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『疲れた日には温かい珈琲と時間を』
珠興 若葉la3805)&珠興 凪la3804

 嘆いても怒っても、どうにもならないと解ってる。世の中は今、大変だ。どの業種も嬉しかったり嬉しくなかったりする悲鳴をあげて、それでも前に進もうと頑張ってる。――なんていうのは結局は大人の、世間様の事情だ。私だって働きに働いて血反吐を吐いて、少しでも誰かが幸せになるように頑張ったけど、近頃すこぶる体調が悪い。何も考えずぼーっとする時間だけじゃなく、睡眠時間も削られてるから当然だ。寝れないことが気になり、どうすればいいんだろうと考えて余計眠れなくなる。そんな生活が一月続いて、いよいよ死にそうな顔をしてたらしく、先輩に肩を叩かれた。
 ――あんた疲れてるみたいだし、ちょっとこのお店行ってみなさい、と。しかもご丁寧に仕事を調整して昼休みの時間を多めに取ってくれるという。……正直行って何になるんだろうと思った。温泉とかエステとか、そういうのだったら分かるんだけどね。美味しいご飯を食べてもお腹が膨れるだけでこのささくれ立った気持ちが癒されるわけじゃない。このとき私は本気でそう思ってた。それでも行こうと思ったのは、神頼みみたいに、何でもいいので縋りたい気持ちがあったからなんだろう。

 扉を開き、一歩足を踏み入れて、カラカラと来客を知らせる涼しげな音を聞いてようやく我に返る。教えてもらった住所を地図アプリに入力し、人とぶつからないよう気を付けながらルートに沿って歩いてきたので正直、どういう立地かも店の外観も全く記憶に残ってなかった。そう自覚した途端にさっと血の気が引いていく。……もしかしなくても私って、結構やばい状態なのでは?
「いらっしゃいませ」
 掛けられた言葉に身体が跳ねあがる。そんな私の反応を見てお兄さん……? 多分お兄さんは訝しげな顔をした。いやもしかしたら私より年下なのかもしれない。そんな微妙なラインの歳のお兄さんはにっこりと笑みを浮かべて私に「席はどうしますか」と尋ねてくる。私は店内を軽く見回した。先輩に簡単な話を聞いて想像していたよりも広い店の中には、平日の昼過ぎにも拘らず結構な人数がいる。昼過ぎといっても本当に一般的なランチの時間は外れているので、閑散としてたっておかしくはないのに。一人でテーブル席に座るのもあれだし、カウンター席の空いてるところに視線を向けるとお兄さんは「じゃあ、そこにしましょうか」とさっきよりも少し柔らかく微笑んだ。営業スマイルじゃない笑顔を向けられるだけで、何だかちょっと嬉しくなった。
「あの、大丈夫ですか?」
「あー、多分大丈夫です」
 ふらついちゃったので、心配して声を掛けられる。私のそのふわふわした返事にお兄さんは困ったように笑った。本当にただ寝不足なだけなんだと思うけど。勿論私は医療従事者ではないので本当は大病を患っている説もまあなくはない。椅子の柔らかなクッションにほっと息をつくと、ほんのりと珈琲の香りが漂った。見れば飾りじゃなく、ちゃんと使っているらしいサイフォンが見える。
「いらっしゃいませ、メニューはこちらです。ごゆっくりお選び下さいね」
 とカウンターの向こうにいる店主さんがメニューを差し出すので私は会釈して受け取った。店主さんといってもこっちも若い人だ。さっきのお兄さんと同じくらいの年齢じゃないかな。もしさっきのお兄さんを日溜まりに例えるなら、このお兄さんは木漏れ日。微妙に違うけど、暖かい雰囲気は一致している。メニューを開くと珈琲や紅茶等のドリンクにデザート、それと軽食――特別珍しいメニューはないかな。お腹は空いてるけど残しちゃったら申し訳ないどころの騒ぎじゃないから、サンドイッチにしようか。誰かの話が漏れ聞こえる。私は悩んでいる。しかし埒が明かないので意を決して顔をあげた。
「あの、オススメとかあります?」
「んー、それは難しい質問ですね。うちのメニューどれも自信作ですから」
 聞こえた言葉に私は耳を疑った。真後ろじゃなく、隣も一席空いているので横から覗くようにして出迎えてくれた方のお兄さんが言って、ちらっとカウンターのお兄さんを見た。視線を受け、店主さんがはにかむ。
「えーっと、じゃあミックスサンドイッチとカフェラテにします」
「分かりました。サンドイッチの方は俺がやるから、カフェラテは凪にお願いするね?」
