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『付かず離れず、側にあるもの』
ロベルla2857

 ロベル(la2857)が外の空気を味わうのは久し振りの事だった。外といってもこの場合は屋外ではなく、外界を指し示す。さすがに刑務所と評するのは過言にしても、孤児院の周囲に張り巡らされた塀は子供の身長からすると高く感じ、抜け出すなんて絶対に出来ないと思わせた。しかし時が経てば次第に成長し、塀も段々低く感じ始める。同時に院を正式に出る年齢も近付いていた。だから無事その歳になって出所――となったわけでは無い。誰にも言わずそれこそ脱獄も同然に抜け出したのだ。警戒しているだろうと神経を尖らせたにも拘らず、拍子抜けする程簡単にロベルは人生の半分以上を過ごしたあの孤児院を出た。
 上限前に抜け出した事には、何の切欠も無い。明確な理由を見出すとすれば、それこそ入所間も無い頃にでも抜け出していただろう。何故なら孤児院に虐待が横行していた為である。祖母を亡くしたロベルが連れて来られたのは幼い時分。本来なら頼るべき職員が加害者なので、どうしようも無かったのは間違いないが、あの頃の心身の疲弊は筆舌にも尽くし難かった。だが人は慣れる生き物で、時を経るにつれて感覚は麻痺し、最早いつもの事だと黙って受け入れるまでになった。強いていうなら、慣れた事が原因だろう。慣れて、抗う気も起きず、しかしそれでも肌に合わなかった。日常的に出ていた蕁麻疹が発作に変わり、もう無理だと悟ったのだ。
 掃き溜めのような場所でも、望めば仕事に就く当ては用意してくれたに違いない。情操教育などと称し寄付された物を用いた授業を行なっていたくらいである。外面の良さで築きあげた信頼を失う真似はしない。ただロベルには未来への展望を抱けずにいただけで。ずっと自分を育ててきた祖母は他界、親は一度も会った事が無く生死も不明――頼れる人がいない以上、独りで生きていくしか無い。
(まあ、そのほうが気楽ってもんだね)
 人間関係が面倒臭いものという事は孤児院で教わった。他にはそう、演奏と性行為。前者は才能に恵まれていたようで、余り物のヴィオラや備え付けのピアノを弾けば、将来演奏で食べていけるとまで言われた。しかしあるとき、己が何故楽器を弾きたがるのかに気付いて、嫌気がさして。それ以降楽器に近付く事さえしなくなった。それなりにブランクがあるのでもう劣化しているだろうし、していなかったとしてもそれで食おうとは思わない。となれば後者で食うのが一番の近道か。
(男の娼婦はなんていうんだろうね?)
 その言葉は寄付された本の山に混じっていた、のちに教育に悪いと処分された小説に登場していたので知っている。作品に登場する娼婦は所謂端役で、まるで子供が手加減せずにぼろ雑巾にしたぬいぐるみと同じく、使い捨てられていた。誰からも慕われる仁義に溢れた主人公より、懸命に彼を支えるヒロインより、ロベルは娼婦の行方を気に掛けていた。もしかしたら無自覚ながらも、彼女に同類のよしみを抱いていたのかも。
 雑踏は煩わしげに一瞥するだけで気に留める素振りも無い。善人も悪人も全員たかが子供と無視し続けている。ただ突っ立っていても埒が明かないと判断して丁度呼吸も整ってきた頃だとロベルは改めて歩き出した。人が多いなら追っ手が現れても木を隠すなら森の中、と上手い事やり過ごせるだろう。そもそも職員が何処にいるかも分からない自分を探すとも限らないが。乱暴出来る子供はまだ沢山いる。
 既に実家は人の手に渡っただろうし、住処を得るのが第一目標だ。乱暴を働く職員の一人が満足して寝ている隙にくすねてきた金がある。安宿を探せば当面の寝床は確保出来そうだ。食事に関しては最悪盗むという選択肢もある。
 久方振りに出た街は好奇心を煽った。ふと目についたショーウィンドウ前で足を止める。若干傷付いた硝子に映るのは自身の姿。背が伸びて、声変わりも済んでいても、十四歳はまともな家なら稼ぎに出る年齢では無いのだろう。後ろを行く人と比べれば酷く頼りないと自分でも思った。そんな中途半端な自分の顔の奥、ヴィオラが一丁飾られている。硝子に手を伸ばしかけて、引っ込める。弾くつもりなど無いのに、求めて何になる。
