▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『犬と金』
アルマ・A・エインズワースka4901

 ノアーラ・クンタウの片隅に、小さな看板を掲げるバーがある。
 元々の店主は見かけなくなって久しいが、今は不可思議なアフリカンが店を引き継ぎ、今までと同じように営業は続いているのだった。

 入ってきた女はまっすぐカウンターの最奥席へ向かい、腰掛けた。なぜならそこが指定席だからだ。
 彼女は涼やかな美貌と他者の目を奪わずにおれぬ豊麗とを併せ持っていたが……その髪先から爪先までのすべてが黄金で形作られた、異形である。
 彼女の名はゴヴニア(kz0277)。かつては怠惰として人類と対した存在。
「香りのよい蒸留酒を。あちらではカルバドスと言うたか」
 吸い口の長いパイプに野いちごのフレーバーをつけた煙草を詰め、火を点けた。
 空気の内にたゆたう酒精の甘香と紫煙の甘香が、ふと吹き払われて。
「おくつろぎのところに失礼します」
 言いながらゴヴニアのとなりへ座したのは、世界の守護者にして稀代の機導師であるアルマ・A・エインズワース(ka4901)だった。
「怠惰王の出陣にて会うたきりか」
 ゴヴニアはカルバドスで湿らせた口で問う。
「僕はお兄ちゃんからよくお話を聞いていましたので、久しぶりな感じはしないのですけれどね」
 見かけは数十年前と変わらないアルマだが、実際にはずいぶんと成長したようだ。多元世界へ“概念的”ボトルメールを大量に流し、何処にいるとも知れぬゴブニアへコンタクトを取れる技術と知識を得たこともそうだし、人格的にも――
「わふー! 来てくださってうれしいですっ!」
 ――人格的にはまあ、知人などが「わんころ」と呼ぶままのアレなようだが、ともあれ。
 右手をアルマに振り回させておいて、ゴヴニアは渋い顔でパイプを吹かす。
「して、妾を呼ばわった理由は?」
 ゴヴニアが顕現していられる時間には限りがある。この世界の理(ことわり)から外れたものが、理の内に自らを捻り込んでいるのだから。
 そしてアルマもまた、ゴヴニアが演じている無理についてを推察していた。人格はともかく、賢者と呼ばれていいだけの知の研鑽を積んできたからこそ。もっとも、そればかりのことではないのだが……
「あ、そうでしたごめんなさい!」
 しかし。それに気づいていることを知らせることなく、言われたことに反応しただけの顔で、アルマはゴヴニアに詫びる。
「……噛み合わぬな。妾の何を試したいのやら。告げられねば知れぬぞ?」
 ああ。
 ゴヴニアの言葉にアルマは目を見開き、鋭利な眼光を紛らわした。
 彼女はアルマの韜晦を見透かしてきた。しかもそれをわざわざ口にすることで示してもみせたのだ。すなわち、舌戦を含むあらゆる争いを演じるつもりがないことを。
「わふ。お姉さんが悪い人じゃないのはお兄ちゃん見てたらわかります。でも、僕はお姉さんを信用できるか知らなくちゃいけなかったです」
 聞いたゴヴニアは小首を傾げてみせた。
「信頼ならず信用が要るか。なれば信じて用いよ。事は彼の仏頂面のことであろう?」
 アルマが兄から話を聞いたと明かしている以上、推察は容易かろう。そうでなくとも、兄はゴヴニアが伸べた縁の糸と強く結びついている。その弟が「信じて用いたい」と言えば、答はおのずと知れる――などということは置いておいて。
 アルマは笑顔をこくこくうなずかせる。
「やっぱりお姉さん、いい人です! だから僕、全部見せちゃいますですー!」
 果たしてアルマがカウンターの上へ置いたものは、小さな金属板だ。ただしその表面には微細な彫刻が、わずかな隙間もなく彫り込まれている。
「汝らが使う巨人の“頭”の欠片か」
 そう、それは機械系ユニットの頭脳回路にも用いられる記録板だ。