「うん。こっちは任せて」
 二人で言葉を交わし合うと赤い髪のお兄さんもカウンターの向こう側に行き、横に微妙に見えるキッチンに入っていった。残った店主さん――名札によると珠興 凪(la3804)さんというらしい――はすぐに後ろの食器棚からティーカップを取り出し、ラテを作る準備を始める。彼らの歳が幾つで何年営業しているかは全然分からないけど、身体に染み込んだみたいな淀みのない手つきについぼーっと見とれてしまった。周りの話し声の隙間、小さく笑う声がする。
「喫茶店にはあまり来られないんですか?」
「あー、はいっ。外食をする時間もなくて」
 優しい微笑みにどきっとして声が上擦る。専らコンビニ弁当やスーパーのお惣菜というと凪さんは栄養を心配してくれた。更に「うちも栄養バランスに拘ったメニューを作ろうかなあ」なんて勿体ない言葉まで出てくる。いや元々作る予定だったんだとは思うけど。間近に漂い出した匂いに、お腹がきゅるると鳴きそうになる。
「とてもいいお店ですね」
「……そうですか? どうもありがとうございます」
 言葉が足りないことに気付くのはいつも言った後。空気というか雰囲気というか、常連さんっぽいお客さん含めて居心地がよさそうだなって思ったんだけど。適当に言ったっぽく思われたかな、と少し申し訳ない気持ちになった。ご飯を食べる前なのもまずいよね。とそんなことを考えていると、
「先に、こちらをどうぞ」
 と出来たてのカフェラテを差し出されたので慎重に両手で包み込むように持った。ほんのりとした暖かさに息が零れ出る。私が受け取ったのを確認して凪さんはキッチンの方に振り返った。
「若葉、そっち出来た?」
「もうちょっとー!」
「……ということらしいので、もう少しお待ち下さいね」
 はい、と答えると爽やかな笑みを残して彼はカウンターから離れた。見れば、テーブル席のお客さんが立ち上がっていて、お会計をするみたい。二人で切り盛りは大変そうだ。
「今日はバイトの子の都合がつかなかったんですよねー」
「わっ!?」
「びっくりさせちゃってごめんなさい」
 私のリアクションがおかしかったからか、皆月 若葉(la3805)さんが笑いつつ少し砕けた口調で言う。サンドイッチが綺麗に並べられたお皿を目の前に差し出した、その中身より一瞬見えた手の方が気になる。治りかけの傷みたいなのがあった気がして。これだけ慣れてる感じだと料理で怪我したってことはなさそうだけど。喧嘩もしなさそうだしさ。だって、顔綺麗だもんね。あ、いやイケメンだけど今はそういう意味じゃなく。
「まだ広告とか出す余裕はないんですけど、何か口コミで話題になってるみたいで。っていうか、知り合いが宣伝をしてくれてるのかな。だから最近は忙しくて二人じゃちょっときつくなってきましたね」
 カウンターに腕を乗せた分、若葉さんとの距離が近くなる。凄く気さくな感じで、友達が多そうだ、なんて思う。そんな内情を話しながらどうぞと軽くジェスチャーで促されて私はやっと食べることにした。と、そこで初めて猫の顔のラテアートに気付く。可愛い。
 崩すのが勿体ないと思いつつも、冷めた方がもっと勿体ないのでとりあえず一口飲む。ほんのり甘くて美味しい。ほっと気が抜ける温度だ。遅れて、頂きますと手を合わせてサンドイッチにも手を伸ばした。ハムとチーズにツナ、卵サンドと定番が一口サイズに切り分けられて並ぶ。思ったよりボリュームがあっていいな。そして当然のように美味しい。口の中が空っぽになったら別のを、と繰り返してから若葉さんが見ているのを思い出す。
「美味しいです! なんて言ったらいいのか分からないですけど……パンはカリカリで、でも具の味は邪魔をしてなくって。それにみっちり詰まってるし……勿論ラテの方も!」
 こんなとき語彙力のなさが恨めしくなる。拙い感想に彼はうんうんと相槌を打ちつつ、耳を傾けてくれていて恥ずかしい。
「そう言って貰えると嬉しいです。今は相談してもっと改良したいなって思ってますね」
 こんなに美味しいのにと思ったけど、そう言うのは野暮な気がした。
「若葉、何話してるの?」
「んー、いや感想を聞いてただけだよ」
 凪さんが戻ってきて若葉さんに声を掛け、若葉さんは少し困ったように笑って答えた。子供にするみたいに頭を撫でられた凪さんが口をへの字に曲げる。私は内心首を傾げた。何か気付いたことがある筈なのに、引っ掛かって喉から出てこない感じがする。凪さんは私を見て気まずそうにしてたけど、若葉さんからそっくりそのままな感想を聞かされて破顔する。あ、ラテの方おざなりなことに今気付いた。でも嬉しそうだ。
