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『業比べ』
水嶋・琴美8036

 枯れ草が互いの先をかさこそすり合わせ、吹き抜ける風は錆びたにおいを運ぶ。
 季節は晩秋。冬に追いつかれるより早く決着を急いた軍同士、田の刈り入れが済んだと同時に出陣し、ぶつかり合ったのだろう。
 とはいえ、繰り返すほどの価値があるとは思えませんけれど。
 水嶋・琴美(8036)は丘上より合戦場を見下ろし、短く息をついた。

 異世界より来たる人外は、この世界を包む外壁をこじ開けて潜り込む。
 その強引が引き起こす歪みは、時に不可思議な出来事――都市伝説と呼ばれるような怪現象を引き起こすのだが、ただ。それ自体に人を害する力が宿ることは少ない。しょせんは現象であり、意思や意志があるものではないからだ。
 しかしながら例外的に、生じた瞬間から世界を侵せるほどの“確固”を備えた現象がある。並外れて強い意思や意志――遺志を核とし、触れるほどの形を固めるに至ったものが。
 そしてこの古戦場はまさに、確固たる都市伝説なのである。

 琴美が息をついた直後、一方がもう一方の陣を突き崩し、一気に大将首を獲った――と思いきや、両軍は今まさに合戦場へ着いたとばかりに陣を組んで対峙する。決着と同時に開戦直前まで時が巻き戻ったのだ。
 これまで数回分の「繰り返し」を見てきたが、どちらが勝つこともあり、負けることもある。その都度同じように時が戻ることを考えれば、この現象を打ち消す方法はただひとつ。
 現象の核を為すものに敗北していただきます。もう二度と時を巻き戻すことができなくなるほど凄絶に、悔いを忘れるほど圧倒的に。
 かくて琴美はコートを脱ぎ落とす。
 黒のインナーに包まれた肉は、出力や防御力よりも挙動の自在を重視して鍛え上げられたなめらかさを備え、まさに豊麗と呼ぶにふさわしい。
 その肢体を鎧うのは、帯で結び繋がれた、袖を半ばで落とした着物とミニ丈のプリーツスカート、そして膝までを包み守る編み上げブーツにグローブである。
「水嶋・琴美。いざ、推して参ります」
 戦装束をまといし現世の忍が今、終わりなき戦に終焉をもたらすべく駆ける。

