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『丈比べ』
水嶋・琴美8036

 この合戦場に、自身が求めるものはないだろう。
 水嶋・琴美(8036)は巡らせた半眼の軌跡を小太刀の刃になぞらせ、襖を為す槍の穂先弾き飛ばす。
 常は好んで苦無を使う琴美だが、それは彼女が習い修め、重ねた鍛錬と天賦の才覚をもって磨き上げた体術を戦いの軸に据えていればこそ。しかし、多勢を相手取って体力の温存を図るため、今は自らを尽くすことなく最大効率での迎撃に努めているのだ。
 それしても、です。
 攻めかかってくる守り手側の軍勢はそれぞれに一定の間隔を取り、さらには横軸をずらすことに徹していた。密集陣形が生む高圧を棄て、手数を減らさぬよう徹底する。それは琴美をそれだけの脅威と見なしていればこその陣構えではあるのだが。両者の押し引きはどこかぎこちなく、噛み合わない。
 ああ、あなたの術策に嵌まっていましたね。
 苦笑して、琴美は心を据えた。
 いつの間にか侵されていたのだ。いつまでも合戦を続けたいと願い、合戦場まで再現してみせた都市伝説の願いに。
 ……少なくともこの相手、すべてが期待外れというわけではないようだ。ならば自分の期待に応えてくれるものを探りに行こう。
「お待たせをいたしましたが、すぐに御前(おんまえ)へ」
 それは今度こその宣戦布告。
 琴美は右手に小太刀をぶら下げて一歩、大きく踏み出した。

 琴美は兵らを退け、合戦場の核を目ざす。
 個としての戦闘能力がいくら高くとも、五人十人でかかられればどうすることもかなわないはずなのに。
 琴美は技と業、術を併せてすべてを退けてみせた。ひとつひとつを見ればこれまでと同じものやわずかばかりの応用も多い。しかし、鋭利な見切りと不惑の実行が、先と同じはずの技と業と術とを最適なる必殺とする。
 とはいえ新たに生み出されているのだろう兵は尽きず、故に彼女は一案して。
「間延びした繰り返しにも飽きました。まだお続けになられるなら、早々にこの場を離れさせていただきますけれど」
 肩をすくめてみせた琴美の前から兵が退き、左右へ割れた。
 割れた間をまっすぐに抜けてきたのは威風堂々の騎馬武者である。ところどころに金を散らした南蛮胴とそろいの装備一式は、彼の第六天魔王を意識してのものか。
 が、いかに立派な様を見せてきたとて、琴美の脅しに焦って出てきたことは確かだ。戦う相手を失えば、この都市伝説がここに在る意味も意義も失せる。
 しかし、それはあくまで内情的なものである。都市伝説の脅威の程とは問題が異なる。
「不躾にお呼び立てしましたことはお詫びいたします。しかし、私が戦いたいのはあなた自身ですので」
 琴美の言葉に、ざわり。まるで同じ動きをもって軍、いや、群がおののいた。こうして見れば思い知る。数がどれほど多くとも、あれはただの一個に過ぎないのだと。
 その“自分”に見送られ、守り手側の大将は分身たる馬を前へ進ませた。手にした得物は素槍ならぬ、敵を引っかけて崩し、押し引きのどちらでも刃を食い込ませることのできる鎌穂槍である。
 鎌穂は横に刃が飛び出ているだけに他者と陣が組みにくい。故にそれを振るう者はそれなり以上の武勇を備えていなければならないのだが……
 いえ、あの槍は無双の武を成すでしょう。この都市伝説の核であればこそ。
 琴美は小太刀を右手に、苦無を左手に握り、腰を据えた。

