしまっているのだろうか。同級生に話しかけられた時から、凛の今日の気分は下降する一方だった。
 直生が、再び口を開く。けれど、その顔からは先程まであった険しさは少しだけ薄れていた。
「まぁ、知らない奴に急に告られたら、動揺すんのは分かるけどな」
 次はどんな文句を言われるのかと身構えていたので、凛はその言葉にたじろいでしまった。まさか凛に寄り添った事を言ってくれるとは、思っていなかった。
 すっと、なんだか急に冷静になれた気がする。
「……いえ、私もたしかにもう少し言い方を考えればよかったとは思います」
 自分の言葉にもたしかに棘があった、と非を認めて少女は謝罪の言葉を口にした。
「営業妨害をしてしまったのも、事実です。今日はバイトに行かなくてはいけないのですが、今度また改めて謝罪しにきます」
「そんなんは別にいいよ。くるなら、客としてきてくれ」
「客ですか……そうですね」
 思案しながら凛が花屋の看板を見上げた時には、直生は「そん時は、俺も店員としてそれなりの対応するしさ」と一言呟き、店の中へと入っていってしまっていた。
 彼の背を目で追うついでに、店のディスプレイに飾られている花を凛は見る。
 花が最も美しく見える色合いや角度になるように、計算された配置なのだろう。飾られている花は、思わず見とれてしまう程に美しかった。
(たしかに、これは綺麗ですね)
 家に飾ると、弟達も喜ぶかもしれない。バイト先の喫茶店も、こういった花があれば一層華やかになるだろう。
 今日は散々な一日だとは思ったが、綺麗な花に癒やされたおかげか少しだけ気が楽になった気がした。
(そういえば、あの花屋さんの名前を聞きそびれました。名札には何て書かれていましたっけ……?)
 あの同級生の名前なんて気にもならなかったのに、どうしてか知らないはずの店員の事が少しだけ気になってしまう。
 今度花を買う時は、この店の事を覚えていようと凛は思った。

 ◆

 やれやれ、と直生は肩をすくめる。
 面倒な事に巻き込まれてしまったが、そんなに被害らしい被害はなく終わって良かった……男性の心の傷以外は。
 なんて考えながら作業に戻った直生の視界の隅に、ぺこりと丁寧に一度会釈をしてから去っていく凛の姿が映る。
 他人の色恋沙汰に、口を出してしまった。だが、思わず声に出てしまったのだから仕方がない。
(だって、さすがにあれは気の毒すぎるぜ……)
 力なく去っていく男の背中を直生は思い出し、次いでハッキリと言葉を口にしていた芯の強そうな凛の事を思い出す。そして、自分相手にも臆せず物を言う相手に出会ったのはなんだか久しぶりだなと気付いた。
 棘のある花は、華やかな花を咲かせるものが多い。指に不意に刺さった棘のように突然舞い込んできたこのトラブルも、いつかは綺麗な花のように美しい思い出に変わるのだろうか。
 まさに棘だらけと言った感じの少女の強気な言葉の数々を思い出しながら、直生は思わず苦笑するのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご発注ありがとうございました。ライターのしまだです。
お二方の出会いの物語を執筆する機会をいただけて、光栄です! このような感じのお話となりましたが、いかがでしたでしょうか。
お楽しみいただけましたら幸いでございます。何か不備等ありましたら、お手数ですがご連絡ください。
それでは、この度はご依頼誠にありがとうございました! また何かございましたら、お気軽にお声がけくださいませ。
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東京怪談
2020年04月21日

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