「ありがとうございます。そろそろ空いてくるのでゆっくりして下さいね」
 その言葉を聞いて私は後ろに振り返った。カウンター席は人が多いけど、テーブル席は空いてきたっぽい。眺めてたら勉強してたり読書してたり、結構フリーダムな感じみたい。かと思えば、お皿を片付けようとする若葉さんに話し掛ける人もいる。視線を巡らせているとお洒落な雰囲気に浮いて見える物を見つけた。
「……これ、碁盤?」
 咄嗟によく碁盤なんて言葉が出てきたなと自分でも感心した。奥に置かれたそれは差し込む光に反射すると、細かい傷がついているのが分かる。
「あの、やったことありますか?」
「えっ、いえ……祖父が昔やっていたなあ、と」
「意外とやってみると面白いんですよ。月並みなことしか言えないんですけど、読み合いの練習になって。攻めっ気が強いとか、堅実な立ち回りが好きだとか、かなり性格も出ますしね」
「へぇ、面白そうですね」
「後は詰め将棋なんかは一人でも出来――って、あ」
 ふっと背けた凪さんの顔がほんのりと赤くなった。
「将棋、好きなんですね」
「下手の横好きですけど」
 そうして照れるのが可愛いと思った。癒されて表情を緩めると、不意に視線を感じる。常連さんと話しているらしい若葉さんがちらっと私を見たような。ナイトメアという単語が漏れ聞こえて、現実に引き戻された。
「大丈夫ですか? 少し顔色が悪いような……」
「あっ……いえ。大丈夫です」
 首を振ったら気分が悪くなった。凪さんが心配してる。平気な顔をしないと。
「もし間違ってたら申し訳ないんですけど、SALFの関係者さんですか」
 質問というより断定した言い方に肩が跳ねる。それが答えだと理解したみたいだった。SALF――対ナイトメアにライセンサーを集めた国境の垣根を超えた組織。そして全ての元凶が倒された現在は所属する放浪者の処遇に大忙しになっているところでもある。元の世界への帰還が可能になったばかりで、帰る帰らないに保留と選択肢がある。私は今その対応に奔走していた。
「放浪者のことで今外からも色々言われてますよね……。僕達にも何か出来ることがあればいいんですけど。残党と戦うくらいで――」
「えっ。……もしかして、ライセンサーの方ですか」
「一応。今はこっちが本業ですね」
「なるほど」
 若葉さんの手の傷は戦ったときに出来たんだろう。だから先輩はここを勧めたのかな。いや単純にご飯が美味しくて、いい雰囲気のお店だからかもしれない。
「自分でやりたいと思っていることなので、平気ですよ。でもたまにはここに来てもいいですか?」
「勿論! 凪の将棋仲間になってくれると嬉しいな。俺も練習してるんだけど全然勝てないからさ」
 いつの間にか若葉さんが凪さんの隣まで来ていて、会話に混ざってくる。凪さんは呆れたような、嬉しいような、何ともいえない表情になっていた。若葉さんもライセンサーかな。お仕事二つとも一緒なんて相棒みたい、と――。何とはなしに下を見てあっとなる。薬指に光る指輪が同じデザインだ。引っ掛かったものが綺麗に落ちた。
「休みの日に将棋の本を買ってきます。後は別のメニューも食べたいです。なので程々に頑張りますね」
「うん、そうした方がいいよ」
 優しい声で若葉さんが言う。このお店に来てよかったと私は改めて思って笑った。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
おまかせノベルならではのことがしたいなあと思い、
若葉くん凪くんの二人でモブ視点のお話を書くなら
微妙に未来の話にはなりますが、喫茶店についての
ものになるかなあと考えてこうなりました。
店名や立地はぼかしていますが、未来のお話なので
いつもよりIF要素が強めになっているとは思います。
珈琲は凪くんが淹れて、料理は二人で分担するイメージです。
店内で皆思い思いの時を過ごし、常連さんになりそうですね。
名字が変わらないのは諸般の都合ということでお許し下さい。
今回も本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2020年04月22日

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