「それに興味があるのかい?」
 不意の声に驚き肩が跳ねる。振り向けばショーウィンドウの横、入口の扉を半開きにして店主と思しき老人が顔を覗かせていた。髪も髭も白く顔の皺からしても相当高齢に見えるが、如何にも溌剌とした印象が目力に表れている。
「……興味、なんか」
 無いの二文字が口の中でつっかえる。俯いて黙るロベルを見ていた店主はやがて「まあ入りなさい」とそう声を掛けると店の中に引っ込んだ。顔をあげて思考する。硝子越しに定位置に戻る背中が見えるので逃げても追いかけてこないだろう。所持金をはたいても買えるかは疑わしいし、買う気もない。無視して当面の寝床を探そう。そう思うのに足は動かず、暫しして歩き出した。扉を潜れば予め選択を読んでいたかのように老人は泰然とした様子で座っていた。居心地が悪く感じる。店は楽器だらけだから。
「そのヴィオラを持ってくれんか? なに。演奏はせず、する振りだけでいい」
「アンタ、絵描きなのか」
「所詮楽器屋の趣味さね。儂の楽器を持って絵になるモデルを探していたのさ」
 スケッチブックを膝に置き、促されては逃げるに逃げられない。ロベルは溜め息をついて、
「さっきのヤツでいいのか?」
 と確認すれば頷くので、展示されたヴィオラを取りに向かった。商品だというのに老人は、ロベルが手荒に扱うと疑っていない。先程の言から察するに老人は楽器職人でもあるようだが我が子にも等しいそれを預けるところに信頼が透けていて落ち着かずに視線を巡らせる。
 ポーズは指定されなかったが開き直って肩に乗せた楽器を顎で固定する。弓は老人からは演奏しているように見える角度で、しかし実際は離してそれっぽく見せかけているだけ。彼は気付いているだろうが満足げに笑みを浮かべ、絵を描き始めた。集中しているらしく沈黙が下りて、一体何をしているのかと自問自答をする。我慢しようと試みたがやがて衝動に抗い切れず弓を寄せて引いた。顎や肩からも響く音色に鳥肌が立つ。体は曲を覚えていた。
 いつまでそうしていたのだろう。気付けば窓の外は橙色に染まっていた。老人が一息ついて、それで区切りがついたと知る。見せようかと聞かれてロベルは断った。演奏に対する感情に名がついてしまいそうで怖かったのだ。
「そのヴィオラはまるでお前さんの為に作ったかのように馴染んでおった。お礼といってはなんだが、受け取ってはもらえんか?」
「は!? そりゃ幾ら何でも釣り合わな過ぎだろう。俺にこんな楽器を買う金は無い」
 値札は見ていないが質の良さは演奏する前から知っていた。意思表示の為に慌てて元の場所に戻しに行く背中に声が掛けられる。
「ではお前さんが欲しいと思ったら買いに来てくれ。モデル料金はそのときの割引にでもさせてもらうかね」
 振り返った際に向けられた慈愛に満ちた眼差しに、そんな日なんて来ないね、という返しは吐き出さないまま溶けて消えた。代わりに口にした言葉は――。
「……気が向いたら、またアンタに会いに来るかも、な」
 向くかどうかなんて分からない。しかしただ一つ、言えることがあるとするならば、この街にいる間は絶対この店の場所を忘れないということだけだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
今回はどんな内容のお話を書こうか考えていた際に
ロベルさんが依頼の時ヴィオラを持参していたのが
気になったのでそこから思いついたものにしました。
元々ノベル自体がIFですし、更にはおまかせですが、
このお爺さんのヴィオラを後々買う(十割引)でも
全くそんなこともなく、別の機会に入手するのでも
お好きに解釈出来る範囲に留めておいたつもりです。
このお爺さんとの距離感も、どうとでもなる範囲で。
ロベルさんの楽器に対する複雑な感情が上手く
表現出来ていればとても嬉しいですね。
今回も本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2020年04月28日

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