 振り立てられた馬の前足が琴美を踏みつける。
 半歩分引いてこれを見送った琴美は、馬上の大将を見る。概念的に勝利するにはあの首を落とさなければならない。が、その首はたまらなく遠かった。
 琴美を遮るものは馬の前足だ。巧みに繰られて琴美の先を踏み塞ぐのは、馬が大将と同一存在であればこそ。
 さらに場の空気は一拍ごとに押し詰まり、重さを増していた。雰囲気だけではなく、実際に。都市伝説の核は、八百長を演じてはくれぬ琴美が全力を出してなお勝てぬ場を創り出してみせたというわけだ。
 密度とはすなわち抵抗。琴美の挙動は押し止められ、鋭さを殺される。迅さを生かせぬ彼女には手の打ちようもないだろうと、そう思われたが。
 琴美は動き出す。重さに焦ることもなく、ゆるりゆらり流れるがごとく。
 這うほどの速度で進んだ小太刀が、振り下ろされた馬の蹄の下へ潜り込んだ。結果、蹄から足首までを自らで引き斬ることとなった馬が、バランスを崩して横倒しとなる。
 琴美は自在に動けぬ体を細かに繰り、馬の足を誘ったのだ。果たして誘いに乗せられた馬は、辿るべき道を辿って足を振り下ろし、この有様である。
「派手な手ではありませんが、これもまた手。あなたの武勇程度でこの手をかい潜ることはできませんよ」
 それもまた誘いであることは知れていた。知れていてなお、大将は打ちかかるよりない。理想の合戦を演じることこそが自身の願いであり、義務だから。
 愛馬を自らに吸収した大将は、その脚力をもって踏み出し、踏み込んだ。
 槍の真骨頂は取り回しのよさを生かした突きの連打にある。二、四、六は受けないし誘いに使い、一、三、五、七と奇数で攻め、琴美を圧倒しにかかる。
 対して琴美は、小太刀でこれを受け続けていた。
 彼女の小太刀は刀身が厚く、広い。加えて刃渡りは、前腕と同じ長さに揃えられており、手甲さながら琴美を守る。
「技をひとつお見せしましょう」
 言いながら手首を返せば、小太刀の刃が外へ向けて立ち、突きの穂先を大きく弾いた。
「次いで業をひとつ」
 肘のスナップで穂先を取り戻した大将は、体を立てて鎌穂を振り込んだ。本来であれば敵の意表を突く一手であるが。
 それすらも誘いであったことに大将は気づかない。気づくのは次の瞬間のことだ。言われただけの「業」に反応させられ、鬼手に出てしまったことの結果を見せられて。
 槍が突きから薙ぎへ変わったことで生じた時間。そこへ琴美は足を割り込ませていた。強く踏み込み――小太刀と苦無、その横薙ぎの連撃を大将へ叩きつけた。
 重ねられる一閃が大将を押し込んでいく。槍を振るうにはもう、間合が詰まり過ぎていた。ねじ曲げようのない現実が都市伝説を追い立て、追い詰めて、そして。
 ずるりと絡みついた琴美に小太刀を延髄へ突き立てられるのだ。
「あなたは大将として、挑まれた一騎討ちを受けざるを得ませんでした。それはつまり私と武を比べ合うということ」
 喉まで突き通した刃を横に回し、琴美はさらに言った。
「矜持なき雑兵を演じるべきでしたね」
 落とされた首は呆といぶかしむ。
 はてさて。数でかかればこの女を討ち取れたものかよ?

 核を壊され、消えゆく怪現象の名残を見送って、琴美は息を吹き抜いた。
 私に及ぶものはない。今までも、これからも、変わることなくずっと……思いながらも、その心を塞ぐ憂いは払えない。
 たとえば都市伝説は、定められた姿を保つがために超常の力を発揮する。
 琴美となにがちがう? かくありたいと願う様を保つがため、彼女は力を振るい続ける彼女と。
 だとすれば――だからこそ――この都市伝説のごとく、より「かくある者」の足に躙られ、赦しを乞わされ、すべてを奪われた末にかき消される末路が透かし見えてしまう。
 自分の思い描く自分を演じて踊る私は、足を掬われて突き落とされる。獄よりも深く、欠片の救いもない淵の底へ。
 背筋を這い登る恐れを振り払いたいように身を震わせ、琴美は青ざめた顔を先へと向けて歩き出した。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年04月28日

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