 機械を扱っているとどうしてもデータは大量となる。その持ち歩きに便利なことから、アルマは好んで使っていた。
「お姉さんならそのまま読めるかなーって」
 ゴヴニアは応えず、指先で板をつまみあげた。するとカウンターの上、ホログラムさながらに細やかな図が映しだされて。
「機械で人を造る術か。正気とは思えぬな」
 ゴヴニアの言う通り、それは機械で造られた人型の設計図である。中枢神経系を除くすべての血肉と骨、臓腑を人造物にすげ替える代物。
「わふぅ。依代使いのお姉さんに言われちゃうと自信なくなるですけど……」
 へにゃりとカウンターに顔を落とすアルマにゴヴニアは苦笑し。
「斯様な器が要るとは、彼奴は患ってでもいるか?」
「いえ」
 アルマは顔を引き起こし、いつになく真剣なまなざしをゴヴニアへ向けた。
「この世界には存在しない幸いを探しに行く。そのためにマテリアルの加護を全部削ぎ落とす。……マテリアルは加護で、同時に呪縛ですから」
 この世界に生者の魂を繋ぎ止めているものはマテリアルだ。それは死した後も魂を導き、新たに生まれ変わらせるもの。
「円環の呪いとも言えようが、なんとも思い切ったものよな」
 ゴヴニアが理由に気づかないふりをしていることはわかる。だからこそ、アルマは問い質したりしない。言うことで彼女は誠意を示した。今度は自分が、言わずにおくことで誠意を示す番だ。
「人は五感からもたらされる“感じ”に依るものだと思うです。だから神経系にすごーく力入れてるですけど……」
 そっとアルマが差し出してきたふたつの糸の束を手に取り、ゴヴニアはふむ、鼻を鳴らす。
「どちらも戦士の“感”繋げる代物ではありえぬな」
 それは義体へ張り巡らせる神経糸のサンプルであった。そしてゴヴニアが言う通り、どちらも神経として使うには心許ないもの。
「わふぅ。僕の知識と技術全部絞り出して試作してきたですけど、必要な強度が実現できたの、これだけなんです。……だって僕、お兄ちゃんについていけませんから」
 そういうことか。ゴヴニアは得心した。
 アルマの兄はひとりで異世界へ向かうのだ。修理できる環境の有無が知れぬ以上、とにかく物の強度を高めるよりない。
 そしてこれを見せてきたアルマがゴヴニアに会いたかった理由は、もう知れていた。
「どうかお兄ちゃんの“糸”、お願いできませんか」
「引き受けよう」
 切り出したアルマも受けたゴヴニアも、ある意味で平らかだった。“アルマの兄”を挟んで立つ自分たちの役どころを、誰よりも理解し合っていればこそ。
「汝らの用意終わらば報せよ」
 どこからともなく引き出した伝話を差し出し、ゴヴニアが立ち上がる。
 アルマはそれを恭しく受け取りながら、ふと顔を上げた。
「わふ……正直、あなたにちょっとだけ嫉妬しちゃってるです。だってお兄ちゃん、今までは僕ら家族だけのものだったですから」
 冗談めかして言う彼にゴヴニアは薄笑みと言葉とを返す。
「縁繋ぎし者は等しく愛しいものよ」
 故にアルマもまたゴヴニアにとっては愛しい存在である。言い置いて、ゴヴニアはばらりと解けてかき消えた。

「わふぅ。用心深い人です」
 ゴヴニアは予防線を張っていった。アルマの申し出を引き受けたのはアルマの兄のためだけでなく、縁を繋いだアルマのためでもあると。
 自分たちがマテリアルで縛り上げられているように、彼女もまた縛られているのだろう。公平性と平等性という自らへ課した規約でだ。
 そんな思いを振り払い、アルマは心を据える。
 とにかく、僕にできることはなんでもするです。大好きなお兄ちゃんが、ほんとの幸せを見つけられますように。


シングルノベル この商品を注文する
電気石八生 クリエイターズルームへ
ファナティックブラッド
2020年04月22日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.