 声ならぬ声をあげ、兵士らは互いの陣を削り合う。
 その裏へ滑り込んだ琴美は音もなく立ち木を駆け上り、枝にとまった。息を殺し、体の熱を殺し、鼓動を殺し、空(くう)を為すまでにかかった時間は3秒。空恐ろしいほどの業(わざ)である。
 ――古今問わず、戦の一歩先を拓くものは情報だ。それが指揮を執る将へ届けられ、次の一手を決める。故に。
 空を成したまま琴美は降り落ちた。その手には自らで研ぎ上げた苦無が握り込まれており、滑り落とされた切っ先は真下を通り過ぎようとしていた守り手側の軍の伝令、その鎖骨の狭間より心臓を突き通す。
 敵兵に見つかることなく大将の元まで行こうとすれば、ここを通るよりない。これまで合戦場を俯瞰してきた琴美の見切りは正しかったのだ。
「もうお眠りなさい。あなたの仕事はもう終わっているのですから」
 振り向いた伝令の顔がぼそりとこそげ、見る間に肉を失くして骨と化し、がらりと崩れ落ちた。
 死んだ自覚を持たず、実体と同じほどの濃さを持つ死人でも、致命傷を与えてやれば“納得”し、死を受け容れて滅ぶものだ。
 核にはこの程度でご納得いただけないでしょうけれど。
 と。琴美が掲げた苦無に硬音が跳ねた。
 棒手裏剣ですか。
 棒手裏剣は平型手裏剣――十字や三方――よりも投げにくいが、ほぼ飛行音がせず、遠距離まで届く。刻々と変化する状況へ広く対応できる実戦的な忍具と言えよう。
「流派を問うような無粋はしません。互いに忍、ただ業と業とを比べ合いましょう」
 敵は未だ見えぬが、どこに潜んでいるかはもうわかっている。棒手裏剣は平型手裏剣のように軌道を曲げることができないからだ。
 琴美は身を翻すと同時、柄頭の輪をワイヤーで結んだ苦無を投げ打った。茂みへ突っ込んだ刃に返る手応えは、ない。
 焦って茂みを鳴らすような真似をせず、逃げ出したらしい。死してなお忍は忍ということか。
 しかし。琴美はすでに忍の逃げ道を割り出している。この場から音なく逃げおおせられる道は、ただ一条しか存在しない。相手の動きをコントロールできる場を選ぶことは、忍の業の初歩である。
 それでもあなたは判断の迅さで私の業を置き去った。その冴えに敬意を払い、この業をもって送りましょう。
 琴美の左手が棒手裏剣を抜き打った。斜め上へ飛んだ一本の尻を追いかける二本めが突いて軌道を斜め下へ傾げ、それが直ぐに打った三本めの腹を横からこすって回転を加え、四本めが三本めの尻をわずかに横から突いて軌道を変えさせつつ加速させる。結果。
 描けるはずのない軌道を正確に描き、届くはずのない先まで手裏剣は飛び、忍の延髄を貫いて、転ばせた。
「お仲間が逃げ切れないことを見て取られたのでしたら、あの方が斃れる前にしかけられるべきでしたね」
 苦無を取り戻した琴美は唐突に身をかがめ――頭上を行き過ぎた刃を見上げて言う。
 ここは伝令の抜け道だ。攻め手側に雇われたのだろう忍の標的が、その伝令であったことは想像に難くない。単独ではなく、返り討ちを防ぐためにチームで臨むこともだ。
「いえ、ご自分が隠れおおせられないと察せられたのでしょうか」
 そうだ。仲間を囮にして隠れた自分がすぐに見つけられたことを、彼は察していた。音も気配も消していたはずが……
「においというものはそうそう消しきれるものではありません。ましてや此の世にそぐわぬ死臭は」
 この女が言うことはまるで知れなかったが、恐ろしい手練れであることはすぐに知れた。業を出し惜しみできる相手ではありえない。
 忍は小太刀の切っ先をでたらめな拍子で揺らし、まるで連動しない息を吐き、さらに足の捌きを見せつける。ひと捌きごとに足をずらす距離をわずかずつずらし、さらに土をこする音を変えてだ。このすべての“ずれ”が、琴美の視覚と聴覚を惑わせる。
 対して琴美は半眼をつくり、逆手に握り込んだ苦無を胸元に、切っ先を前へ向けて構えるばかり。
 あの女にこちらの幻惑を見切るつもりはない。それよりも待っているのだ、自分がしかけるのを。斬るにせよ突くにせよ、挙動は斬るか突くかに絞られるのだから、それを見切ればいいと思っているのだろう。
 しかしだ。それはすべて、こちらがしかけたならの話だ。
 忍は四角く広い鍔の裏で、刀を揺らす動きに紛れさせて小さな玉を指先へ送り込む。ただの火薬玉に過ぎないが、こちらが攻めかかると思い込んだ敵に投げつけてやれば確実に虚を突ける。
 果たして忍は幻惑の狭間から突き込むと見せ、火薬玉を投じたが。
 爆ぜなかった。爆ぜるに足る衝撃を与えるよう投げたはずの玉が、琴美の爪先にやわらかく受け止められて。
「私を崩す搦め手を、かならず打ってくるものと思っていました」
 憐れみすら映した琴美の顔がふぅと忍へ寄せられ、唐突にかき消えた。
 下だ。下に潜られた。忍は察しながらも動けない。琴美を惑わすために散らした重心を取り戻しきれないことで、立ち尽くすよりなかった。
 足の腱を断たれ、膝の腱を断たれ、まっすぐ下へ落ちた喉に刃をあてがわれ。
「あなたは忍であることに拘り過ぎたのですよ」
 真一文字に裂かれて地へ伏した。
 肉を失い、地へ還りゆく忍から目線を外し、琴美は戦の奥を目ざして駆け出していく。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年04月28日

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