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『エフ』
神取 アウィンla3388

●朝に。
「ふ」
 ゆ──と呼びかけようとして、アウィン・ノルデン(la3388)は隣に温もりが無いことに気が付いた。吐息を漏らす様に、少し窄めた口先が乾いている。
(そう言えば、帰ったのだったな)
 彼女は年度替わりのこの時期は何かと忙しいのだと言っていた。後ろ髪引かれるように何度も振り返りながらゼミ室へと戻っていく彼女を送ろうかと提案したが、「だ、大丈夫だから!」と押し留められたのが数時間前の事。仕事の邪魔にならぬように、名残を振り切って「おやすみ」とだけショートメッセージを送って床に就いたのだった。強張った身体を解してから、シンクへと向かい、水を汲む。寝起きの乾いた喉に潤いが欲しかった。

(──む)
 家主の性格を反映してか几帳面に整理整頓された食器棚からグラスを二つ、取り出しかけてアウィンはまたしても手を止めた。二つ。そこまで、脱水を起こすほどの渇きを覚えている訳でもない。つい、何の気なしに二つ目のグラスに手を伸ばしてしまったのだ。
(まだ頭が回っていないのか……)
 冷えた水は身体には良くないと思いつつも、汲んだ水に氷を落として一息に飲み干す。貼り付くようだった喉の粘膜に、冷たい刺激がスッと走る。グラスをひとつ洗い、顔を洗い終わる頃には靄掛かっていた意識もいくらか晴れたような心地がした。窓の外では鳥たちが鳴いている。ナイトメアの襲撃だ何だと騒がしいこの世界ではあったが、鳥の声はかつての故郷と変わらない。ガラリと窓を開けて熱気籠もる前の清涼な空気を胸に吸い込むと、春の青草の匂いがした。

 スマートフォンのメッセージを確認すると、恋人は夜中の三時過ぎに仕事を終えたようだった。今の時間はまだ寝ているだろうか。既読の付かないメッセージを送って、アウィンは身支度を整える。仕事の期日が今日の十二時だと言っていたはずだが、休んでいるということは無事に為すべきは終えたのだろうか。そんな事をつらつら考えながら、今日の予定を思案する。
(特に、無いな)
 そう。予定は入っていない。今日ばかりはバイトも仕事も、試験対策すらも予定を空けて──おいたのだ。予算の使途申請と、新年度のシラバス提出。それに学生の配属会議が入っていると彼女は言っていた。その期日が、今日。タフワークを終えたであろう彼女を少しなりと労わりたいと、アウィンも前々からスケジュールを抑えていた。それは……。
(忙しくなれば、会う事も難しくなるかとも思ったが)
 結局のところ、追い込まれれば追い込まれるほど彼女の方からも寸暇を惜しんでアウィンの下へ顔を出しに来ていたために、むしろいつも以上に四六時中傍らに彼女の存在を感じる結果にはなったのだが。
「何にしても、疲れているだろうからな」
 何か──精も根も尽きているであろう愛する人に出来ることは無いか。立ち上がって冷蔵庫を覗き込む。予定以上に内食が増えたために空白が目立ちがちな冷蔵庫の中には、昨晩食べ残したコーンドビーフとチーズ、それにいくらかの野菜が残っていた。食卓の上にはまだナイフを入れていないバゲットもある。
(サンドイッチでも、作るか)
 簡単に料理を作り、私用を済ませている間に昼過ぎになる。その時分なら彼女も起きてくるだろう。そう考えてアウィンはランチボックスの支度を始めた。

●昼に。
『起きました!』
 メッセージの着信を告げる音と共に、スタンプが送られてくる。ちょうど二人分の昼食を作り終え、後片付けを終えたところだった。よほど疲れていたのだろう。既に太陽は頂点近くまで高く昇っていた。
『今、どこだろうか?』
 問いかけると、まだ彼女はゼミ室に残っているとのこと。ギリギリまで仕事を続け、その後倒れるように意識を手放していたらしい。相変わらずのワーカーホリック振りに苦笑しつつ、アウィンは返信を続ける。
(──彼女の事情は理解しているが)
 それでも。ひとつの目標に向かって長年の努力を続け、実際に結果を残すその覚悟の重さには頭が下がる。アウィン自身も思うところあって目標を定めたところであるからこそ、恋人の努力が身を以って感じられた。
『少し、休んでいると良い。しばらくしたら部屋に行くから』
 一時間か、更にもう少しか。買い物がてらに時間を潰してから彼女の部屋へ向かうことにする。
(忘れぬようにしなければな)
 彼女のことはどんな様子でも愛おしいと思うアウィンではあったが、仕事終わりの疲れた姿を見られるのは以前にひどく拒絶されて以来避けているのだ。必要なものは一通り揃っているはずなので、当たり障りのないものを買い足すことにする。
「酒と──小物、か」

 仕事が煮詰まってくるに連れて、彼女の部屋には小さなぬいぐるみが増えていくことをアウィンは知っている。時折り、それらに向かって何やら語り掛けていることも。何が良いだろうか? 先日覚えた嫉妬心をちらりと思い返し、彼は街角を冷やかして歩く。愛しい人のことを考えながら散策する時間は短く、すぐに予定の時間が過ぎてしまう。余り待たせる訳にも行かないと、踵を返して彼は目的地へと歩を進めた。
 

●そして、夜に。
 膝の上には小さな温もりがある。やはり疲れていたのだろう。ひとしきり労を労い、共に食事を摂り、いくらかの盃を傾けたところで反応が無くなった事にアウィンは気が付く。もたれかかる重さを受け止めながら、その髪を漉いてやれば指の先をさらさらと滑らかに通る指触りがあった。こうして顔を見下ろしていると、随分と安心した表情を見せてくれるようになった──そう思える。自然と、彼の口元にも穏やかな微笑が浮かぶ。

 夜は静かに更けてゆく。二人を見つめているのは、新しく買い求めたペンギンのぬいぐるみ。そのくるりとした硝子玉の瞳だけ。

「ふ」
 ゆ──と。呼びかける吐息は重ねられた唇へと消えていった。

──了──

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
お久しぶりです、かもめです。この度はご発注いただき、どうもありがとうございました。
お任せノベルということで何をどう書こうかなと納期いっぱい考えさせていただきましたが、結局はこんな形となりました。お気に召されれば良いのですが。
リテイク要望等、ございましたら公式フォームよりよろしくお願いします。
ではでは。
おまかせノベル -
かもめ クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年04月28日

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