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『一流の役者は、純粋かつ嘘つきである』
la1158

 ――白狼。
 演出家、赤山勇二郎が率いる劇団『宵月』がオリジナル脚本で公演する舞台である。
 時は、幕末。
 黒船が来航してから10年以上が経過した江戸で、市中取締の任を受けて治安維持を行っていた彰義隊が時代に翻弄されながら戊辰戦争で敗れる姿を描いていく。
 舞台では新人隊士の榊孝二郎が、彰義隊入隊から様々な人と出会いや別れを経験して成長していく姿も売りの一つだ。

 その主人公である榊孝二郎を演じるのが――侃(la1158)である。

「てめぇ! やる気あんのかっ! 今てめぇがやっているのは命のやり取りなんだぞっ!」
 顔合わせから台本読みを経て数日。
 稽古場に赤山の罵声が飛び交っている。
 檄を飛ばされているのは、プロダクション・ヤカより招かれた俳優だ。
「やっているって言ってるだろ!」
 赤山に対して激昂する俳優、遠山翔太。
 遠山の存在は侃にも記憶がある。彼は舞台俳優ではなく、テレビの仕事、特にドラマを中心に活躍する俳優だ。元々はモデルだったが、バリトンボイスに年齢を重ねて渋みが出た事もあって様々なドラマで顔を見かける。
「できてねぇんだよ! いいか、俺が見てできてねぇんなら、客にもそう見えねぇって事だよ!」
 食ってかかる遠山を赤山は一喝する。
 反論を一切許さない赤山。それは舞台の上で王となった演出家の傲慢な振る舞いに他ならない。
 普段と勝手が違う遠山は、うまくいかない苛立ちを隠せない。侃はしばらく様子を見守っていたが、それに気付いた赤山が侃に向かって叫ぶ。
「おい、スナオ!」
「はい」
「こいつに教えてやれ」
 そう言い残すと赤山は稽古場の隅にあったパイプ椅子に腰掛ける。
 空気の悪くなった稽古場で侃はため息をつく。舞台に上がる役者にとってこうした光景は日常だ。本番に向けて文字通り血反吐を吐く思いをしながら、質を上げていく。だからこそ、侃は他人の演技に口出しはしない。他人の演技は当人が悩むべき課題だ。他人に口出しする暇があるなら、自分の役を深掘りするべきだ。
 だが、赤山に指名された以上、無視する訳にもいかない。
 侃は遠山の肩にそっと触れる。
「大丈夫ですか?」
「……なぁ、俺の演技は間違ってないよな?」
 侃の言葉を遮るように遠山は問いかけてきた。
 遠山にも演者としてのプライドがある。彼はテレビドラマを中心ではあるが、多くの作品に携わってきた。経験と勘、それに裏打ちされた演技力がある。その演技力をたった今、赤山に木っ端微塵にされたのだ。
 それが――自分の役を奪い取った相手でも――同調してくれる仲間を探したくなったのだろう。
「間違ってはいませんが、すべてが正しい訳ではありません」
「は?」
 問いかけ直す遠山。
 その言葉に怒気が混じっているのが分かる。
 侃から見れば遠山は決して安っぽい俳優ではない。醸し出す雰囲気に対して細かい所作は役者として無視できない。
 しかし。
 ここはテレビドラマではない。劇場の『舞台』なのだ。
「遠山さんの役は天野八郎。幕臣で彰義隊を立ち上げた幹部でありながら、江戸の治安に拘った上で、最後には上野戦争後に捕縛されて処刑された」
「そんな事は分かっているよ」
「天野八郎は、『男なら決して横にそれず、ただ前進あるのみ』と言って将棋の香車を好んだ程です。そんな八郎をこの舞台では大きな器でどっしりと構える侍として描かれています。
 失礼ですが、遠山さんにはその大きな器が感じられません」
「なんだと?」
「テレビカメラであれば見て欲しい場所にスポットを当ててくれます。それはカメラマンや監督といった存在がいるからです。ですが、本番の舞台は違います。多くの観客が役者に注目します。役者のアピールポイントなどは見てくれません」
 侃はミュージカルを始めとした舞台を主な活動場所としている。
 一方、遠山はテレビや映画が中心だ。大きな差とすれば観客と役者の間にスタッフが存在するか否か。舞台は役者を直接観覧する。言い換えれば、繊細で小さな所作は観客に届き難い。舞台には舞台のやり方があるのだ。
「役者を、見てくれない……」
「舞台は、ある意味残酷です。観客の反応がダイレクトで返ってきます。一方で、観客は役者の都合を考慮しません。役者にどんな事情があろうとも、幕が上がれば演じる他ありません。もし、観客に見せたくない物があるならば嘘を吐き続けなければなりません。
 遠山さん、あなたに舞台の上で演じ続ける覚悟がありますか?」
 遠山に迫る侃。
 少し感情を押し殺して迫る。
 今、遠山は一つの選択を迫られている。
 ここで舞台を捨てて自分の領域に逃げ帰るか。
 新たなる境地を開いて役の幅を広げるか。
 それを決めるのは遠山自身。侃は彼がいずれを選び取るのか、黙って見つめていた。


 上野戦争勃発前夜。
「天野さん、既に新政府は江戸市中取締の任を解くと通告して参りました」
 侃――榊孝二郎は、畳の上に座って副頭取の天野八郎に迫る。
 既に頭取であった渋沢成一郎とも袂を分かち、江戸市中の治安を守り続けてきた。幕府に下された任務。江戸の市民を守る事が自らの役目と信じて戦ってきた。時には夜盗となる旧幕府方の兵士を斬る事もあった。
 それもすべては自らの任に身命を賭す侍であり続けるが為だ。
 だが、旧幕臣勝海舟からの救いの手を払い除けた故に彰義隊は新政府軍から討伐の命が下っていた。
「そうか」
 八郎は孝二郎の報告に、一言そう答えた。
 八郎も与えられた任を愚直に従っていただけなのに、何故討伐対象とされてしまったのか。
「既に寛永寺に向けて大村益次郎が包囲に向かっているという噂もあります」
「孝二郎。侍とは、何なのだろうな」
 八郎はため息交じりに本音を漏らした。
 彰義隊は愚直に与えられた任を進めていた。新撰組のように幕府方の主力として将軍と同行する事もできた。だが、八郎は与えられた任を全うする事を優先した。
 江戸市中を守る。それが何故、彰義隊であってはならないのか。
「分かりませぬ。ですが、我らは最期まで……最期の時まで、任に従うべきかと存じます」
 孝二郎はそう言い残して部屋を出た。
 一人残された八郎は、静まりかえった部屋の中でそっと瞳を閉じる。
「そうよな、孝二郎。迷っておったわ」


「そうだ! やりゃできるじゃねぇか!」
 赤山の声が上がる。
 侃と遠山の演技に赤山は合格点を出した。
 だが、それで納得してはいないようだ。
「まだ時間はある。ここから一気に芝居の質を上げていくぞ」
「はい」
 頷く侃。
 その背後で遠山が小声で囁く。
「……ありがとうな」
「礼を言うのは千秋楽の舞台後でお願いします」

 流れる月日。
 ついに、舞台は――本番を迎える。


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近藤豊 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年04月27日

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